――良い気味だ。
ドラコはフンと鼻を鳴らし、ホグズミード駅へと降り立った。汽車から溢れ出た生徒達は、もうそのほとんどが駅を出て行っていて、駅の出入口の人混みも、もう間も無く途絶えようとしていた。
ドラコ達のコンパートメントに、ハリー・ポッターが侵入した。彼自身は透明マントを被って上手い事忍び込んだ気でいたようだが、当然ドラコが気付かないはずもない。
油断しきっていた彼はあっさりと石化呪文を食らい、無様な姿をドラコの足元に晒す事となった。
ルシウスを投獄された恨みを込めて、その鼻をへし折ってやった。これしきで仇が取れたとは思わないが、ダンブルドアのすぐそばで事を起こすのはリスクが高い。
彼の被っていた透明マントを、丁寧に被せ直した。冷たい床に転がりロンドンへと戻って行く惨めな姿を思えば、多少は胸がすくような気持ちだった。
パンジー達も、もう駅を出て馬車の所で待っている事だろう。出口へと急ごうとしたドラコは、人波に逆らって駅へと入って来た少女を見て足を止めた。
駅へと入って来た少女もまた、ドラコを見て足を止める。灰色の瞳が、真っ直ぐにドラコに向けられていた。
No.7
彼女の背後にあった人混みが、遂に最後の一人まで駅の外へと出た。喧騒が遠ざかっていく。
張り詰めた空気の中、彼女が先に動いた。ドラコの横をすり抜けて行こうとする。ドラコは一歩横に動き、彼女の前をふさいだ。
彼女の双眸が、胡乱げにドラコを見上げる。
「……何のつもり?」
「それはこっちの台詞だ。もう間も無く汽車が出る。ロンドンへ帰るつもりか?」
「あなたには関係ないわ」
「そうはいかない。僕は監督生なんでね。学校のルールから外れようとする生徒がいるなら、罰を与えないと」
去年、監督生の権限を与えられてから、たてつく奴らに向けて幾度となく吐いて来た台詞。
なのに、このこみ上げてくる違和感は何だろう――その感情の正体から目を背けながら、ドラコは灰色の瞳を見つめ返す。
彼女の眉根が寄せられ、口元が薄く笑った。
「あら。さすがは監督生様。人間社会のルールには寛容なのに、学校のルールにはずいぶん従順ですこと。それとも、身内ならルールの適用外なのかしら?」
鋭い鉤爪の付いた手で内臓を鷲掴みにされたかのようだった。
元々、皮肉や辛辣な言葉も吐く子だった。だが今の彼女の言葉は、気の置けない仲間内でのやり取りとは違った。鋭い刃のように抉ってくるその様は、まるでどんな言葉がドラコを動揺させるか理解し尽くしているかのようだ。
彼女の前に立ち言葉を交わすのは、闇の帝王の眼前に出て命令を賜ったあの時のようだった。
「……あれは、父上のせいじゃない」
掠れた声が思わず漏れ出る。夜の冷えた空気が、よりいっそう冷たくなった気がした。
「『脅されていたから仕方ない』――そう言うつもりかしら? ヴォルデモートが力を失っていた、あの頃に?」
平然と紡がれた名前に、ドラコはビクリと肩を揺らす。
「どうしたの? ――あなた達のボスでしょう?」
ドラコは息を飲んだ。
――あなた達の。そう、彼女は言った。
「……どういう意味だ? 何が言いたい?」
「あら、何か間違った事を言ったかしら? 私は魔法省であなたのお父様を見たわよ。死喰人の仲間達と共に、あの仮面を被ってご主人様のご命令を遂行しようとする姿を」
「……」
ルシウスのボスだと、そういう意味で言っただけだろうか。
そもそも、彼女が知るはずもない。気付いているはずがない。ドラコが、ヴォルデモートから指令を受けているだなんて。
「……死喰人の末路なんて、ロクなものじゃないわよ」
――本当に、気付いていないのか? 何か言い諭そうとしていないか?
「……どちらが間違っていたかは、いずれ分かる」
彼女の表情が、少し揺れ動いた気がした。だがその表情が何を示すのか、どういう感情を表しているのか、ドラコには読めなかった。
「……そう。そこまで心酔しているのね」
ドラコは鼓動が速くなるのを感じていた。家族に対して、こんな言い方はしないのではないか? 闇の帝王の事を言っていないか?
でも、まさかそんなはず、という思いも捨てきれない。下手に尻尾を出す訳にはいかない。まだ、学校に着いてさえいないのだ。
「サラ? そこで何をしているの? 急がないと、もう皆、学校へ向かっているわよ」
声がして、ドラコもサラも駅の出入口を振り返る。
青白い顔をした細身の魔女が、駅へと入って来た。
「トンクス」
サラが魔女の名前を呟き、彼女へと駆け寄る。
ドラコは魔女へと目を向ける。それは、交流の無い親戚の苗字だった。――もっと、明るく派手派手しい容貌の印象だったが。
「ハリーがまだ汽車から降りて来ていないの。最後に一緒だったのは三両目で、もしかしたらまだそこに――」
トンクスが片手を挙げてサラの言葉を制す。
「分かったわ。ハリーの事は任せて、あなたは学校へ行って。馬車もまだ一台残ってるから」
トンクスの目が、ちらりとドラコに向けられる。それから声を落として、サラに何か尋ねる。気分が良いとは言えないやりとりだったが、サラの回答でどんな話かは予想が付いた。
「……いいえ、大丈夫よ。彼もこんな所で事は起こしたくないでしょうし」
大方、死喰人の息子だと気付いて護衛を呼ぶかと打診でもされたのだろう。
「それじゃあ、ハリーの事、お願いね」
「ええ。任せて」
トンクスに託すと、サラはあっさりと踵を返した。出口の所で立ち止まると、ドラコを振り返る。
「どうしたの? 行かないの?」
ドラコは、ちらりと汽車の方へと一瞥をくれる。
車両まで特定していたとは言え、ハリーは透明マントを被った状態だ。……そう簡単には、見つかるまい。例え見つかっても、これから探せば遅刻は確定だ。
ドラコは押し黙ったまま、サラの後についてホグズミード駅を後にした。
駅を出て、そこに止まった馬の無い馬車を見て、ドラコはハッと気が付いた。
残っている馬車は一台。要するに、二人ともこれに乗るしかないのだ。大勢の生徒が駅から流れ出てくる中で、待ち合わせは無理だと思ったのか、ドラコが先に行ったと思ったのか、もうクラッブやゴイル達は残っていなかった。
「乗らないの? 監督生さんが遅刻はまずいんじゃない?」
サラの声が馬車から降ってくる。彼女は、嘲るように微笑った。
「それとも段差が大きいなら、エスコートして差し上げましょうか?」
「……必要ない」
ドラコは短く答えると、馬車へと乗り込んだ。
暗い坂道を、馬車はホグワーツ城の方へと上っていく。二人きりの馬車の中は、酷く重苦しい空気だった。
せめて御者がいれば、せめて引いている馬がいれば。この際、闇祓いでもダンブルドアの手先でも何でも良い。サラが護衛を断らなければ、少なくとも二人きりは免れたろうに。
「……ポッターの事、僕には言わなかったな」
「言ったとして、私を通すなり探すなり対応した?」
「……」
ドラコは黙り込む。
彼を汽車に置き去りにしたのは、ドラコだ。告げた車両からして、恐らくサラも勘付いている。ハリーがドラコ達のコンパートメントに潜り込んだ事も、その後何かあって――一人遅れて降りて来たドラコによって、ハリーが降りられない状態にある事も。
置き去りにしてやろうとした相手を自ら助けるなんて、そんな馬鹿げた事をする者はいないだろう。
再び、重苦しい沈黙が車内に満ちる。
「……あなたは、今も見えない?」
ぽつりと、サラが呟いた。
サラは窓に額を寄せ、ぼんやりと前方を見つめていた。
「何が?」
「セストラルよ。ハグリッドが授業で話していたでしょう。馬車を引いているって」
「僕があの木偶の坊の話をまともに聞くとでも? もっと建設的な事に時間を使うね」
「授業態度としては感心できないわね、監督生さん」
脅しに使った言葉を、なかなかしつこく引っ張ってくる。
「見えないなら、そのままの方がいいわ」
「そんなに酷い容姿なのか?」
ドラコはフッと鼻で笑う。話し方こそ冷ややかではあるが、比較的普通の会話になった事に内心胸を撫で下ろしていた。
窓の外が明るくなる。城へと着いたのだ。正面扉の前まで来て、ドラコ達の乗る馬車も停止する。
最後の一団が、玄関ホールへと列を成して吸い込まれていくところだった。
ドラコは馬車を降り、その前方に目をやる。馬車と馬車の間に、ぽっかりと空いた空間。ドラコの目には何も映らないが、ここにセストラルという生き物がいるのだろう。
「きっと、あなたのお父上様も見えるのでしょうね」
馬車を降りて来たサラが、ドラコの後ろに立っていた。
彼女の視線も、馬車の前方へ向けられていた。ドラコとは違い、そこにいる生き物を捉えているのだろう。
玄関ホールへの列が途切れ、扉が閉じられる。細く漏れていた明かりが扉の向こうへと閉ざされ、辺りが闇に沈む中、サラは淡々と告げた。
「……セストラルは、『死』を見た人にのみ、見える生き物だから」
崖の淵から急に突き落とされたようだった。
サラは城の扉の方へと立ち去っていく。ドラコは後を追う事もできず、その場に立ち尽くしていた。
ルシウスはドラコより何年、何十年も生きているのだから、誰かの死を見た事もあるかもしれない。だが、サラが確信を持って言ったのは、そういう話ではない。
ルシウス・マルフォイが、サラの祖母を屠ったから。サラの目の前で。
『見えないなら、そのままの方がいいわ』
サラの言葉が、頭の中で反響する。
ドラコは自分の掌を見つめる。汚れも傷も何も無い、ただ守られて来た者の手。
この使命を終えた時、ドラコもセストラルが見えるようになるのだろう。……父親と同じ、立ち位置で。
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The Blood
第3部
己が道を往く
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2021/06/05