米花総合病院の一室。和葉を蘭、園子と共に花の買いなおしに行かせた平次は、コナンへと向き直った。
「今日はあの小っさい姉ちゃん達や、ガキどもは来とらんのか?」
「さっき帰ったところだよ。あいつら、毎日見舞いに来てくれてるからな……」
話しながら、コナンは車椅子を降り、ベッドへと移動する。
「なあ、工藤……」
「ん?」
「俺、前に紫埜に会うた事がある気がするねん。なんでやろ?」
何気ない疑問のつもりだったが、新一の反応は深刻なものだった。
「どこかで……? 父親の捜査資料で見たとかじゃねーか? あいつ、元々は組織にいたみてーだし……」
「アホ! あのおとんが捜査資料見せるかいな。――そう言う時は、大滝はんや!」
「あっ、そう……」
得意げに話す平次を、コナンは呆れたような視線で見上げる。
「んで? 本当は何しに来たんだよ? まさか、紫埜に会った事がある気がするなんて話をするために、わざと百合なんか持って来て人払いした訳じゃないだろ?」
「あ、やっぱりバレとったか……。実は昨日の晩、阿笠っちゅう爺さんから電話があってなァ……お前の相談に乗ってくれっちゅうんや。なんや知らんけど、工藤、お前……あの姉ちゃんに正体バレかけてるそうやないか!」
冷やかし半分に平次は言ったが、状況は思いの外深刻なものだった。
全てを話して、彼女を新たな問題で苦しめるか。
正体を察していると気付いていても欺き通し、彼女をこのまま苦しめ続けるか。
「――どっちが正解だと思う?」
そう問うコナンの言葉は、平次の心に重くのしかかった。
No.26
客席から響き渡る鋭い悲鳴を皮切りに、帝丹高校の体育館は騒然となった。
毒殺された観客。文化祭の催し物として上演されていた舞台は中止され、警察によって規制が敷かれる。
警察が状況検分を行う中、帽子を目深に被った少年が割って入って行った。ピタリと死因を言い当てる少年に、小五郎が疑いの目を向ける。殺害された被害者のそばにいたのではないかと。少年は、それを否定した。
「ちゃうちゃう、俺の席はここから八列も前や!」
「それを証明する人は?」
「えーっと……」
彼はきょろきょろと辺りを見回すと、珍しく人垣の中から遠巻きに眺めているコナンを指さした。
「あいつや、あいつ! あの眼鏡のボウズのそばにちゃーんと座ってたで!」
「そうなの、コナン君?」
「うん。いたみたいだよ……」
小五郎はまじまじと少年を見つめていた。
「お前……なーんか、どこかで会ったような、会ってないような……」
「何なんだね、君は?」
「なんや、もう俺の事、忘れてしもたんか? 久しぶりに帰って来たっちゅうのに、つれないなァ……」
きょとんとする蘭の方をちらりと振り返りながら、彼は帽子に手をかけた。
「俺や、俺! ――工藤新一や!」
帽子の下から現れたのは、髪型を変え、パウダーで色白になった姿。
コナンや蘭から更に離れた人垣の中、帝丹高校の制服を着て黒く染めた髪を二つに結び眼鏡をかけた少女が、呆れたように頭を抱えていた。
時は、三日前の夜に遡る。阿笠邸から出て来た麻理亜を捕らえたその人物は、一本通りを離れ、薄暗い路地に入った所で麻理亜を放した。
地面に下ろされるなり、麻理亜は警戒して振り返る。
「いったい――」
張り詰めた麻理亜の言葉は途切れた。そこに立つのは、にこやかに片手を挙げる服部平次だった。
「よう、紫埜! 久しぶりやな!」
麻理亜は大きく溜息を吐く。
「誰かと思えば……。いったい、こんな時間に何の用?」
「すまん、すまん。工藤の見舞いに行って来たんや。あの家の前で話してて万一にもあの姉ちゃんが来よったらアカンし、飛行機の時間もあるから急いどってな。――紫埜、あんた、工藤の所の文化祭、来られるか?」
「帝丹高校の? まあ、私の予定は空いているし、一般入場自由みたいだから、行けるとは思うけど……」
「よっしゃ! せやったら、俺が工藤になるさかい、サポート任せてエエか? どうせ工藤も毛利のおっちゃんと一緒に見に行っとるやろうし、工藤がいる場に俺の工藤も登場すれば、あの姉ちゃんも……」
「は? え? ちょ、ちょっと待って」
トントンと進められる話に頭が追い付かず、麻理亜はストップを掛ける。
「えーと、まず、あなたが工藤になるって何の話?」
「せやから、俺が工藤に変装するんや!」
自信に満ちた顔で、平次は言い放った。
「昨日、阿笠っちゅー爺さんから電話をもろたんや。あの姉ちゃんに、工藤の正体がバレかけとるってな。そんで今日工藤と話したら、バレかけも何も完全にバレとるっちゅー話や。俺は腹括って話してまえー言うたんやけど、それはそれで心配かけて苦しめてまうって工藤も気にしとるみたいでな。かと言って、このまま工藤やと分かっているのに騙し続けるのも厳しい。
――っちゅー訳でや! 俺が工藤に成りすまして、そもそもの問題である工藤の正体をやっぱり違たんやって、あの姉ちゃんの疑いを晴らしたろっちゅう作戦や!」
名案とばかりにキラキラとした笑顔で平次は話す。麻理亜は、疑わし気な視線で彼を見上げていた。
「あなたが工藤に……? 出来るの……?」
「大丈夫やて! 背丈も同じくらいやし、推理力なら俺も工藤と同じ……いや、俺の方がちょーっと上なぐらいやしな」
麻理亜はただ無言で平次を見つめる。
「まあ、俺一人でもやれん事もないけど、いったん大阪帰らなアカンし、こっちに協力者がいれば安心やん? そこで、あんたに手伝ってもらえへんかと思てなァ……」
「……それで、私に何をしろと?」
あまり成功の兆しが見えないながらも、麻理亜は問うた。
「まあ、ひとまずは紫埜も帝丹に潜入してもろて……この前、船で会うた時、大っきくなっとったやん? 出来れば、そっちの方がエエかな……子供が高校いたら目立つやろし、子供姿での知り合いに見つかったら何かと厄介やろし……ほんで、何か話の都合が悪い時とか、電話鳴らして、逃げられる口実作ってもろたりとか……」
平次がそう言ったところで、まるで話の流れを見計らったかのように彼の携帯電話が鳴った。
「和葉や。そろそろ行かんと。ほな、詳細はまた連絡するわ!」
麻理亜のメールアドレスを聞き、彼は嵐のように去って行った。
予想していた事ではあるが、平次の変装は麻理亜がサポートする間も無くあっさりと見抜かれてしまった。
「クソ……和葉のせいで、俺と工藤が一緒にいるトコ見せて、あの姉ちゃんの疑いを晴らしたろっちゅう作戦が……」
「バレたのは、和葉のせいじゃないと思うけど……」
麻理亜は呆れた視線を平次へと向ける。あの話し方で、新一だと思えと言う方が無理な話だ。
「それより、あまり私に話しかけない方がいいんじゃない? 誰かに見つかったら、厄介な事になるわよ……。私もこの姿で警察の目には留まりたくないし、規制が解除され次第、引き上げるつもりだけど……」
警戒するように横目で辺りを見回しながら、麻理亜は言った。
老け薬で元の姿へと戻った麻理亜もまた、変装していた。帝丹高校の制服を着て、黒く染めた髪は二つに結び、顔の印象も変わるよう大きな黒縁眼鏡をかけた姿。一目見ただけでは、休憩中の帝丹高校の生徒だ。しかし、帝丹の生徒が平次と親しげに話していれば、誰なのかと訝しむ者もいるだろう。
「まあ、もし誰かに何か聞かれたら、聞き込みしとったとでも言うとくわ。それにしても、見事な変装やなァ。あの爺さんや、もう一人おる小っさい姉ちゃんの力も借りたんか?」
「いいえ。二人も今日は、何だか忙しそうにしていたから……。とにかく、一刻も早くここから抜け出すためにも、事件を解決してちょうだい」
「ああ、犯人ならもう分かっとるで。蒲田さんだけに毒を飲ませた方法もなァ。あとは証拠だけや!
ほんで工藤と話しとったんやけど、工藤のヤツ、話してる最中にどこか行きよってな……紫埜、見ィへんかったか?」
「見てないけど……何かに気付いたんじゃない? 彼、よく無言で走って行っちゃうし……」
「いや、そないな様子やのうて……何ちゅーか、あまり興味なさそうな……」
「興味ない? 工藤が? そんな、まさか……」
麻理亜は苦笑する。事件と聞けば真っ先に駆け付け、推理をせずにはいられない。そんな彼が、この殺人事件に興味を抱かない訳がない。
「警部!」
被害者の車を確認しに行っていた高木刑事が、体育館へと戻って来た。外は雨が降り出したらしく、全員頭からずぶ濡れだ。
どうやら、車のダッシュボードから青酸カリが見付かったらしい。
警察が事件を自殺として断定しようとしたその時、割って入る声があった。
「これは自殺じゃない……極めて単純かつ初歩的な、殺人です……」
声の主は、黒い兜を被った男だった。舞台で、蘭演ずるハート姫の恋の相手である、黒衣の騎士を演じていた人物。
「そう……蒲田さんは毒殺されたんだ……。暗闇に浮かび上がった舞台の前で……常日頃から持っている、たわいもない自らの嗜好を利用されて……。しかも、犯人はその証拠を今もなお所持しているはず……」
彼は、一歩、また一歩と前へと進み出て、その兜に手をかける。
「僕の導き出した、この白刃を踏むかのような大胆な犯行が、真実だとしたらね……」
兜の下から現れた顔に、館内がどよめく。
麻理亜も目を見張り、彼を見つめていた。――そんな。まさか。どうして、彼がこの姿でここに?
平次も同じく、目を丸くしその名を叫んだ。
「――工藤!?」
工藤新一。
毒薬によって小学生になっていたはずの彼は、元の高校生の姿でそこにいた。
新一の推理によって事件は解決し、犯人は警察へと連行されて行った。
犯人自体は平次も気付いていた事だが、仕方がない。ここは東京だ。彼に花を持たせてやる事にし、平次は彼の手伝いに徹していた。
久しぶりの工藤新一の登場に目暮は友好的で、事情聴取への立ち合いも持ち掛けたが、新一はそれを断っていた。
工藤が二人。この推理力。そして、話し方。こちらの新一が本物で間違いない。麻理亜はと言うと、もう一人の工藤新一――事件への興味が薄かった江戸川コナンの隣に屈みこみ、話しかけていた。それを横目で眺めながら、平次は本物の工藤新一へと話しかけた。
「なんで事情聴取に立ち会わへんのや……。もしかしたら、今後の捜査の参考になるかもしれへんのに」
「悪いな……。トリックなんて、しょせん人間が考え出したパズル……人間が頭をひねれば論理的な答えをいつかは導き出せるけど……情けねーが、人が人を殺した理由だけは、どんなに筋道立てて説明されても分からねーんだ……。理解はできても、納得できねーんだよ……全くな……」
犯人の背中を見送りながら、新一は話す。事件が解決し、緊張していた生徒たちの間にも緩んだ空気が流れ出していた。
「でも、驚いたなあ……蜷川さんに婚約者がいたなんて……」
聞こえてきた会話に、平次は目を向ける。容疑者だった四人の内の一人、帝丹高校三年生の蜷川彩子が、クラスメイトと話していた。
「……初めて会った気がしなかったのよ」
彼女は、自嘲気味に笑った。
「子供染みて聞こえるかもしれないけど、運命的出会いだって、そう思ったのよね……」
同級生と話す彼女を眺めていた平次は、不意に呟いた。
「……工藤。俺、分かってしもたわ。なんで紫埜とどこかで会うた気がするか……」
新一は、ハッと平次を振り返る。
「いったい、何の事件で奴らと――」
「ちゃうちゃう、事件資料で見た訳でも、本当に会うた事がある訳でもない。これは――」
もったいつけて間を取り、平次は真剣な顔で言い放った。
「――恋や」
「はあ?」
新一はぽかんと平次を見つめる。平次は何故か、得意気だった。
「俺はちゃんと認めるで、工藤。自分の気持ちに気付いたからには、男らしくあいつに告白したる!」
「いや……オメーが好きなのって、どう、見て……も……」
新一の息は次第に荒くなり、怪訝に思う平次の前で、ガクリとその場に崩れ落ちた。
「おい、工藤!? 工藤!!」
「新一!?」
異変に気付き、蘭も駆け寄り新一の身体を揺する。蘭の声でさえも、新一には届いていない様子だった。
苦しそうに胸元をつかんでいた新一の手から、力が抜ける。パタリと手は床に落ち、そのまま動かなくなった。
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第3部
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2017/06/21