左腕に刻まれた焼印は、ひりつくような痛みと共にそこはかとない高揚感をドラコに与えた。
――認められたのだ。そう、思った。
きっとこの年齢で死喰人になった魔法使いは、これまでにいないだろう。最年少で、一人前の魔法使いの仲間入りを果たしたのだ。
毎年毎年、例のあの人絡みで注目の的になるハリー・ポッター。彼がこれから対峙しなければならなくなるのは、この僕だ。僕がこの手で、奴らの寝首を掻いてやる。父上の仇を取ってやる。
『返してよ……! おばあちゃんを返して……!!』
脳裏をよぎる泣き顔に、ドラコは気付かないふりをした。
死喰人を憎む彼女。ドラコ自身も死喰人になったと知れば、彼女との溝はより深まる事だろう。
(……それが何だって言うんだ)
サラの祖母を殺したのは、ルシウス・マルフォイだった。その事実がある限り、彼女のルシウスへの憎しみが消える事はない。そしてドラコも、父親を差し出すつもりはない。
どこまで行っても、平行線。
そして、魔法省での戦いの末、今度はサラの父親が命を落とした。彼女らは、ドラコの父親をアズカバン送りにした。
……もう、彼女とは関係無い。
どの道、夏休みが明けるまで会う事などないのだ。ドラコにはどうする事もできない憎しみをぶつけられる事も、痛々しいほどに張り詰めた彼女の姿に心揺さぶられるもない。
そう、思っていた。
No.5
「母上、何が臭いのか訝っておいででしたら、たった今、『穢れた血』が入って来ましたよ」
サラから逃れるように視線を外したドラコは、ハリー、ロン、ハーマイオニーも共にいるのを見とめて言った。
「そんな言葉は使ってほしくありませんね! ――それに、私の店で杖を引っ張り出すのもお断りです!」
ローブ掛けの後ろからマダム・マルキンが飛び出して来て、杖を構えるハリーとロンを見て慌てて付け加えた。
「フン、学校の外で魔法を使う勇気なんかないくせに。グレンジャー、目の痣は誰にやられた? そいつらに花でも贈りたいよ」
「いい加減になさい! 奥様――どうか――」
マダム・マルキンが、ローブ掛けの背後へと呼びかける。サラは口を真一文字に結んだ。
ローブ掛けの背後からもう一人、魔女が姿を現した。黒いローブに身を包んだ、ほっそりとしたシルエット。年齢を感じさせない端正なその顔立ちに、薄ら笑いが浮かぶ。
「それをおしまいなさい。私の息子をまた攻撃したりすれば、それがあなた達の最後の魔法となるようにしてあげますよ」
「ご親戚の屋敷僕妖精にお願いして?」
サラは冷ややかな微笑いを浮かべて言った。
「お久しぶりですね、マルフォイ夫人。ご主人はお元気で?」
ナルシッサ・マルフォイの表情が僅かに歪む。ドラコはショックを受けたような顔をしていた。
「言葉には気を付けなさい。さもなくば、愛する父親と再会する事となるでしょう。それを望むと言うならば、止めはしませんが」
「へーえ? 仲間の死喰人を何人か呼んで、僕たちを始末してしまおうという訳か?」
ハリーの挑発に、マダム・マルキンが悲鳴を上げた。
「そんな、非難なんて――そんな危険な事を――杖をしまって。お願いだから!」
ハリーは杖を下さなかった。ナルシッサ・マルフォイは口元にこそ笑みを浮かべていたが、その苛立ちは隠し切れていなかった。
「二人とも、ダンブルドアのお気に入りだと思って、間違った安全感覚をお持ちのようね。でも、ダンブルドアがいつもそばであなた達を護ってくれる訳じゃありませんよ」
「ウワー……どうだい、ダンブルドアは今ここにいないや!」
ハリーは大袈裟に店内を見回し、からかうように言った。
「それじゃ、試しにやってみたらどうだい? アズカバンに二人部屋を見つけてもらえるかもしれないよ。敗北者のご主人と一緒にね!」
ハリーに掴みかかろうとしたドラコは、丈合わせ中だったローブに足を取られてよろめいた。ロンがこれ見よがしに大声で笑う。
「母上に向かって、ポッター、よくもそんな口の利き方を!」
「ドラコ、いいのよ。私がルシウスと一緒になる前に、ポッターは愛するシリウスと一緒になる事でしょう」
サラはサッと杖を抜いた。しかし、ナルシッサ・マルフォイはすぐに何か仕掛けてくる訳でもなかった。
ハーマイオニーがサラの腕を抑えた。
「サラまで――駄目よ。お願い、挑発に乗らないで……困った事になるわ……」
「私から仕掛けるつもりはないわ。でも、そうね。彼女が愛しい旦那様の仇討ちをしようと言うなら、自分たちの身は守らなくちゃね。
――これ以上、この家族にこちらの命をくれてやる気はないわ」
怒りと憎しみに満ちたサラの言葉に、店内は静まり返る。
リサ・シャノンは、ルシウス・マルフォイに殺害された。崖の上に現れた仮面の魔法使い。彼は、ドビーを連れていた。ドビー自身からも、証言を得られた。
サラ達が神秘部へ向かうよう、クリーチャーを使って仕向けたのは、ナルシッサ・マルフォイ。そして神秘部の戦いで、シリウスは命を落とした。
沈黙の中、一番に動いたのはマダム・マルキンだった。彼女は、何も起こっていないかのように振舞う事にしたらしい。ピンを手に、ドラコの横で身を屈めた。
「この左袖はもう少し短くした方がいいわね。ちょっとそのように――」
マダム・マルキンが手を伸ばした途端、ドラコは「痛い!」と叫び腕を引っ込めた。
サラは訝る。――今、ドラコの腕に触れていただろうか?
「気をつけてピンを打つんだ! 母上、もうこんな物は欲しくありません」
ドラコはローブを乱暴に脱ぎ、マダム・マルキンの足元に叩きつけた。
「そうね、ドラコ。この店の客層がどのようなものか分かった以上……トウィルフィット・アンド・タッティングの店の方がいいでしょう」
マルフォイ親子は、荒々しく店を出て行った。
サラ達がローブの採寸、購入を終えて店を出る時、マダム・マルキンはようやく緊張から解放されて心底安堵した様子だった。
店を出て直ぐに本屋での買い物を終えたウィーズリー夫人達と合流し、一行は薬問屋へと向かった。ハーマイオニーやエリやジニーが商品棚へと向かう中、アリスは真っ直ぐに会計へと向かい店員に声を掛けていた。
「あの、お取り置きをお願いしていたモリイですが……」
「ああ。ちょっと待ってね」
言って、店主は店の奥へと下がる。戻って来た店主は、いくつもの鍋やら材料の入った瓶やらを抱えていた。ホグワーツ特急で帰って来た日、アリスが取り置きを頼んでいた商品だ。
「鍋の底にこれがあったけど、心当たりはあるかい?」
店主が鍋の底から小さな小瓶を取り出す。アリスがよく持ち歩いているような魔法薬の入った小瓶だった。
「あっ、はい。私の調合した魔法薬です。こんな所に混ざっちゃってたんですね。すみません」
もう今年は魔法薬学を取ることができないのだから、材料や道具なんてあっても仕方がない。ハーマイオニーとエリが授業に必要な物を選ぶのを見たくなくて、サラは入口から入って直ぐの壁際で待っていた。ロン、そしてハリーもサラの方へとついて来た。
サラは目を瞬き、ハリーを見る。
「そう言えば私、あなた達の試験結果を聞いてなかったけど……」
「僕もハリーも七ふくろうだ。ハーマイオニーは当然、全部パス。Eが一個で他はぜーんぶ、O。だから、えーっと――ハーマイオニーが取ってた授業数っていくつだ?」
ロンが答えた。ハリーが後に続ける。
「占い学が無くて数占いとルーン語が増えるから、十じゃないかな。
僕らは占い学と魔法史を落としたから、もし君が今年も占い学を取るなら、一緒には受けられないよ」
「まあ、どっちの科目も、例え落としてなくても、わざわざいもりで取る気なんてないけどな」
「魔法薬は……」
「Eだったよ」
ハリーが短く答えた。
「……そう」
相槌を打ち、サラは押し黙る。
ハリーも、魔法薬学を落としていた。闇祓いに必要となる、NEWTクラスの魔法薬学の授業を受ける事ができない。
知ったところで、気分が楽になるような事はなかった。
結局のところ、他の誰かがどうであれ、サラ自身がOを取れなかった以上、サラは闇祓いになれないと言う事実が覆る事はないのだ。
郵便局とふくろう百貨店を経て、サラ達一行はフレッドとジョージが経営し始めた悪戯専門店「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ」へと向かった。郵便局ではアリスが購入した大荷物を学校へと送り、ふくろう百貨店ではサラもエフィーの餌を補充した。
フレッドとジョージの店は、視界に入るぐらい近くまで来れば一目でそれと分かった。閉ざされた窓や扉に魔法省のポスターが貼られた店が立ち並ぶ中、数々の悪戯グッズがウィンドウの内側で飛び跳ね回る店は、一際目立っていた。
店の中も、ここだけヴォルデモートの復活なんて無かった世界に来たかのようだった。店内は商品棚へ近付くのも困難なほど客で溢れ、明るい話し声と商品が発する奇怪な音や叫び声に満ちていた。ひしめく人混みの向こうに、天井まで積み上げられた「ずる休みスナックボックス」の箱が見えた。
「すっげぇ……大繁盛だ!」
エリが感嘆の声を漏らす。
先頭に立って奥へと進んでいくハリーとロンから逸れないようについて行きながら、サラはきょろきょろと辺りを見回した。商品棚はほとんど見えないが、背の高いオブジェや頭上を行き来する謎の人形は見て取る事ができた。
「あっ。鼻血ヌルヌル・ヌガーだ。だまし杖もある――羽根ペンも種類増えたなあ!」
ハリーとロンの後に続くのはもう無理だ。背の高いエリを先に行かせる事にして、サラはぴったりとその後にくっついて行った。
ハリーとロンは、奥のカウンターの所で待っていた。ようやく人混みを抜けて、サラはホッと息を吐く。
「『特許・白昼夢呪文』……」
ハーマイオニーが、カウンターのそばのディスプレーに飾られた商品の説明書きを読み上げる。
「これ、本当に素晴らしい魔法だわ!」
「よくぞ言った、ハーマイオニー」
声に、サラ達は振り返る。赤紫色のローブを身に纏ったフレッドがにっこりと笑顔で立っていた。
「その言葉に、一箱無料進呈だ」
フレッドはハリーと握手し、それから再びハーマイオニーを見た。
「それで、ハーマイオニー、その目はどうした?」
「あなたのパンチ望遠鏡よ」
「あ、いっけねー、あれの事忘れてた」
言って、フレッドはポケットから丸い容器を取り出してハーマイオニーに渡した。ハーマイオニーは警戒しながら蓋を開ける。今回は何も飛び出してくるような物はなく、中には黄色の軟膏が入っていた。
「軽く塗っとけよ。一時間以内に痣が消える」
「これ、安全なんでしょうね?」
「太鼓判さ」
「マートラップのエキス……それからこの臭いは、アルマジロの胆汁かしら」
アリスはまじまじと軟膏を見つめる。
「いやー、たぶんドラゴンの肝じゃないかな。アルマジロの胆汁だとキツ過ぎて塗れたもんじゃなかった」
口を挟んだのはエリだった。アリスは驚いてエリを見上げる。エリはフレッドを振り返った。
「でも、ドラゴンの肝ってかなり貴重だろ。よく手に入ったな」
フレッドはニヤリと笑った。
「ま、店を構えるとなると、それだけ伝手も資金も増えるんでね。ハリー、来いよ。案内するから」
フレッドはハリーを連れて、店の奥へと消えて行った。アリスが、エリを振り仰ぐ。
「エリ、この薬の調合に関わっていたの?」
「これの前の、色々試作してた段階でなー。とは言っても、悪戯グッズの発明はほとんどフレッドとジョージの発案だし、あたしはお菓子にする時や解毒薬の試行錯誤にちょっと口と手を出してたぐらいだけど。
下級生に募る前に、自分たちで実験してたからさ。解毒も必要だった訳だ。だから、その薬は大丈夫。あたしが保証するよ」
「エリ、凄いわ。あなたがこんなに魔法薬に詳しくなってるなんて思いもしなかった!」
ハーマイオニーは感動したように言った。
「補習の成果かしら。将来は魔法薬の研究者とか考えているの? 聖マンゴも良さそうね」
「んー……まだ分かんない。聖マンゴは他の科目が厳しそうだしなあ……それに研究者ってより、この店で働くのとか面白そう」
サラはエリ達のそばを離れ、窓の方へと向かった。
店に入って少し前向きになっていたが、再びもやもやと憂鬱な気持ちが沸き起こって来ていた。
サラはもう、闇祓いにはなれない。
闇祓いになれないのならば、いったい何を目指せばよいのだろう。自分も祖母のようになるのだと、漠然とそう思っていた。かつての祖母のように、予見の力を持つ闇祓いとして魔法省に勤める姿しか思い描いた事がなかった。
窓際には、女性客が集まっていた。どうやら、女性向け商品を集めているらしい。『ワンダーウィッチ』と書かれたPOPがクスクスとさざめき合う女の子達の頭越しに見えた。
サラは、小さなピンク色の毛玉が入れられた籠を覗き込んだ。キーキーと鳴く声、不規則な動き、どうやら生き物のようだ。色と大きささえ除けば、パフスケインに似ている。
「可愛い!」
近くで聞こえた声に、サラは振り返った。
ジニーと、それからフレッドとジョージも近くに来ていた。ハリーも店の奥から出て来ていた。
ジニーの恋愛事情にフレッドとジョージが説教しているところへ、ロンが腕いっぱいの悪戯グッズを抱えてやって来た。フレッドはにべもなく、金額を告げる。
「僕、弟だぞ!」
「そして、君がちょろまかしているのは兄の商品だ。三ガリオン九シックル。びた一クヌートたりとも負けられないところだが、一クヌート負けてやる」
兄弟の言い争いを他所に、サラは籠へと視線を戻す。そして籠の向こう、窓の外に目を留めた。
ドラコだ。母親はどうしたのか、一人で足早に通りを横切っていく。サラはハリー、ロン、ハーマイオニーを振り返る。三人もドラコの姿に気付いたようだった。
サラは窓を見て、それから店内に視線を走らせる。ウィーズリー夫人とジニーは、ピグミーパフを覗き込んでいる。ウィーズリー氏はマグルの手品用トランプに夢中だ。エリとアリスはお菓子の棚の前で話し込んでいる。そしてフレッドとジョージは接客中。
ハリーも同じ事を考えていたらしい。ハリーとサラはほとんど同時に、透明マントを引っ張り出した。
「ここに入って、早く!」
ハリーの囁きに、ロンがすぐさま応じる。ハーマイオニーは戸惑うようにウィーズリー夫人の方を見ていた。
「あ――私、どうしようかしら――」
「来ないなら私たちだけで行く」
ハーマイオニーは意を決したように、サラのマントへ潜り込んだ。
四人は混み合う店内を急いで出て、ドラコの消えて行った方へと向かった。程なくしてドラコの姿を再度発見した。彼は、ノクターン横丁へと入って行った。
ノクターン横丁も、ダイアゴン横丁と同様に――あるいはダイアゴン横丁以上に、人影が無かった。かつて、マルフォイ邸へ向かう際に経由した時は怪しげな密売人やフードを目深に被った魔法使い共魔女とも分からない物達がいたが、そう言った姿さえ見つけられない。
ドラコの足取りは迷うことなく、真っ直ぐに進んでいく。そうしてたどり着いたのは、ボージン・アンド・バークスだった。マルフォイ邸へ向かう際、暖炉を借りた店。確か、闇の魔法道具が数多く売られていた。
ドラコはここの暖炉から家に帰る、と言う訳ではなかった。そもそも、それならば母親と別行動を取る必要もない。
店の中、黒いキャビネット棚の向こうにドラコの背中が見えた。店の主、ボージンと何やら話し込んでいる。ボージンの表情は、サラには馴染み深い類のものだった――恐れ、怒り、警戒。ドラコが誰かからこんな表情を向けられているところなんて、サラは見た事がなかった。彼が怖がられるとすれば、怒りには達ない気の弱い人達から。彼は他人をからかったり魔法をかけたり決して褒められない素行もあるが、それでもサラのそれとは違っていた。
「あの人達の会話が聞こえればいいのに!」
「聞こえるさ!」
もどかしげなハーマイオニーの囁きに、ロンが興奮気味に言った。
ハリーとロンのいる辺りの地面に、ちらほらとウィーズリー・ウィザード・ウィーズの箱が現れる。サラは足を伸ばしてそれらの箱をマントの中へと押し返した。
「『伸び耳』だ!」
「どこにいるの? ここ?」
サラとハーマイオニーは、ハリーとロンの方へとにじりよる。
「ア痛ッ! サラ、それともハーマイオニーか? 今、僕の足を踏んだよ――」
「ごめんなさい……!」
ハリーの声に、ハーマイオニーが答える。ハリーかロンか、どちらかに肩がぶつかった。マント越しに、「伸び耳」で拾われた会話が聞こえて来た。
「……直し方を知っているのか?」
ドラコの声だ。
どうやらドラコは、何かの直し方をボージンから聞き出そうとしているようだった。しかし、ボージンの返答は曖昧だった。
「拝見しません事には……。何しろ大変難しい仕事でして、不可能な可能性もございます。何もお約束はできない次第で」
「そうかな?」
ドラコは背中を向けているが、声だけでその表情が見て取れるようだった。
「もしかしたら、これで、もう少し自信が持てるようになるだろう」
ドラコがボージンに歩み寄る。キャビネットに隠れてしまった姿を見ようとサラ達はじりじりと移動したが、見えたのは恐怖に凍りつくボージンの表情だけだった。
「誰かに話してみろ。痛い目に遭うぞ」
移動した拍子に離れてしまったのか、「伸び耳」からの声は小さく幽かだった。
「フェンリール・グレイバックを知っているな? 僕の家族と親しい。時々ここに寄って、お前がこの問題に十分に取り組んでいるか確認させる」
「そんな必要は――」
「必要があるかどうかは僕が決める。
さあ、もう行かなければ。いいか、あっちを完全に保管するのを忘れるな。あれは、僕が必要になる」
「今お持ちになってはいかがです?」
「そんな事はしないに決まっているだろう。馬鹿めが。そんな物を持って通りを歩いたら、どういう目で見られると思うんだ? とにかく、売るな」
「もちろんですとも、若様」
再度誰にも言うなと念押しして、ドラコは店から出て来た。四人は身を寄せ合って、ドラコとぶつからぬよう、気づかれぬよう、息を潜めてドラコが去るのを見送った。
「いったい何の話をしていたんだ?」
ロンが小声で言った。
「さあ……何かを直したがっていた……それに、何かを店に取り置きしたがっていた。何を指差してたか、見えたか?」
「いや、あいつキャビネット棚の陰になっていたから……」
「こっちも駄目。ボージンの顔しか見えなかったわ」
「皆、ここにいて」
止める間も無く、ハーマイオニーがマントから出て行った。マントで崩れた髪を撫で付けると、意気揚々と店の中へと入っていく。
「こんにちは。嫌な天気ですね?」
伸び耳から、ハーマイオニーの声が聞こえる。
ハーマイオニーは手当たり次第、商品を尋ねていく。素っ気なく返される価格。サラにはハーマイオニーが何をしようとしているか分かったし、恐らくボージンも気付いたのだろう。明らかにハーマイオニーの事を怪しんでいた。
ハーマイオニーも見破られた事に気付いたらしい。そして彼女は、引き返すどころか更に大胆な行動に出た。
「実は、あの――今ここに来た男の子、ドラコ・マルフォイだけど、あの、友達で――誕生日のプレゼントをあげたいの。でも、もう何かを予約してるなら、当然、同じ物はあげたくないので、それで……あの……」
ハーマイオニーにしては下手過ぎる嘘だった。
案の定、ボージンにも見抜かれ、ハーマイオニーは逃げるようにして店を出て来た。ボージンはハーマイオニーの後を追うようにして出て来て、「閉店」の看板を出して扉を閉ざした。
「私にはいつも、危険な事はするなって言うのに!」
ハーマイオニーに透明マントを被せながら、サラは言った。何事もなかったから良かったものの、もしボージンが邪魔者を排除しようとするような魔法使いであったなら、あるいは店内に死喰人がいたならば、ハーマイオニーは無事では済まなかっただろう。
「嘘の内容も、もう少しどうにかならなかったの? そもそも、彼の誕生日は二ヶ月前に終わったばかりだわ」
「誕生日だけじゃないだろ。やってみる価値はあったけど、君、ちょっとバレバレで――」
「あーら、なら、次の時はあなたにやってみせていただきたいわ、秘術名人様!」
二人の口論を聞きながら、サラはボージン・アンド・バークスで見た出来事を思い返していた。
ボージンを脅していたドラコ。もっと危険な者達を接客しているであろう彼が、十六の子供が杖を向けた程度であんなに怯えるとは思えない。何か、もっと怯えさせる何かがあったのだ。
だが、ドラコは何も持っていなかった。買い物した荷物すらも。きっと、荷物は運んでくれる従者がいるのだろう。もちろん、ワールドカップのテントやウィーズリー氏の車のように、見た目と収容量の異なる物を身につけている場合もあるが……。
ふと、サラの脳裏にマダム・マルキンの洋装店での彼の様子が過ぎる。左の袖をまくられそうになり、身を引いたドラコ。
――まさか。
でも、そんな事が、本当に? 彼はまだ十六だ。
思い浮かんだ推測に、サラは自信が持てなかった。この推測が正しければ、全ての行動に説明がつく。だけど、ドラコはまだ子供だ。
ヴォルデモートがドラコを死喰人に迎え入れるなんて事が、本当にあり得るだろうか?
彼はまだ十六だ。――サラとハリーだって、まだ十六だ。十六で、戦いの行く末を背負っている。
ハリーやサラに躊躇いを生じさせるため。ヘマをしたルシウス・マルフォイへの見せしめ。何だって、理由は考えられるではないか。
(ドラコが、死喰人……?)
言葉にして考えると、ギュッと心臓を鷲掴みにされるようだった。――嫌だ。そんな道は、選んでほしくない。
――どうして?
死喰人は、祖母の仇。ドラコは――あの一家は既に、祖母や父親の仇だ。今更、彼がどんな道を選ぼうと変わる事はない。サラの計画は変わらない。
そうだ、計画。
アズカバンの独房に入れられたルシウス・マルフォイを殺害する。そう決めたではないか。
すーっと心の靄が晴れていくかのようだった。試験の結果なんて、とても些細な事に思えた。
そうだ。サラはこれから、人を殺める。もちろん捕まる気はないし、そのためにアニメーガスになろうとしている訳だが、万が一と言う場合もある。
アズカバンに侵入し、殺人を行った者が闇祓いになれるなんて、どうしてそんな馬鹿げた夢を抱いていたのだろう。
闇祓いになれないなら、前科がついて日陰者になっても構わない。ルシウス・マルフォイを始末する。ハリーを死なせず、ヴォルデモートが打ち破られるようにサポートする。この二点さえクリアすれば良い。
彼が死喰人になったなら、最前線に小さな敵が増えた。ただ、それだけの事。
じくじくと疼く胸の痛みを振り切るように、サラは顔を上げた。
何も、迷う事なんてない。何も、躊躇う事なんてない。もう、サラには目指すものなど無いのだから。
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2020/11/14