「ええ!? 手術!? ただの怪我じゃなかったんですか?」
麻理亜達が呼んだ警察によって、死体を隠そうとしコナンらを洞窟の奥へ追いやった犯人達は捕らえられた。
警察に保護された時、コナンは脇腹、元太は足に銃撃を受けてしまっていた。元太の方は幸い、一発かすった程度だったらしく手当を受けるとすぐ立って歩けるようになったが、コナンの方は重体だった。
「銃創の部位は左側腹部……。弾は貫通してるけど、出血が多く腎損傷の可能性もあって、危険な状態らしいわよ……」
連絡を受け米花総合病院に駆け付けた小五郎に、哀が説明する。子供らしからぬ話し方をする彼女に、小五郎は目を白黒させていた。
「な、何ですか、この子は?」
「あ、ワシが今、預かってる子じゃよ……灰原哀と言って……」
「コナン君、しっかりして! もうちょっとの辛抱だから……!」
呼びかける声と共に、複数人の慌ただしい足音、ストレッチャーが押されるガラガラという音が近付いて来る。運ばれるコナンの横で、蘭が必死に声をかけていた。歩美も、心配そうな顔でコナンを見つめながら並走している。
通り過ぎる間際、呼吸器をつけられたコナンの顔が彼女たちの間から見えた。冷や汗を流し、苦しそうに歪む青い顔。
――その場に、麻理亜がいれば。
麻理亜に、普通の銃や刃物は通用しない。麻理亜が一緒にいたならば、麻理亜が盾となりかばっていたならば、こんな怪我はせずに済んだろうに。
普通の人間は、小さな弾一発で命の危険に脅かされる。人の身体は、こんなにも脆い。自分がいかにおかしな存在なのか、思い知る。
「先生、大変です!」
看護師が駆けて来て、今まさに手術室に入ろうとしていた医師は立ち止まった。
「前の患者の手術でこの坊やと同じ血液型の保存血を使ってしまって、在庫がほとんどありません!」
その場に、戦慄が走る。輸血用の血がない。それがどんなに切迫した状況かは、子供達にも、マグルの知識に乏しい麻理亜にも分かる事だった。
「おいおい……今から血液センターに発注しても間に合わんぞ……」
「あの……私の血で良かったら……」
おずおずと、しかしはっきりした口調で蘭が申し出た。
「私も、この子と同じ血液型ですから……」
阿笠が息をのみ、蘭を見つめる。小五郎は怪訝気な顔をしていた。
「おい……お前、どうして……」
「あ、でも一応調べてください……」
看護婦と共に走り去る蘭の背中を、麻理亜はじっと見つめていた。
――やはり。
やはり、彼女は気付いていたのだ。コナンの正体に。姿を消した幼馴染が、ずっとそばにいた事に。
何か事情があるのだと察して。危険な事に首を突っ込み、遂には正体を隠さざるを得なくなった幼馴染をそばで見守って。追及もせず、ただ信じて。……いったい、どんな気持ちで待ち続けている事だろう。
No.25
フッと手術中を示すランプが消える。途端に全員立ち上がり、手術室の扉の前へと駆け寄る。扉が開き、ストレッチャーに寝かされたコナン、そして医師が出て来た。
「幸い、主要臓器の損傷はありませんでした。後は、術後の経過を見て……」
医師が小五郎と蘭に説明するのを、麻理亜、哀、阿笠は二人の少し後ろで聞いていた。子供達は、コナンの元へと駆けて行く。
「良かったのぉ。ひとまず、手術は成功したようじゃ……」
「ええ……」
麻理亜がうなずく横で、ふいと哀は手術室に背を向けた。そのまま、静かに去って行く。
「お、おい。哀くん……」
後を追おうとする阿笠を、麻理亜は押し留めた。
「私が行くわ。博士は、子供達を車で送ってあげて。こんな時間に、外を歩かせる訳にはいかないでしょう?」
「あ、ああ……」
麻理亜は哀の背中を小走りで追って行った。
哀は病院を出て、博士の家までの道を辿っていた。人気のない、深夜の住宅街。小さなその姿は、今にも闇に飲み込まれてしまいそうだ。
「志保ーっ!」
麻理亜はわざと明るい声を出して、じゃれつくように哀の背中に抱き着いた。びくりと小さな肩が揺れる。
振り返り、相手が誰なのか認識すると、哀はあきれたような視線を麻理亜に向けた。
「……時間を考えなさい。大声で騒いだりしたら、近所迷惑よ」
「はーい」
麻理亜は肩をすぼめ、小声で囁く。
それから二人は、しばらく無言で歩いていた。家が近付き、工藤家の大きな屋敷が前方に見える頃になって、哀が口を開いた。
「あなたはあまり、驚いていなかったみたいね……気付いていたの? 彼女の事」
「まあ……薄々はね。船で初めて会った時も何だか反応が妙だったし、この前博士の家に来た時の様子でも、ね……。やっぱり気付いていたって事よね、あの子」
「そうでもなければ、あんなに確信を持って血液型が同じだなんて言わないんじゃない?」
哀は淡々と答える。麻理亜は目を伏せつぶやいた。
「……どうするのが正解なのかしらね」
今度は、哀の返答はなかった。
コナンの正体を察し、確信を持っている蘭。このまま欺き続けるのは、あまりにも酷だ。しかし、事情を話す事は、彼女を巻き込む事に繋がる。万が一組織に正体がバレた時、組織は自分たちの事を知る者達を余す事無く抹殺しようとするだろう。彼女を危険に晒す事になってしまう。
麻理亜はそっと、ポケットを服の上から抑える。折られてしまった杖。杖さえあれば、記憶を操作する事だって可能だったかも知れないのに。
「麻理亜」
工藤邸の前を通り過ぎながら、哀が言った。
「私、やる事があるから、しばらく地下にこもるわ。学校には、風邪とでも言っておいて……」
「え?」
麻理亜は目をパチクリさせて哀を振り返る。
哀は、何かを決意したかのような表情だった。
「えーっ。灰原さん、まだ風邪治らないの?」
病院のロビーに、歩美の声が響く。歩美も、元太も、光彦も、心配そうな顔をしていた。
「もう十日目ですよ。大丈夫なんですか?」
「それこそ、病院に連れて来た方がいいんじゃねーのか?」
「大丈夫、大丈夫。博士の知り合いのお医者さんに診てもらったから。症状はだいぶ軽くなってるんだけど、感染すといけないから外出禁止ってだけで……」
麻理亜は笑顔で取り繕う。宣言通り、それから一週間以上、哀は地下の研究室にこもり続けた。風呂やトイレには出ているようだが、食事さえまともに取らない。麻理亜や阿笠が心配して届ければ大人しく食べたが、食事に割く時間も惜しいと思っているようだった。
「私の分は、こんなに用意しなくてもいいわ」
ある日、夕飯を届けに行った麻理亜に、哀は言った。サラダにシチューにパンと、ごくごく一般的な献立だった。
「パンとか、おにぎりとか……片手で食べられるようなものだけにしてもらえる?」
「そんなんじゃ、栄養偏っちゃうわよ」
「平気よ。研究が佳境に入っている時は、いつもそんな感じだったし……注文を付けるようで悪いわね……」
「それは別に、構わないけど……」
哀は左手でマウスのホイールを転がし、データをチェックしながらサラダを食べる。その顔は青白く、目の下には隈が出来ていた。
「……ねえ、ちゃんと寝てるの?」
「問題ないわ」
哀の回答は、本当に寝ているのか曖昧なものだった。
「――ちゃん……麻理亜ちゃん!」
繰り返し呼びかける歩美の声に、麻理亜はハッと我に返った。
「コナンくん、もう病室に戻っちゃったよ。面会、おしまいだって……大丈夫? なんか、ずっとぼんやりしてたみたいだけど……」
「まさか、灰原の風邪が感染ったんじゃねーのか?」
「大変です! お医者さんに診てもらいましょう!」
「大丈夫よ、気にしないで。今日の夕飯何にしようかなって考えていただけ。頼みの綱の哀が風邪だから、私と博士じゃレパートリーが尽きちゃって……」
「じゃあ、うな重がいいんじゃないか?」
「病人にうな重は重過ぎますよ……」
「卵粥は? 風邪ひいた時に、お母さんがよく作ってくれるよ!」
「そうね……」
「あれ?」
ふと、元太が声を上げた。
「麻理亜、自分のゲーム機はどうしたんだ? 麻理亜も、博士の持って来てただろ」
「え? ……あっ。病室に忘れちゃったみたい。先に行ってて。私、取って来るから」
言いおいて、麻理亜は急ぎ足で病室へと向かう。
病室がある廊下まで辿り着いたところで、コナンの病室の扉が開いた。出て来たのは、三人の女子高生。その一人を見て、麻理亜は息をのみ足を止めた。
見慣れたセーラー服。ポニーテールにされた髪。
「あら、麻理亜ちゃん。何か忘れ物?」
蘭が目線を合わせるように中腰になり、尋ねる。
「あ、うん……博士のゲーム機、病室に置いて来ちゃって……」
「麻理亜……ちゃん……?」
蘭の後ろで、和葉が呟いた。
蘭は立ち上がり、彼女を振り返る。
「紫埜麻理亜ちゃん。コナンくんの友達なの」
和葉は、まじまじと麻理亜を見つめていた。
「は、はじめまして……」
緊張で声が細くなる。組織にいた頃、与えられた表の立場で親しくしていた和葉。組織から逃亡する際に、それまで関わった組織、改方学園、江古田高校、アルバイト先の喫茶店からは、記憶も記録も全て麻理亜の痕跡を消した。和葉も、改方学園二年生だった紫埜麻理亜の事は何も覚えていない……はず。
「初めまして! 可愛えなァ。コナンくんの友達って事は、小学一年生?」
「う、うん……」
和葉は、麻理亜の視線の高さにしゃがみ込む。
「アタシは、遠山和葉。よろしくな、麻理亜ちゃん」
和葉は、にっこりと人好きのする笑顔を見せる。
「よ、よろしく……あ、あの、えっと、私、行かなきゃ。元太達を待たせてるから……」
「え? ゲーム機は……」
皆まで聞かず、麻理亜は背を向け駆け出していた。
階段を駆け下り、人の多いロビーを抜け、外へと飛び出す。そして、麻理亜は立ち止った。肩で息をしながら、自嘲の笑みを漏らす。
「ハハ……何焦ってるのよ……大丈夫、何も覚えているはずないわ……慌てて逃げる必要なんて……」
初対面の挨拶としての笑顔を向けていた和葉。何も覚えていない様子だった。――何も。
『初めまして!』
『あんた、俺と何処かで会うた事あるか?』
――和葉は、何も覚えていない。
麻理亜は膝を抱えるようにして、その場にしゃがみ込む。
「大丈夫よ……いつもの事じゃない……」
その晩、哀は十日ぶりにリビングへと姿を現した。
「哀くん! ちょうど良かった、デザートにしようとしていたところなんじゃ。哀くんも食べるかの?」
「『Can Cun』の最新号出てたから、帰りに買っておいたわよ。読む?」
麻理亜は椅子を降り、ソファに置いたランドセルの方へと向かう。哀はふいと背を向けた。
「いいわ……私、少し出掛けて来るから……」
「え? こんな時間にかの?」
「あっ。それなら、私も――」
雑誌を机の上に置き、麻理亜は哀の後を追う。哀は待つ事なく、出て行ってしまう。
門を出た麻理亜は、左右を見渡す。すでに通りに哀の姿はなかった。いったい、どこへ行ってしまったのだろう。つい最近、組織に遭遇したばかりだ。何事もなければ良いのだが……。
夜道に麻理亜は一人、立ち尽くす。
哀の事に気を取られていた麻理亜は、背後から近付く黒い人影に気が付かなかった。
突如、麻理亜の身体が持ち上げられる。息をのむ麻理亜を、彼はその場から連れ去って行った。
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Different World
第3部
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2016/12/11