ハリーはどうやら、ダンブルドアの来訪予定を親戚一家には伝えていなかったらしい。唖然とするばかりの一家を見回し、ダンブルドアは朗らかに言った。
「わしが居間に招き入れられたことにしましょうかの?」
「そちらの、息子さんがいる扉です」
奥へと進み、複数の扉を見回しながら立ち止まったダンブルドアに、サラが言った。
ダドリーが恐ろしいものでも見るかのような目でサラを見て、突き出していた太い首を居間へと引っ込めた。きっと、背後の夫婦も同じような顔をしているのだろう。二年生の夏休みにサラはこの家に来た事があるのだが、ダーズリー一家は、もちろんそんな事は知らない。
サラとダンブルドアの後を追うようにして残りの階段を駆け下りて来たハリーも、困惑顔だった。
「あの――先生、出かけるのでは?」
「そうじゃ、出かける。しかし、まずいくつか話し合っておかなければならない事があるのじゃ。それに、大っぴらに話をしない方が良いのでな。もう少しの時間、叔父さんと叔母さんのご好意に甘えさせていただく事にしよう」
サラとハリーは顔を見合わせる。
ハリーは、一緒に来たサラが何か聞いている事を期待しているようだが、サラも分からずただ静かに首を振る。
ダーズリー一家を乗せたソファが元の位置へと滑っていくのを尻目に見ながら、サラとハリーは空いている肘掛け椅子へと腰掛けた。
No.3
元々良い印象は持っていないが、ダーズリー一家は今後も決して友好的な関係を築く事はできないだろうと思われるタイプの人達だった。ダンブルドアの簡単な紹介でサラがホグワーツの生徒だと知ると、警戒していた三人は殊更嫌悪感を露わにした。特にダーズリー夫人は幾度となくサラに憎しみの視線を向けていて、まるで魔法薬学教室にでもいる時のような居心地だった。
ダーズリー家を後にした三人は、真っ直ぐ隠れ穴へ戻る訳ではなかった。
ダンブルドアに連れられて訪れたのは、とあるマグルの屋敷。留守中のその家を拝借しているホラス・スラグホーンという男性は、ダーズリー一家とは真逆に、好奇と執心に満ちていた。
ダンブルドアは彼をホグワーツの新教師として迎え入れたいようだが、彼自身にその気はない様子だった。ホグワーツの教師となる事、ダンブルドアのもとで働く事を恐れている。
立ち上がったダンブルドアにトイレの場所を聞かれ、スラグホーンは明らかに気落ちした様子で場所を告げた。
サラとハリーは連れて来られたとは言え、この家に入ってから一言も発しておらず、会話はずっとダンブルドアとスラグホーンの間でなされていた。ダンブルドアが席を外した今、取り残された三人はどうして良いか分からず、サラもハリーも口をつぐんだままソファに並んで座っていた。
スラグホーンも立ち上がり、手持ち無沙汰にしていたが、やがて、ちらりとこちらを横目で見たかと思うと、暖炉の前まで歩き言った。
「彼がなぜ君達を連れて来たか、分からん訳ではないぞ」
スラグホーンはハリー、そしてサラを見た。もうすっかり見慣れた、いつもの視線だった。
「君は父親にそっくりだ。サラはご両親よりも、おばあさんの若い頃に似ているな」
「私達の父や母や――祖母の頃にも、ご鞭撻を?」
「ああ、まあ……優秀な子達だったよ。教師として絵子贔屓すべきではないが、それでも、彼女達は私のお気に入りだった。いや、変な意味ではなく――教え子の中でも、ずば抜けた子達でね。ナミは他の科目では苦労していたらしいが、魔法薬ではいつもリリーと首位を競っていた」
「ナミが――?」
俄かには信じられない話だった。彼女は魔法を使えず、行方をくらますという形でホグワーツを中退した。
ホグワーツに通えている以上、正しい意味のスクイブではないのだろう。アリスも、魔法薬の調合は得意な様子だ。とは言え、魔法界を逃げ出し遠のけていた彼女に得意教科があったなど、思いも寄らない話だった。
「私の寮に来るべきだったとよくそう言ったものだが、いつも、特にリリーには悪戯っぽく言い返されたものだった」
「どの寮だったのですか?」
ハリーが尋ねた。次に返されたスラグホーンの返答に、サラは表情が強張った。
「私は、スリザリンの寮監だった――それ、それ」
隣でハリーも同じ顔をしていたのだろう。スラグホーンはずんぐりした指をサラ達に向かって振りながら急いで続けた。
「その事で私を責めるな! 君達は彼女達と同じくグリフィンドールなのだろうな? そう、普通は家系で決まる――必ずしもそうではないが。ほれ、サラ、君の父親。シリウス・ブラック――彼はブラック家だが、グリフィンドールに決まった。残念だ。能力のある子だったのに――ブラック家は、全員私の寮だった――弟のレギュラスが入学して来た時は獲得したが、できれば一揃い欲しかった」
そしてスラグホーンは、期待と諦めの入り混じった瞳をサラに向けた。
「君も恐らく、グリフィンドールなのだろう? 君もブラック家の血を引いている訳だが、シリウスの子だ……」
言い知れない居心地の悪さを感じながら、サラはただ無言でうなずいた。
スラグホーンは「やっぱり」と言いたげな表情だった。それから体をくねらせ暖炉の熱で尻を温める事に専念しながら、話を続けた。
「ハリーの母親はマグル生まれだった。そうと知った時には信じられなかったね。絶対に純血だと思った。それほど優秀だった」
「僕達の友達にもマグル生まれが一人います。しかも学年で一番の女性です」
「時々そういう事が起こるのは不思議だ。そうだろう?」
「別に」
ハリーの冷たい声にスラグホーンは驚いて振り返り、サラの軽蔑しきった眼差しにも気付き慌てて首を振った。
「私が偏見を持っているなどと思ってはいかんぞ! いやいやいや! 君の母親は、お気に入りの生徒の一人だと、たった今言ったはずだが? それに、ダーク・クレスウェルもいるな。彼女の下の学年だった――今では小鬼連絡室の室長だ――これもマグル生まれで、非常に才能のある学生だった。今でも、グリンゴッツの出来事に関して、素晴らしい内部情報を寄越す!」
それから彼の話は、他のお気に入りの生徒達の紹介に及んだ。日刊予言者新聞の編集長、クィディッチ選手、ハニーデュークスの店主、どの生徒も確固たる地位を獲得していて、今もスラグホーンと交友関係にあるらしい。とは言え、ここ一年はその誰とも連絡を取らずに逃亡生活をしていたようだが。
「賢明な魔法使いは、こう言う時には大人しくしているものだ。ダンブルドアが何を話そうと勝手だが、今この時にホグワーツに職を得るのは、公に『不死鳥の騎士団』への忠誠を表明するに等しい。騎士団員は皆、間違いなく勇敢で立派な者達だろうが、私個人としてはあの死亡率はいただけない――」
「ホグワーツで教えても、『不死鳥の騎士団』に入る必要はありません。大多数の先生は団員ではありませんし、それに誰も殺されていません――クィレルは別です。あんな風にヴォルデモートと組んで仕事をしていたのですから、当然の報いを受けたんです」
「既に死喰人から逃げ隠れなくてはならない立場でらっしゃるなら、むしろホグワーツの方が安全では? ヴォルデモートは幾度となくハリーや私の命を狙いましたけど、この通り二人とも無事ですし、他の生徒達と同じように勉学に励む事が出来ています」
スラグホーンがヴォルデモートの名前に予想通りの反応を見せるのを少し面白く思いながら、サラは追撃した。ハリーが大きくうなずく。
「そうだ。ダンブルドアは、ヴォルデモートが恐れた、ただ一人の魔法使いです。そうでしょう?」
「まあ、そうだ。確かに、『名前を呼んではいけないあの人』はダンブルドアとは決して戦おうとはしなかった……」
スラグホーンはぶつぶつと考えを口にする。サラとハリーの説得に心揺れている様子だった。
死喰人から伸ばされた手を振り払った時点で、友好的関係は望めない。どちらを選んでも狙われるのであれば、保護下にいた方がリスクは低い。
タイミングを見計ったかのように、ダンブルドアが居間へと戻ってきた。
「さて、ハリー、サラ。ホラスのご好意にだいぶ長々と甘えさせてもらった。暇する時間じゃ」
サラとハリーは立ち上がる。スラグホーンは狼狽していた。
「行くのか?」
自分を保護してくれるかもしれないチャンスが、今にも去ろうとしている。
ダンブルドアは、白々しいほどに、スラグホーンの迷いに気づかず諦めた素振りを見せていた。三人が玄関口まで出た時、やけっぱちのような叫び声が背中にかけられた。
「わかった、わかった! 引き受ける!」
振り返ったそこには、スラグホーンが息を切らせて立っていた。ギリギリまで悩み、慌てて追いかけて来たに違いない。
「引退生活から出てくるのかね?」
「そうだ、そうだ。馬鹿な事に違いない。しかし、そうだ」
「素晴らしい事じゃ」
ダンブルドアはにっこりと微笑んだ。
「では、ホラス、九月一日にお会いしましょうぞ」
「ああ、そう言う事になる。――ダンブルドア、給料は上げてくれるのだろうな!」
背後に追いかけてくる呼び声に、ダンブルドアはクスクスと笑っていた。
これこそが、ダンブルドアの狙いだった。
彼自身との会話の中でも感じたが、ホラス・スラグホーンと言う男は才能ある魔法使いを集めるのが好きらしい。生き残った男の子に、生き残った女の子。今では、「選ばれし者」などと言う噂すら立っている――正確には、サラは異なる訳だが――いずれにせよ、そんな有名人二人を目の前に差し出されて、彼がみすみすと見逃せるはずがなかった。言うなれば、サラとハリーは体の良い餌として同行を許されたのだ。
だが、それだけでは無いのだろうと、サラは感じていた。
案の定、姿現しで隠れ穴の前に辿り着いてからも、すぐには建物の中には入らなかった。
「この事を口にするのを許してほしいのじゃが、ハリー、サラ、魔法省で色々とあったにも関わらず、よう耐えておると、わしは嬉しくもあり、君達を少し誇らしくも思うておる。シリウスも君達を誇りに思ったじゃろう。そう言わせてほしい」
どすん、と胸の中に重石が落とされたようだった。上着の内側に縫い付けて作ったポケットの杖が、実際にはそんなに重いはずもないのに、急に存在感を主張してきた気がした。
いない――
シリウスは、もういない。
スラグホーンの口から彼の名前が出た時も、サラはあまりその事を考えないようにしていた。しかし、マクゴナガルの時と言い、こうしてはっきりとお悔やみの言葉を口にされると、その事実から目を背けようがなかった。
ハリーにとっても、シリウスは唯一無二の存在だった。ハリーには両親がいない。祖母の日記のような存在もない。唯一の親戚は、あの調子だ。彼にとってシリウスは間違いなく唯一の家族であり、親代わりであった。
夏休みの間、ダーズリー家に戻って、ハリーは一人で考える時間が多かったのだろう。そして彼は、自分なりに答えを出していた。犠牲になった者達。次は自分かもしれない。であれば、多くの死喰人を、可能ならヴォルデモートも道連れにしてやると。
「その時は、ハリー一人じゃないわよ」
サラは口の端を歪ませて笑った。
「私が『柱となりし者』なら、もちろん、ハリーの柱となる。一緒に一泡吹かせてやりましょう」
「君達に脱帽じゃ――蜘蛛を浴びせかける事にならなければ、本当に帽子を脱ぐところじゃが」
二人を称え、それからダンブルドアは予言の話へと言及した。どうやら、これが本題らしい。
魔法省で何があったか、今では誰もが知るところとなっている。ヴォルデモートの目的が予言であった事は新聞にも書かれていたし、その予言がサラ達に関するものであろう事も推測されていた。
「わしの考えに間違いはないと思うが、君達は予言の内容を誰にも話しておらんじゃろうな?」
「はい」
サラとハリーの声が重なった。サラは付け加えた。
「ナミ達も含めて、一切話していません」
「それは概ね賢明な判断じゃ。ただし、君達の友人に関しては、緩めるべきじゃろう。そう、ミスター・ロナルド・ウィーズリーとミス・ハーマイオニー・グレンジャーの事じゃ」
サラは目を瞬く。
予言の件は、家族にも話すべきではないと判断していたし、実際、一切触れる事はなく、ダンブルドアもそれを肯定した。それなのに。
「この二人は知っておくべきじゃと思う。これほど大切な事を二人に打ち明けぬと言うのは、二人にとってかえって仇になる」
「僕が打ち明けないのは――」
「二人を心配させたり恐がらせたりしたくないと? ハリー、君にはあの二人の友人が必要じゃ。君がいみじくも言ったように、シリウスは、君が閉じこもる事を望まなかったはずじゃ」
「でも、先生」
サラは困惑しながら口を挟んだ。
「私がいます。ハリーは一人じゃありません。ハーマイオニーやロンまで巻き込まなくても――」
サラも、ハリーも、命を捨てる覚悟だ。予言も、ハリーかヴォルデモートか、どちらかが命を落とす事を示していた。
それを二人が知れば、どうなる? あの二人の事だ。当然、ハリーとサラについて来ようとするだろう。――それは、どこまで?
どこまで、あの二人を巻き込む事になる?
「サラ。確かに、君は『柱となりし者』じゃ」
ダンブルドアは静かに、畳み掛けるように言った。
「じゃが、柱は一本では何も支えられぬ。一本では前後左右に、二本では左右に傾き崩れてしまう。三本の柱があって、初めて一つの面として固定される。君は予言によって、必ず常にその一本となるであろう事が運命付けられた。じゃからと言って、君一人のみである必要は無い。むしろ、それは避けるべきじゃろうとわしは思うとる。
君達自身も薄々気付いておるかもしれんが、君達二人は、あまりに近過ぎるのじゃ。良き相棒となるじゃろうが、二人で孤独になってはならん。
繰り返し言うが、君達には、あの二人が必要じゃ」
サラは黙り込む。何と返答して良いかは分からなかったが、ダンブルドアの言いたい事は理解できるものだった。
サラがいれば「一人」ではない。
だがそれはあくまでも物理的な人数でしかなく、孤独でなくなるかと言えば、肯定し難かった。サラとハリーは、あまりにも「同一」なのだ。
ハリーがサラのよく知らぬ人を好きになって、ハリーがサラの気付かぬところで蟠りを抱えて、ようやく自己を投影し過ぎていた事には気付いたが、それでもヴォルデモート絡みの事になれば二人で「当事者」とならざるを得なかった。
揺るぎない相棒であるが、仲間と呼ぶには近過ぎる。仲間が必要だと、そう言う事なのだろう。
だがそれは、サラにとって恐ろしい話でもあった。
――最期には、来ないで。
自分は、彼らに突き放されるのが何よりも怖いのだと思っていた。直接的に突き放されるぐらいなら、その言葉をその視線を向けられるのを避けようと、自ら遠ざけるほどに。
だが、もっと恐ろしい事があると気付いてしまった。
彼らが喪われるのが怖い。
自分が彼らを失う事よりも、彼らが喪われてしまう事の方が。
ダンブルドアのもう一つの話は、今年、サラとハリーはダンブルドアの個人授業を受ける事になると言う物だった。
幸福な事に、もうスネイプの授業は受けなくて良いらしい。彼との授業は失敗であったとダンブルドアも認めていた。
「もしかして、今夜スラグホーン先生の勧誘に私たちを同伴させたのは、その授業と関連があるのですか?」
ダンブルドアは少し驚いた表情を見せた。そして、フッと微笑む。
「気付いたかの」
「どう言う事ですか?」
ハリーが困惑気味に、サラとダンブルドアを交互に見る。
「サラはわしが思っていた以上に聡いと言う事じゃ。じゃが、今夜この場ではその話をする訳にはいかん。モリーも待っているようじゃしのう」
台所の窓に灯りが点いていた。サラ達が着いた時点でも遅い時間だったが、寝ずにずっと待っていてくれたらしい。
サラが聡い訳ではないのだが、否定する機会は逃したまま、ダンブルドアは隠れ穴へと歩き出した。サラとハリーは慌ててその後に着いて行く。
――気付かないはずがなかった。サラが何より聞きたい話を、スラグホーンはしてくれなかったのだから。
学生時代の祖母。祖母もお気に入りだったと触れながら、その後はナミやリリー・エバンズの話ばかりで、リサ・シャノンの話には触れず、サラが尋ねる隙も与えなかった。
まるで、避けているかのように。
祖母の時代からの、スリザリンの寮監。長らく悩みの種にもなったぐらいだ、気付かぬ訳がない。
その時代のスリザリンには、トム・リドルがいたはずだ。
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第3部
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2020/07/31