「哀! 哀!? どこなの、返事して!!」
黒服の人混みを掻き分け、麻理亜は叫ぶ。
「ねえ、嘘でしょ!? どこへ行ったの!? 志保――」
「紫埜!」
涙目になり、半期狂乱になって叫び続ける麻理亜の肩を、コナンが強く引いた。
「落ち着け。ただ、この人混みに流されただけかも知れない。それに、ここには組織の奴らが……」
「だから、早く見つけなきゃ! 志保が――」
「しっ」
コナンは麻理亜の口をふさぎ、もう一方の手で人差し指を立てた。
「落ち着けって。どこで奴らが聴いてるかわからねーんだぞ」
「あ……」
麻理亜はハッと気が付いて口をつぐむ。
どこで彼らの仲間が聴いているか分からない。不用意に哀の本名を口に出すなど、愚の骨頂だ。
「ごめんなさい……」
「一先ず、博士の車に戻ろう。灰原もそこにいるかもしれないし……」
コナンの提案に、麻理亜はうなずく。
ホテルを出て戻ったそこに哀の姿はなく、分かったのは哀が組織の者にさらわれたと言う事だった。
No.23
『ええ、そうです。犯人は、その七人の中にいます! とにかく、彼らから目を離さないようにしてください。証拠を隠滅されかねませんから。それから、外部へ連絡を取ろうとした場合にも要注意を。犯人には、仲間がいる可能性がありますから……』
助手席に座るコナンがやや早口で目暮警部と電話する後ろで、麻理亜は蒼い顔で震えていた。
志保がいなくなった。組織の者にさらわれた。追跡眼鏡は彼女が掛けたままで、DBバッジの場所を調べる事もできない。
場所が分からなければ姿現しも使えないし、呼び寄せ呪文も組織に見つかればその場でアウトだ。その場で哀が殺されるか、後を追われて全員まとめて殺されるかだろう。組織でなくても、こんなに客や報道陣の多い場所で魔法を使って、マグルに見付かれば大問題だ。
――何が「守る」よ……。
「私、役立たずじゃない……」
ポツリと呟いた言葉に、博士が振り返る。コナンは、哀が掛けている追跡眼鏡のスピーカーへと呼びかけ続けていた。
「灰原! 答えろ……! 灰原ァ!!」
不意に、コナンの怒鳴り声がピタリと止まった。
「灰原? 灰原か!?」
「志保っ!? 返事があったの!?」
麻理亜は後部座席から身を乗り出す。コナンは振り返り、うなずいた。
「会場前の廊下で、何があったんだ?」
哀の掛けている眼鏡に仕込まれた通信機へと、コナンは話しかける。
哀はやはり、組織の者に捕らえられていた。縛られもせず、どこかの酒蔵に監禁されているらしい。脱出しようにも、あるのは暖炉だけ。子供の身体では、とてもではないが上れない。
それを聞いた途端、コナンは何かに気が付いたようにハッと顔色を変えた。
「確かそこ、酒蔵だって言ったよな? そこに、白乾児ってあるか? ――ああ、中国のきつい酒だ」
「ちょっと、工藤? いったい、何を……」
麻理亜は怪訝に思って問う。哀も同じように疑問を抱いたらしく、コナンは口元に笑みを浮かべて答えた。
「その部屋から脱出させてやるんだよ……お前に、とっておきの魔法をかけてな!」
「ねえ……エルキュール・ポアロの綴りって分かる?」
「エルキュール・ポアロ? 確か、フランス語よね。無音のアッシュが入るから、エルキュールは『Hercule』かしら。ポアロは、えーっと……」
「麻、麻理亜? 工藤君は?」
「いるわよ、そこに。ニュースで事件直後の映像を熱心に見ているわ……会場内にも報道陣が多かったみたいだから、運良く撮れたのね……」
「どうした?」
手帳に容疑者七人の位置関係を書き込んでいたコナンが、後部座席を振り返る。
「哀が、エルキュール・ポアロの綴りを教えてくれって」
麻理亜は、マイクとイヤホンをコナンに差し出す。
「おい、何やってんだ? ちゃんと白乾児飲んだのか?」
どうやら哀は、薬の研究データを組織のパソコンから抜き出そうとしているらしい。コナンがパスワードを推理しているその最中、麻理亜はびくりと肩を揺らした。
血の臭い。強い、怨嗟の臭い。
高速で近づいて来る――車だ。
麻理亜は、青ざめた顔で窓の外に目をやる。一台の黒塗りの車が、麻理亜達の乗るビートルを追い越し、数メートル先に停車した。
車種は、ポルシェ356A。
「し、新一君! あれ! あれ!!」
博士が慌てたように前を指差す。
両の扉が開き、降りて来たのはジンとウォッカ。車から降りると彼らは、一台のパソコンを確認するように覗き込む。
「ま、まさか……今、灰原の前にあるパソコンに発信機が内臓されてたんじゃ……」
「そうか! 何度電話を掛けても繋がらんから、その発信機を頼りに……」
ガチャ、と後部座席の扉を開けかけた麻理亜は、コナンによって押しとどめられた。
「何やって――」
「決まってるじゃない、哀を助けに行くのよ! あるいは、彼らの足止めを――」
「バーロォ! 今行ったら、オメーが奴らに見つかっちまう!」
コナンは急いで、マイクへと話しかける。
「おい、灰原ヤバイぞ! 奴らが来る! とりあえず、暖炉の中に隠れてろ!! おい、どうした!? おい!?」
「どうしたの? ま、まさか、このタイミングで風邪で倒れたんじゃ……」
ジンとウォッカはホテルへと入って行く。コナンはイヤリング型携帯電話を取り出し、素早くボタンをプッシュした。
「警部! 工藤です! 今、ホテルに入った、黒服の二人組の男に職質をかけてください! いいから早く!!」
それからコナンは電話を切り、麻理亜らに静かにするように口の前で人差し指を立て、イヤホンに集中する。
酒蔵に彼らが入って来たのだろう。どうやら、そう奥の方ではないらしい。
鼓動が早鐘のように打つ。一分一秒が長く感じられた。麻理亜はただ黙し、コナンの耳元を見つめる。
ずいぶんと長く感じられたが、実際はそうでもなかったのかもしれない。ややあって、コナンがマイクに向かって訪ねた。
「……おい? 奴らは行っちまったか?」
哀からの応答があったらしい。コナンの表情が、かすかに和らいだ。
「それで、お前、服は……」
麻理亜は、運転席と助手席の間に顔を突き出す。
「哀、無事なの? 服って?」
「白乾児を飲むと、一時的に元の姿に戻れるんだ。俺も前に一度、飲んだ事があって……灰原は今、煙突を登ってるよ」
「そっか……じゃあ、後は屋上に迎えに行けば……」
「見ろ、新一君! ネットに出ておる明日の新聞の朝刊!」
パソコンを見ていた博士が、唐突に叫んだ。開かれているのは殺人事件の記事ではなく、芸能面。暗がりの中、二人の男女が熱い抱擁を交わしている。
「会場に潜り込んでおったカメラマンが、シャンデリアが落ちる直前に撮ったそうじゃ! これ、例の七人の中の二人じゃろ?」
「あらまあ、大胆だ事……暗くなっているとは言え、こんなに人も報道も多い中で……だいたいここ、一応、追悼の場――」
言いかけた言葉は、途中で切れた。
暗がり。人目を忍んで事を起こすには、持って来いのシチュエーション。抱き合う男女の後ろに、斜めに片手を上げる人影があった。
「工藤、これ! この位置にいたのは……!?」
「ああ……もしかしたら……」
コナンも気付いたらしい。ポケットの中から紫色のハンカチと鎖の欠片を取り出し、何やら確認したかと思うと再び目暮へと電話を掛けた。
電話を終えると、マイクとイヤホンを麻理亜へと投げてよこした。
「ピスコの正体が分かった! すぐに迎えに行くから大人しくそこで待ってろって、灰原に伝えておいてくれ」
コナンはそう言い残し、車を降りて駆けて行った。
イヤホンからは、志保の荒い息遣いが聞こえて来ていた。間もなく、彼女の呼吸ペースが変わり、声を発した。
「で、出たわよ……どうするの?」
「お疲れ。どこにいるか、分かる?」
「どこかの屋上みたいね……工藤君は?」
「ホテルに入って行ったわ。『ピスコの正体は分かった! 直ぐに迎えに行くから、大人しくそこで待ってろ』ですって」
「フ……大丈夫……。どうせ、動きたくても体がだるくて動けない……」
ド……と鈍い物音が入った。大丈夫かと声を掛けようとしたその時、第三者の声がイヤホンから流れて来た。低い、男の声。
「会いたかったぜ……シェリー……」
ぞっと血の気が引いていく。
この声。この口調。
彼らは気付いていたのだ。志保が煙突を登って脱出を試みている事に。
麻理亜はイヤホンとマイクを博士に押し付けると、車の扉を開ける。
「ま、麻理亜君!?」
「哀が撃たれたわ! 屋上で、彼らに見つかったみたい!」
短く要件を伝えると、扉を閉じる。
志保が閉じ込められていた酒蔵は、ホテルの中の物。そこから屋上へ出たならば、今、彼女がいるのは――
麻理亜は直ぐ横に立つホテルを見上げる。そして、その場でくるりと一回転した。
銃声にも近い音と共に、マリアはホテルの屋上へと「姿現し」した。
雪の積もった真っ白な屋上。そこに、人影はなかった。
「嘘……どうして……」
呟き、ハッと振り返る。血の臭いがしたのだ。
屋上の端へと駆け寄り、下を覗く。隣に立つビルの屋上に、三人の人影があった。
真っ黒な服に身を包んだ二人の男。そして、横たわるつなぎを着た女。つなぎの下から染み出る鮮血が、真っ白な地面を赤く染めている。
「志保……!」
麻理亜は再び、その場で「姿くらまし」した。
バァンと大きな音が、静かな廊下に鳴り響く。目の前には開け放された扉。麻理亜はその横の壁に身を寄せる。扉の外からは、狼狽するような声が聞こえてきた。
「じゅ、銃声!?」
麻理亜は手を軽く握る。淡い光がまたたき、刀身の広い大剣が現れる。
ギュッと剣の柄を握りしめる。子供の身体では、それは酷く重く感じられた。
――大丈夫。やれる。
とにかく、銃だけでも失わせる事が出来れば。あの状態では、志保を連れての姿くらましは厳しい。しかし、麻理亜が立てた音は同じくホテルに集まる警察や報道陣の耳にも届いている可能性がある。姿現しの時に発せられるこの音に、警察が駆けつけてくれれば。それまでの、時間稼ぎだ。
屋上へと踏み出そうとした麻理亜の口を、背後から伸びた手がふさいだ。
コナンだった。コナンは麻理亜を下がらせると、志保へと銃口を向けているジンに向かって麻酔銃を撃った。
「あ、兄貴!?」
ジンが膝をつき、こちらへと来かけていたウォッカは慌てて戻って行く。
コナンは蝶ネクタイのダイヤルを回し、叫んだ。
「煙突だ! 煙突の中に入れ!!」
「誰だ、てめぇは!?」
ウォッカが、麻理亜達のいる戸口へと銃を乱射する。
「早く!!」
コナンは叫ぶ。
志保は地面を這い、傷ついた身体を引きずるようにして、煙突へと向かう。
「このアマ、逃がすか!!」
ウォッカが志保へと放った銃弾は、皮肉にも彼女を突き落すようにして煙突の中へと送った。
志保がこの場から逃げたのを確認し、コナンと麻理亜は駆け出す。
「紫埜、さっきので灰原が落ちた先に行けるか!? このビルの一階に、物置にしている部屋があるんだ!」
麻理亜は目を見開く。
姿現しを――魔法を使うところを、見られていたのだ。しかし今は、そんな事を気にしている場合ではない。彼も、聞きたい事は山ほどあるだろうが、後回しにしているのだろう。
「――任せて!」
麻理亜はコナンの腕を掴み引き寄せると、物置へと「姿現し」した。
鈍色の空から舞い散る、白い欠片。朝から降り続けているそれは、校庭に積もり、銀世界を作り出そうとしていた。
「麻理亜ちゃん、おはよう!」
掛けられた声に、麻理亜はハッとして振り返る。歩美、元太、光彦の三人が机の横に立っていた。
「灰原さんは……今日も、お休み?」
「ええ、まあ……」
「もう、一週間も経ってるよね。やっぱり、お見舞いに行った方が……」
麻理亜は、静かに首を左右に振る。
「大丈夫、心配しないで。ただの風邪だから。哀も、あなた達に移したくないって言っていたし……」
麻理亜は席を立つ。
「私、哀の休みの事で先生に呼ばれてるんだった」
そう言い置いて、麻理亜は教室を出て行った。
麻理亜が向かったのは、職員室でも教材準備室でもなかった。先生に呼ばれてなんかいない。あれは、一人になるためのただの方便。
人気のない校舎裏に辿り着き、麻理亜は宙に出した大剣を振るう。
志保は、煙突から落ちると同時に再び子供の姿へと戻っていた。コナンの言う通り、白乾児の効果は一過性のものらしい。
ピスコの手から哀を奪還し、麻理亜らが博士の車へと戻る間に、ピスコはジンに射殺された。ピスコの家族は消され、自宅も不審火によって全焼。ピスコから逃れる際の火災で、つなぎと共に物置に残して来たMOも燃えてしまった。
組織は、コナンにも、警察にも、何も足取りを掴ませてはくれなかった。
哀は、翌日にもこの街を離れるつもりだった。麻理亜も当然、ついて行くつもりだった。
しかし、その行動はジンに読まれているだろう。ならば、ジンはこれ以上この街を探さないはずだ。むしろ、下手に動いた方が危ない。
そう判断したコナンの指示により、哀も麻理亜もそのまま米花町に居座る事になった。
「おいおい、んなモン振り回してたら、先生もびっくりするぜ?」
麻理亜は剣を下す。コナンが、校舎に背を預けるようにして立っていた。
「……先生なんて、来ないわよ」
「だろうな」
コナンは壁から背を話すと、麻理亜に向き直った。
「杯戸シティホテルでのあれ……トリックとかじゃねーよな?」
麻理亜は無言で、コナンを見つめ返す。
コナンは、麻理亜が「姿現し」をするところを見た。それどころか、連れ添いもした。一瞬にして、離れた場所へと移動する魔法。剣の出現と消失程度ならともかく、そんなものを体験してまで信じない訳にはいかないだろう。
「私が組織に与えられたコードネームは、ストレガ……イタリア語で、魔女を意味する言葉。あれは、魔法よ。私、魔女なの」
「魔女……銃が効かないって話も、それで……?」
麻理亜は、首を左右に振る。
「私の知る魔女や魔法使いは、魔法が使えると言うだけで身体は人間と何ら変わりなかったわ。まあ、魔法以外の傷や病気じゃ死には至らないみたいだけど……それでも、一切傷がつかないなんて事はなかった。
シンフォニー号の時、私、元の姿に戻っていたでしょう。あれも、魔法で調合した薬。本来の材料はここでは手に入らなくて、材料に毒性のある物も使っているから、普通の人ならば、例え魔法使いであろうとも死んでしまうでしょうね。でも、私はこの通り生きている……」
フッと光が消えるように、大剣が消える。何もなくなった手のひらを、麻理亜は強く握りしめた。
「魔法が使えたって、人より少し頑丈だって、何の意味もない……! 私、あの子を守れなかった……!」
捕えられた志保を脱出させたのも、ジンの銃撃から救ったのも、全てはコナンの機転によるものだった。
「志保を守るなんて言っておきながら、私、何も出来てない……! あなたさえいれば、私なんて必要ないじゃない……!」
「紫埜……」
「そんな所で何をしているの? もう、授業が始まるわよ」
掛けられた声に、振り返る。落ち着いた声にそぐわぬ、小さな少女がそこに立っていた。
「志、保……!? 出て来て大丈夫なの? 怪我は――」
「もう、『転んだ』って言い訳でも通るぐらいには治ったわ。あまり長く休んでいても、吉田さん達も心配するでしょうし……」
哀は肩をすくめ、「それに」と付け足した。
「いつでも、私のそばにいてくれるのでしょう? 私が休んでいたら、そばになんていられないじゃない」
「え……」
「麻理亜は、いなくならないでね……」
眉尻を下げ、不安げな瞳で麻理亜を見つめる哀。それは、いつもの彼女らしからぬ言動だった。
「……フサエブランドのバッグ……それとも、財布?」
冷めた目で、コナンを振り返る。
ギクリとコナンの表情が変わる。哀は、あきれたように溜息を吐いた。
「……ほらね。こんな回りくどい事をするぐらいなら、あなたが直接励ませば良かったのよ」
「いや、だって、オメーの事で悩んでるんだし、オメーの口から言ってやった方が……俺からでも言わねーと、オメーも素直じゃないから何も進みそうになかったし……」
「ばれたからって、約束は無効にならないわよ?」
「え、あれマジ?」
「さ、行きましょう。授業が始まるわ」
「わっ、ヤベっ」
腕時計を確認し、コナンは慌てて駆けて行く。後を追って走り出そうとした麻理亜に、哀は囁いた。
「彼は合わせてくれただけ。私から頼んだのよ」
「え……」
「嘘」
哀は、背中の後ろで手を組み、フッと微笑む。
「……なーんてね」
くるりと背を向け、哀は走って行く。
「え? ええ? 嘘? なんてね? どれが? どこまで?」
「おーい、紫埜! 遅れるぞ!」
「あっ、ああっ、待ってー!」
麻理亜は混乱しつつも、コナンと哀の後を追って駆け出した。
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2015/06/21