「鍋の底にこれがあったけど、心当たりはあるかい?」
「あっ、はい」
薬問屋の店主の問いかけに、アリスはあたかも思いがけず見つかったように答えた。
「私の調合した魔法薬です。こんな所に混ざっちゃってたんですね。すみません」
差し出された小瓶を受け取り、荷物の中にしまいながら、そっと背後の様子を伺う。
ハーマイオニーとエリはいもり学年で使う材料や道具を見に行っているし、ウィーズリー夫妻はジニーの買い物に付き添っている。今年は魔法薬学の授業を取らないサラ、ハリー、ロンの三人も、入口の脇に留まって会話していた。誰も、アリスの小瓶がどんな物かなんて見ていない。もっとも、一目見たところでこれがどんな物か分かる者がいるとすれば、スネイプやダンブルドアぐらいであろうが。
去年の魔法省での戦い。その最中、アリスの前に現れたヴォルデモート卿。
彼から渡された魔法薬を、アリスは未だ捨てられず、かと言って誰にも話せずにいた。とは言え、万が一にも居場所を探知するような物であったらまずい。アリスの居場所を抑える事ができれば、サラの移動も泊まり先も、全て彼らの知るところとなってしまう。
そこでアリスは、小瓶を薬問屋に隠す事にした。学期の終わり、ホグワーツ特急で帰って来たその足で薬問屋へ行き、取り置きを頼んだ商品の中に小瓶を紛れ混ませた。
紛失する可能性も、薬問屋の店主がどういう物か気付いて魔法省なりダンブルドアなりに知らせる可能性もあったが、それならそれで構わないと思っていた。
(……矛盾よね)
薬問屋での買い物を終え、ふくろう郵便局で教科書やら道具やらと一緒に小瓶も預けながら、アリスはフッと自嘲するように笑った。
ここまで警戒する癖に、手放せない。相談もできない。夏休みとは言え、イギリスの新居ではナミやサラへの護衛がついていたし、ウィーズリー夫妻にでも話せば不死鳥の騎士団経路でダンブルドアへ話が伝わるだろう。話すべき相手も、明確なのに。
そして手放せない癖に、無くなっても良いと思う。薬問屋に預けている間、ふくろうに運ばれている間。どこかで紛失するかもしれない。少し、それを期待している自分がいる。
……この選択は、アリスには荷が重すぎる。
郵便局を出て、アリスは空を振り仰ぐ。鈍色の雲に覆われた空は薄暗く、アリスの心情を反映しているかのようだった。
ホグワーツでの五年目が始まる。光と影、その境界は色濃く分かれ、どちらかを選ぶ事を余儀なくされる。
アリスは、何を選べば良いのだろう。
No.6
もくもくと立ち込める白い煙と、その下を行き交う人々。その向こうには、ホグワーツ特急の赤い車両が悠然と佇んでいる。
新学期の朝もサラ達は魔法省の護衛に連れ添いながら、九と四分の三番線へと赴いた。監督生のコンパートメントへ向かうロンとハーマイオニーを見送り、サラとハリーは目で合図を交わす。
「ウィーズリーおじさん、ちょっとお話していいですか?」
ハリーが声をかける。ウィーズリー氏は少し驚いた顔をしたが、すぐにうなずいた。
「いいとも」
ダイアゴン横丁での買い物の後、ハリーもドラコの不審な挙動から彼が死喰人である可能性に思い至っていた。ハリーはその可能性を提唱したが、ロンもハーマイオニーも反応は鈍かった。
ドラコはまだ学生だ。それを、ヴォルデモートが取り立てたりするのか。
……二人は、違うから。予言を負わされたサラやハリーと違って、十六で使命を負わされるなんて突拍子もない話でしかないのだろう。このままずっとそうであって欲しいと願うと共に、明らかな違いを見せつけられた気がして、二人が少し遠くに感じられた。
輪から離れる三人に、ウィーズリー夫人や護衛の闇祓いが気付かないはずがなかった。きっと、後から何を話していたか詰められる事だろう。もっとも、ハリーもサラもあまり時間が無い。詰められるのはウィーズリー氏だ。必要があると判断すれば情報共有してくれれば良いし、話さない方が良いと判断するならそこはウィーズリー氏が頑張るまでの事。
とにかく今のサラとハリーにとって重要なのは、説教にならずに話を聞いて、そして調査につなげてくれるかという事だった。
「フレッドとジョージの店の奥にいたはずの君達とロン、ハーマイオニーが、実はどこに消えていたのか、それを聞かされるという事かね?」
ダイアゴン横丁に行った時、そこまで聞いてウィーズリー氏は言った。
サラとハリーは顔を見合わせる。
「私は、フレッドとジョージを育てたんだよ」
「……すみません。あの時、私達、店にはいませんでした」
サラは素直に謝った。どうやら、彼をみくびりすぎていたらしい。
「結構だ。それじゃ、最悪の部分を聞こうか」
「あの、僕たち、ドラコ・マルフォイを追っていました。僕とサラの透明マントを使って」
ハリーは、ノクターン横丁での一部始終を話した。ドラコはボージン・アンド・バークスへ向かった事。そこで、店主を脅し何かの修理をさせようとしていた事。脅しのために、何かを見せた事。
ドラコが死喰人なのではないか、というハリーの推測には、ウィーズリー氏もロンやハーマイオニーと同じ反応だった。
「ハリー、『例のあの人』が十六の子を受け入れるとは思えないが――」
「私とハリーも、まだ十六です」
それまで説明をハリーに任せていたサラが、口を開いた。
「同級生なら私達に躊躇いが生じるとでも踏んだか、あるいは学校での様子を探るためか……またはその逆。十六の子供が死喰人の任務なんてこなせるはずがない。そう見込んで、失敗したルシウス・マルフォイへの見せしめにするという事だって考えられます」
ウィーズリー氏はキュッと口を真一文字に結び、眉根を寄せた。いくら仇敵の息子とは言え同情心を抱いたのか、それともやはり突拍子も無い話だと思ったのか、それはサラには分からなかった。
「調べてみる価値がありませんか? マルフォイが何かを修理したがっていて、そのためにボージンを脅す必要があるのなら、たぶんその何かは、闇の物とか、何か危険な物なのではないですか?」
「正直言って、ハリー、サラ、私はそうではないように思うよ」
ウィーズリー氏は言い諭すようにゆっくりと答えた。
「いいかい。ルシウス・マルフォイが逮捕された時、我々は館を強制捜査した。危険だと思われる物は、我々が全て持ち帰った」
「何か見落としたんだと思います」
「もしくは、捜査の後に手に入れた物か――館以外の場所に隠しているか」
「ああ、そうかもしれない」
ウィーズリー氏は肯定を返したが、本気で疑っているような答え方ではなかった。
ホームに汽笛が鳴り響き、それ以上ウィーズリー氏を説得する事はできなかった。サラとハリーは急いで汽車に駆け込み、ウィーズリー夫妻が後から押して来てくれたトランクを車内へと引き込んだ。
「さあ、クリスマスには来るんですよ。ダンブルドアとすっかり段取りしてありますからね」
サラは、ピクリと口の端を動かし、窓を振り返った。ウィーズリー夫人は動き出した汽車に合わせてホームを歩き、更に小走りになりながら、話を続けていた。
「――それから、危ない事をしないのよ!」
追いつけなくなるギリギリまで喋り倒し、ウィーズリー夫人は窓の横から消えた。サラとハリーは窓から顔を出し、夫妻が見えなくなるまで手を振っていた。
「ウィーズリーおじさん、僕たちの話を信じてくれたかな?」
「……どうかしら。あまり深刻に捉えているようには見えなかったわね」
ロンとハーマイオニーはもちろん、監督生用のコンパートメントだ。ジニーはすぐに見つかったが、ディーンと約束しているとの事だった。エリとアリスも、それぞれ寮の友達の所へ行ってしまったらしい。
ネビルやルーナと合流し、四人は連れ立って空いてるコンパートメントを探して歩き出した。――否、周りにいた女子生徒達も一緒に歩き出したので、四人とは言えないかもしれない。彼女達は明らかにサラ達について来ていたが、何か話しかけて来るでもなく、ヒソヒソクスクスと笑い合っていた。
「……知り合い?」
「いや……」
そっと尋ねるサラに、ハリーは気まずげに首を振る。
「皆、君達を見たいんだと思うよ」
ネビルが、後ろの女子生徒達に聞こえないよう控えめに言った。
「君達には初めての事じゃないと思うけど……」
「尾行け回されてまで眺められるのは初めてだわ」
「あの子達は、ハリーと仲良くなりたいんだ。もしかしたら一緒に座れるかもって、期待してるんだよ」
サラはちらりと背後を振り返る。特に声を潜めなかったサラとルーナの声は聞こえたらしく、彼女達は歩を緩めて少し距離を取っていた。
それでも女子生徒達は偶然同じ方向に向かって席を探している風を装い続けたし、サラ達に集まる視線は彼女達のものだけではなかった。
ようやく空いているコンパートメントを見つけ、ハリーは逃げ込むように中へと入った。
「皆、僕たちの事まで見つめてる。僕たちが、君達と一緒にいるから!」
ハリーの後に続いてコンパートメントへと入りながら、ネビルが言った。女子生徒達のお目当てはハリーのようだが、ここへ来るまでに他の生徒達から向けられた好奇の目はサラはもちろん、ネビルやルーナへも向いていた。
「皆が君達を見つめてるのは、君達も魔法省にいたからだ。あそこでの僕達のちょっとした冒険が、『日刊予言者新聞』に書きまくられていたよ。君達も見たはずだ」
「うん。あんなに書き立てられて、ばあちゃんが怒るだろうと思ったんだ。でも、ばあちゃんたら、とっても喜んでた。僕がやっと父さんに恥じない魔法使いになり始めたって言うんだ。新しい杖を買ってくれたんだよ。見て!」
ネビルは杖を取り出して、ハリーに差し出した。
「桜とユニコーンの毛。オリバンダーが売った最後の一本だと思う。次の日にいなくなったんだもの――おい、こっちにおいで、トレバー!」
ネビルのヒキガエルのトレバーは、いつもの如く脱走を試みようとしていた。ネビルは後を追って、座席の下に潜り込む。
「ハリー、今年もDAの会合をするの?」
ルーナがクィブラーを開き、メラメラ眼鏡を取り出しながら問う。ハリーは首を振った。
「もうアンブリッジを追い出したんだから、意味ないだろう?」
「授業で守護霊の呪文を扱ってくれるかしら」
サラはぼやく。習得できず仕舞いになってしまった呪文だけでも、どうにかマスターしたい。――アズカバンへの潜入を目論むなら、尚のこと。
個人授業を頼めば、ハリーは教えてくれるかもしれない。だが、使用目的を考えると、そこにハリーを巻き込んでしまうのは憚られた。対複数人の中で身に付けたのであれば、罪悪感も薄れるのだが。
ガアンと酷い音がして、サラは足下を見下ろす。座席の下から出ようとしたネビルが、思いっきり頭をぶつけたらしい。
「大丈夫?」
「うん。ありがとう、サラ。――僕、DAが好きだった。君からたくさん習った!」
「あたしもあの会合が楽しかったよ。友達ができたみたいだった」
ネビルの言葉に、ルーナも同調する。
それ以上、DAの話を続ける事はできなかった。コンパートメントの外が騒がしくなったのだ。見れば、さきほどの女子生徒達がガラス戸の向こうでヒソヒソ、クスクスとやり合っていた。
「あなたが聞きなさいよ!」
「いやよ、あなたが――」
「何か用なの?」
ガラリと扉を開け、サラは苛立ちを隠さずに尋ねた。
女子生徒達は怯んだ様子で顔を見合わせる。そして、瞳の大きな黒髪の女子生徒が答えた。
「えっと……私達、ハリーをコンパートメントに招待したくて」
「だそうだけど? ハリー」
サラは振り返る。ハリーはぎょっとしたように身を竦ませた。サラが追い返してくれる事を望んでいたようだ。
「えーと……」
「こんにちは、ハリー。わたし、ロミルダ。ロミルダ・ベイン」
女子生徒はサラの身体の横からコンパートメント内へと顔を突き出し、早口に言った。
「私たちのコンパートメントに来ない? えっと……サラ、あなたも良かったら。この人達と一緒にいる必要はないわ」
そう言ってロミルダは、ネビルとルーナを指差す。
「『この人達』は僕の友達だ」
「あら。アー……そう、オッケー」
ロミルダは驚き、それから少し気まずそうにコンパートメントを出て行った。
「お目当てはハリー、私には気を遣ってってところかしらね。ネビルとルーナにも同じように気を遣っても良いと思うけど」
「皆、ハリーにはあたし達よりもっとかっこいい友達を期待してるんだよ」
「君達はかっこいいよ。あの子達の誰も、魔法省にいなかった。誰も僕と一緒に戦わなかった」
話題がふくろう試験の成績へと移り、サラはトイレに行くと言いおいて席を立った。
コンパートメントの外に出て、サラは透明マントを持って来なかった事を後悔した。もっとも、持って来ていても生徒達の視線が集まる中では到底かぶれそうにないが。
本当にトイレに行きたい訳ではなかったが、他に用もないのでとりあえず前方車両へと向かう。数歩も歩かぬ内に、レイブンクローの制服に着替えた男子生徒に呼び止められた。確か、DAのメンバーだった生徒だ。少し先のコンパートメントからは、彼の友達と思われる男子達が顔を覗かせ様子を伺っていた。
「えーと、やあ。サラ、久しぶり」
「久しぶり……」
怪訝に思いながら、サラは返す。久しぶりではあるが、彼と直接会話をした覚えは無い。特別挨拶を交わすような仲でもないはずだ。
「えっと、僕の事、分かる?」
男子生徒は不安げに尋ねる。
「DAにいた――」
そこまで答えると、男子生徒はホッと安堵した表情になり言った。
「うん。良かった、覚えていてくれて。その……良かったら、どうだろう。僕たちのコンパートメントに来ないかい? 他の皆もいるんだ」
サラは目をパチクリさせる。
ようやく気がついた。どうやら自分は、先ほどのハリーと同じ目に遭っているようだ。
「でもあなた、確かチョウ・チャンと付き合ってるって……?」
「それはマイケルだよ!」
彼はショックを受けたように叫んだ。
「ごめんなさい」
「あ、ああ、いや、大丈夫。こっちこそ大きい声を出したりしてごめん。えっと、僕はテリー・ブートだよ。それで、どうだろう。僕たち、君とずっと話したかったんだ」
「……魔法省での事なら、詳しく思い出すつもりも話すつもりもないわ。日刊予言者新聞でも読んでくれれば十分よ」
サラは剣呑な目つきで彼を見る。
学校へ行けば、昨年度末の神秘部での戦いについて、色々な人が聞きたがるのだろうと言う事は予想していた。
「違うよ! 僕たち、そんな事……父親を失った君の気持ちは分かるつもりだ。辛い事を思い出させるつもりなんてない。本当に、ただ、君と話したいだけなんだ」
「私は別に話したい事はない」
にべもなく告げて、サラはまた歩き出す。
そしてまたすぐ、今度は女子生徒達に呼び止められた――先頭に立って声をかけて来たのは先ほどコンパートメントに来た女子生徒、ロミルダ・ベインだ。
「えぇっとぉ……私達、サラに確認したい事があって……」
ロミルダは口ごもり、友達を振り返る。
頷き合って、それから、意を決したように言った。
「あなたとハリーって、恋人同士なの?」
――恋人。
「……違うわよ」
「え……アー……もしかして、伝えてないだけで、好き、とか……?」
「違うわ」
間が空いたせいか不安げに問うロミルダに、今度は間髪入れず返す。
「サラ!」
女子生徒達の向こうから、ロンとハーマイオニーがやって来た。どうやら、監督生たちの集まりは終わったようだ。
「ん? 何か話し中? それなら、僕たち先に……コンパートメントはまだ向こう?」
「大丈夫。終わったところよ。一緒に戻りましょう」
サラはロミルダに背を向け、ロンとハーマイオニーを急かすように元来た道を戻って行った。
戻りながら、キュッと僅かに下唇を噛む。
――恋人。
サラにとって、それはただ一人だった。でも今は違うのだ。違うのに、その問いを投げかけられた時、脳裏に浮かんだのは彼だった。
ドラコ・マルフォイ。
おばあちゃんの仇。
ホグズミード駅到着までずっとロンとハーマイオニーと一緒にいる事はできなかった。新しい教授、スラグホーンからの呼び出しがあったのだ。
呼び出されたのはサラ、ハリー、ネビルの三人で、辿り着いたコンパートメントには、困惑顔のジニーの姿もあった。
「こちらのマーカス君に今、話していたところなんだが、私はマーカスのおじさんのダモクレスを教えさせてもらってね――」
集まった面々をサラ達に紹介すると、ペラペラとスラグホーンは話し出した。話の内容は、やれ誰の親戚とどう言う繋がりがあるだの、誰の親戚はどんな偉業を成しただの、どうにも聞き流しがちになる内容だった。どうやらここに集められたのは、有名人を身内に持つ生徒達らしいと言う事は理解できた。
スラグホーンの態度は露骨だった。ドラコのように自慢をする訳でも、直接的な嫌味を言う訳でもない。しかし、身内の有名人と疎遠だと分かれば招待した生徒をいない者のように扱ったし、自分が知る以外にも有名人の知り合いがいると分かれば上機嫌になって話を聞きたがった。
「さあ、今度は」
マーカス・ベルビィ、コーマック・マクラーゲン、ブレーズ・ザビニ、そしてネビルの面談を終えた後、スラグホーンはネビルの隣のハリーへと向き直り、少し言葉を切った。
「ハリー・ポッター! いったい何から始めようかね? 夏休みに会った時は、ほんの表面を撫でただけ、そう言う感じでしたな! ハリー、そしてサラ。『選ばれし者』――今、君達は、そう呼ばれている!」
親戚の話と言う事でサラザール・スリザリンでも出してやろうか、と思ったがサラは懸命に口をつぐんだ。
ダンブルドアがわざわざ事前に彼に引き合わせたと言う事は、彼に気に入られる事が必要な事なのだろう。それにそもそも、スラグホーンはスリザリンの寮監だった。サラザール・スリザリンを血筋に持つと言う事を、マイナスに捉えてくれるとは限らない。
スラグホーンは神秘部の戦いの話を持ち出して来た。そして、日刊預言者新聞に散々書かれた噂。予言の話。
「僕達、予言を聞いてません」
ネビルが真っ赤になりながら口を挟んだ。予言は、タラントレグラをかけられたネビルの足に蹴り飛ばされ、割れてしまったのだ。
予言の内容自体はダンブルドアの記憶に記されていた事は、彼は知らない。ジニーが、援護射撃した。
「ネビルも私もそこにいたわ。『選ばれし者』なんて馬鹿馬鹿しい話は、日刊予言者のいつものでっち上げよ」
「君達二人もあの場にいたのかね?」
スラグホーンは驚き、続きを促すように二人に微笑んだが、二人ともそれ以上は何も話さなかった。
「そうか……まあ……『日刊予言者新聞』は往々にして、記事を大袈裟にする……」
そうは言ったものの、スラグホーンは納得していない様子だった。
彼の著名な教え子達の話は、窓の外が夕闇に染まるまで続いた。
サラ達を解放する時、スラグホーンはサラ、ハリー、ジニー、マクラーゲン、ザビニにはいつでも来るように言ったが、ネビルとマーカス・ベルビィには何も言わなかった。
「終わって良かった」
通路を歩きながら、ネビルは心底ホッとしたように言った。
「変な人だね?」
「ああ、ちょっとね」
答えながら、ハリーは前を行くザビニを睨みつけていた。
スラグホーンとの会合中も、ザビニは事ある毎にハリーに嫌味な態度を取っていた。
「ジニー、どうしてあそこに来る羽目になったの?」
「ザカリアス・スミスに呪いをかけているところを見られたの」
どうやらジニーは、ザカリアスに魔法省での事をしつこく聞かれたらしい。あまりにしつこいものだから呪いをかけてやったところ、スラグホーンに目撃され、叱られるどころか気に入られた、という事らしかった。
「訳の分からない理由よね?」
「母親が有名だからって招かれるより、まともな理由だよ。それとか、おじさんのせいで――」
急にハリーは黙り込んだ。サラは怪訝に思い、ハリーを見る。ハリーはじっとザビニの後ろ姿を見つめていたかと思うと、サラに囁いた。
「サラ、透明マントだ」
「え?」
コンパートメントから出れば、またあちこちからジロジロ見られたり呼び止められたりする。回避しようとハリーとサラは、透明マントを持ってコンパートメントを出て来ていた。ハリーとサラがいたコンパートメントの周りは既にギャラリーが多く集まっていて、とても突然消える事ができるような状態ではなかったため、結局使う事はできなかったが。
「ザビニは、スリザリンの六年生が集まるコンパートメントに戻る。そこにマルフォイもいるかもしれない。仲間内なら、何か口を滑らせるかも」
サラは眉を潜める。ハリーの提案は、あまりにも無鉄砲に思えた。
「それ、上手くいくかしら――何も話さないかもしれないし……」
「でも、やってみる価値はあるだろう? 二人とも、後で会おう」
止める間も無く、ハリーはジニーとネビルに言うと、透明マントを被った。
ネビルが目を瞬く。
「何を――?」
「あとで!」
ハリーは囁き声を残して――見えないので恐らくだが――ザビニを追って行った。
サラは小さくため息を吐くと、気が進まないながらも透明マントを被り、ハリーの後に続いた。
昼間、あれだけ大勢の生徒達が行き来していた通路は、今や空っぽだった。駅が近い。皆、自分のコンパートメントに戻って、荷物をまとめたり、着替えたりしている頃なのだろう。
いくらか進んだところで、ザビニは一つのコンパートメントの前で立ち止まった。
サラは急いでザビニのすぐ後ろまで距離を詰める。そしてガラス戸越しに中を見て、動きを止めた。
ハリーの目論見通り、ザビニが向かったコンパートメントにはドラコもいた。ドラコ、ビンセント、グレゴリー、それからパンジー。
ビンセントとグレゴリーの向かいの座席をドラコは悠々と使って寝そべり、その頭をパンジーの膝に載せていた。
サラはふいと背を向け、その場を立ち去った。扉が押し留められ、ハリーが無理矢理侵入したのがわかったが、後に続く気にはなれなかった。
物言わずに足早にコンパートメントに入って来たサラに、ハーマイオニー達は目を瞬いた。ネビルとルーナも、既にコンパートメントに戻っていた。
「どうしたんだい? ハリーは一緒じゃないの?」
ロンの問いにも答えず、サラは窓枠に頬杖をつきそっぽを向く。
ロンがハーマイオニーと顔を見合わせ、軽く肩を竦める姿が窓に写り込んでいた。
目を瞑ると、今し方見かけたコンパートメントの様子が瞼の裏に蘇る。ドラコとビンセントとグレゴリー。お馴染みのメンバーの中に加わっていた、一人の女子生徒。パンジー・パーキンソン。彼女の膝に、ドラコが頭を乗せる姿。
目頭が熱くなるのを感じて、サラはキッと窓の外を睨んだ。眉根を寄せ、口を真一文字に結んで堪える。
――ショックなんて、感じる事じゃない。
彼は、敵だ。彼の父親は、祖母の仇。そしてドラコも、その父親の味方についている。
彼に離別を言い渡したのは、サラ自身。もう、一年半も前の事だ。……なのに。
肩の震えを抑え、眠るふりをしてサラは袖口に目元を押し付けた。
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2021/04/10