闇の中、影が蠢く。郊外に佇む白い屋敷を、コートに帽子と言ったマグルとさして変わらない井出達の者達が取り囲む。ただマグルとは異なる事に、どの人物もその手には杖を握っていた。
1926年某日、アメリカ合衆国某所。グリンデルバルドの潜伏先を突き止めたアメリカ魔法省――マクーザの闇祓い達は、突入の機会を伺っていた。
暗がりの中、彼らは建物を包囲するように広がり、じわりじわりと歩を進める。
不意に、青白い光が迸り闇を切り裂いた。闇祓い達は散り散りに吹き飛ばされ、地面に身を横たえる。
彼は片方の膝をつき、数メートル後ろへ弾き飛ばされながらも何とか持ちこたえた。長いマフラーが、風にはためく。
即座に杖を構え、立ち上がった彼の喉元に、杖が突きつけられる。白くにいくつかの模様が描かれた、凹凸のある特徴的な杖。杖の主は彼の背後に陣取り、耳元で囁いた。
「安心するがいい。君の部下達は、私が連れて帰ってやろう」
「くっ……」
光が炸裂する。
後は闇に包まれ、何もわからなくなった。
No.1
「魔女は我々の命を脅かす、撲滅すべき存在……か。これだけの事が起こったら仕方がないとは言え、あまり気分の良いものじゃないわね」
足元へと飛んで来たビラを拾い上げ、白髪の少女は顔をしかめた。
ヨーロッパで勢力を拡大したグリンデルバルドは、数々の事件を引き起こした。その一部はマグルも目にするところとなり、その脅威に恐れ戦いた彼らは魔法界を厭い、世界は魔法使いとマグルの戦争勃発の危機に瀕していた。
ビラを配っているのは、マグルの子供たちだった。道行く人々は、魔法使いの是非にはあまり関心がないようで、差し出されるビラを無視して足早に過ぎ去って行く。
ビラを配っている少年の一人が、渡そうとしていた相手とぶつかり、ビラを取り落とした。他の子供達に比べて、大きな少年だった。もしかしたら、青年と呼べる年齢かもしれない。
落ちたビラは風に煽られ、散乱する。少年が拾おうと掴んだビラを、男の靴が踏みつける。
「邪魔だ」
吐き捨てるように言って、男は去って行った。
少年は何も言わず、ずっとうつむいたままだった。しゃがみ込み、地面に散らばったビラを集め始める。見ていられず、少女は自分の方へと飛んできたビラを集めると、少年の元へと歩み寄った。
差し出されたビラの束に、少年は顔を上げる。そして直ぐに視線をそらした。
「大丈夫?」
少年は目を泳がせ、うなずいたのかうつむいただけなのか分からない程度に首を縦に振った。立ち上がり、引っ手繰るようにビラを受け取る。少年の態度を気にする事もなく、少女は自分より遥かに背の高い彼を見上げ、明るい声で問うた。
「魔女はお嫌い?」
少年は困惑したように辺りを見回す。しかし、どの子供も彼より小さく、その上ビラを配るのに必死で、慣れない初対面の人物との会話を取り持ってくれそうにはなかった。
「……魔女は、悪いものだから。僕たち人間を殺そうとするって、お母さんが」
「あなた達を殺そうとしない魔法使いだったら?」
少年は口をつぐみ、おどおどと視線を泳がせる。少女は微笑んだ。
「ごめんなさいね。変な事聞いちゃって。これ、貰って行くわ」
最初に足元から拾い上げたビラを軽く掲げて見せると、白髪の少女は少年に背を向けその場を立ち去った。
ビラ配りの子供達から大して離れない内に、辺りは騒々しさに包まれた。サイレンの音が鳴り響き、白い大階段の前に人が集まっている。建物には入場規制がかかり、マグルの警察が捜査をしている。
出入りする者達の中には制服を着た警察だけでなく、帽子にコートを着た者たちもいた。その一人の手元に、少女は目を止める。ポケットに入れた手。コートと腕の間にちらりと見えた杖。
少女は警察の間をそっとすり抜け、彼らの方へと駆け寄った。帽子をかぶった男と、長いマフラーを前に垂らした男の二人組だった。
「石化呪文を掛けられていたノーマジの処理は終えました。一連の事件と、関係が……?」
「ストリートの方で起きた事件については、獣の仕業だ。獣が石化呪文は使わないだろう」
「マクーザの方?」
少女の問いかけに、二人は振り返る。そして、怪訝気な顔をした。
「あら、違ったかしら? アメリカ合衆国魔法議会……」
「何だね、君は。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。外へ――」
咎めるマフラーの男に、少女は広げた羊皮紙を突き出す。男は、書面を読み上げた。
「マリア・シノ。イギリス魔法省魔法大臣特務捜査官――君のような子供が?」
疑るような目つきで、二人は麻理亜を見下ろす。彼らの基準では、麻理亜は高く見積もってもせいぜい十四、五歳程度の子供にしか見えなかった。身長の低さを踏まえれば、イルヴァーモーニーに入学したての新入生と言われても信じられるだろう。
「グリンデルバルドがこちらで消息を絶ったでしょう。お話を聞きたいのだけど。ここで、何かあったの?」
「私は議長への報告を急ぐ。彼女の相手を」
マフラーの男は部下に麻理亜を任せると、マグル達から目に付かない物陰へ行き「姿くらまし」してしまった。
麻理亜は書面を鞄にしまいながら、残された帽子の男へと視線を移す。彼は、麻理亜について来るように視線で示した。マグルの警察とはそれとなく離れながら、彼は話した。
「あいにくですが、グリンデルバルドの件とは関係がないでしょう。金庫破りのようです。犯人は二人組の男。一人はノーマジで、素性も分かっています。ジェイコブ・コワルスキー。缶詰工場の従業員で、犯行の前にはパン屋を設立するための資金の申請に来ていたのだとか。もう一人の方は、魔法使いだったようです。犯行を目撃した銀行員の男性が、石化呪文をかけられていました」
「ノーマジ?」
聞き慣れない単語に、麻理亜は尋ね返す。帽子の男はうなずいた。
「ええ。ノーマジと手を組んで犯罪を行うなんて、まったくもって言語道断。余罪として、三条のAにも反する――」
「待って、そうじゃなくて。『ノーマジ』って、何?」
帽子の男は眉を顰める。何を当たり前の事を聞いて来るのかという顔だった。
「非魔法使いですよ。ノー・マジック」
「ああ、なるほどね」
男は小さく溜息を吐き、目をそらす。その些細な動作を、麻理亜は見逃さなかった。
「今、『これだから子供は』って思ったでしょう」
ぎくりと彼は麻理亜を見下ろす。麻理亜は腰に手を当て、彼を見上げた。
「違うわよ。私達の国ではマグルって呼んでいるの。ただの言語の違い。それで、盗まれたものは?」
「ありません」
「は?」
「窓口のあるメインフロアでもスリをしていたようですが、盗んだ金品は全て金庫の中に置いて逃げたようです。金庫の中のものは、全て無事でした。スリについては、これから被害申請が出る可能性もありますが……」
麻理亜は顎下に手を当て、考え込む。犯人はいったい、何がしたかったのだろう。金庫まで侵入して、盗んだものをその場にひっくり返して逃亡? 相当ドジな強盗で、転んだりでもしたのだろうか。ただの金銭目的のコソ泥?
「確かに、あなたの言う通り、グリンデルバルドとは関係がなさそうね……。金庫にあった物で、何か古い物とかはあった? 貴金属じゃなくてもいいわ。例えば、石か宝石の類とか、マントとか」
「マント?」
「ほら――魔法使いなら、透明マントとかあるでしょう。マグルの警察の判断に任せたら、ただの衣類に分類されちゃいそうだけど」
「なるほど。いえ、衣類は何も。金庫に入っていたのは、貴金属と宝石のみだそうです。金庫内については、なくなったものはないと所有者に確認が取れています」
「スられた方の中にマントや宝石の類は?」
「そちらも衣類はありませんでした。コインや宝石ばかりで。まだ、ノーマジが証拠品として押収したままかと。ご覧になりますか?」
「ええ。念のため、お願い」
結局、盗品の中にグリンデルバルドに繋がりそうな物は発見されず、その日は何の収穫も得られぬまま、ホテルへと戻った。
明日は魔法省、もとい魔法議会を訪ねてみようか。しかし、公の捜査情報は基本的にイギリス魔法省へも公式ルートで伝わっている事だろう。ただ話を聞きに行ったところで、得られる情報は同じである可能性が高い。むしろ、何のアポイントもなしに改めて現地に魔法省の肩書を背負って訪れるなど、まるで抜き打ち査察のようで悪印象を与え兼ねない。
街中で、ガス爆発があったような話も聞いた。まるで、繰り返し頻発しているかのような話され方だった。そちらについて探ってみようか。
脱いだコートのポケットから、はらりと一枚の紙が落ちる。昼間、マグルの子供達が配っていた反魔法使いを訴えるビラだった。
「新セーレム救世軍ねぇ……」
署名された発行団体の名前を読み上げる。グリンデルバルドによる犯行。マグルの世界にも及んでいる脅威を思えば、彼らの反応は致し方ない。麻理亜達にできるのは、一刻も早くグリンデルバルドを捕らえる事のみ。
麻理亜の脳裏に、昼間出会った少年の顔が浮かぶ。麻理亜と目を合わそうとせず、常に怯えるような様子だった少年。その様子は、かつて他の世界で出会った一人の女の子を思い起こさせた。守れなかった親友の、ただ一人残された妹。犯罪に染まった組織を裏切り、その追跡に怯えていた少女。
――彼も……同じような状況にあるのかしら。
突如、ガラスの割れる激しい音が、夜の静寂を破った。麻理亜は窓から顔を突き出し、通りを見渡す。隣や向かい、その他の窓は、麻理亜とは逆の反応だった。開いていた窓は即座に占められ、施錠される。危険から身を守るように。火の粉が我が家にも侵入せぬように。
麻理亜は杖とコートを引っ掴むと、窓枠を飛び越えた。
地上へと姿現しした麻理亜は、音の元へと向かった。何かが割れるような激しい音は、今もまだ続いていた。ジャラジャラとコインか何か硬い物が入った入れ物をひっくり返すような音。思い物が落ち、割れる音。倒れるような音。
前方に、ショーウィンドウの割れた店が見えて来た。店の前では、小太りの男が店の方を気にしつつ、おどおどと辺りを見回している。
麻理亜は、杖を彼に向けた。
「そこまでよ!」
男はヒェッと引きつるような短い悲鳴を上げ、両手を挙げた。店内の音は、まだ続いていた。
「いや、その、これは――えっと、魔法使いの方? 彼女の知り合い?」
「彼女?」
「それ……魔法の杖なんだろう」
男は片方の手で麻理亜の杖を指さし、直ぐにまたホールドアップの姿勢に戻る。
「あなた、マグルなのね? 昼間の銀行強盗もあなた達の仕業? ジェイコブ・コワルスキーさん?」
男は大きく首を傾げる。下手なとぼけ方だった。
「な、何の話だか……コワルスキーなんて名前の人、俺は聞いた事も……」
「コワルスキーさん! そっちへ行った!」
店内から、男の叫ぶ声がした。麻理亜は素早く杖を店の方へと向ける。
暗がりから飛び出して来たのは、男ではなく、もっと小さな小動物だった。
「えっ!?」
予想と異なる姿に、対応が遅れる。黒い小動物は麻理亜達の足元を駆け抜け、逃亡を試みる。ジェイコブが慌てて足で止めようとしたが、全く届きもしなかった。
「ニフラー?」
麻理亜は目を瞬く。そして直ぐに、合点がいった。それでは、銀行強盗の正体はこの生き物だったのだ。二人組は強盗ではなく、このニフラーを追っていたというところか。ジェイコブは、強盗らしさの欠片もない。金品を本能的に集めてしまうこの生き物を追っていただけと言うなら、うなずける話だ。
ニフラーの後を追って、青いコートの魔法使いが店から飛び出して来る。彼は、逃げ惑うニフラーへと杖を向けた。
「アクシオ!」
ニフラーの手足が地面から引き剥がされ、呪文の主の方へと飛んで来る。ポケットから漏れ出た宝石を避けながら、三人はニフラーの元へと駆け寄る。ニフラーは表面が粘着物化したショーウィンドウに張り付き、身動きが取れなくなった。
魔法使いはニフラーを叱りながら、ポケット内の宝石を吐き出させる。その肩を、麻理亜は後ろから軽く叩いた。彼は振り返り、そして初めて麻理亜の存在に気が付いたように、そっとニフラーを背中の後ろに隠した。ひっくり返ったニフラーは、ジャラジャラと宝石を地面に落とし続けていた。
「あなたのニフラー?」
「あー……まあ。えっと、マクーザの人?」
目を泳がせながら、彼は答える。
「私は違うわ。でも、アメリカでは魔法生物の飼育は禁止されていたと思うのだけど」
「えっと、そうだった? 僕、知らなくて……」
「この国の人じゃないの?」
「……ラ、ライオン」
ジェイコブの声に、麻理亜は魔法使いへの詰問をやめ、振り返った。
いつの間にか三人はマグルの警察に囲まれていた。構えられた銃。しかしその銃口は、麻理亜達ではなく横へとそれていた。
銃口、そしてジェイコブの指が示す先にいるのは、一頭の大きなライオン。
魔法使いが、ジェイコブの腕を掴む。彼が何をしようとしているのか察し、麻理亜も彼のコートを掴んだ。
警察たちがライオンに気を取られている隙に、三人はその場から「姿くらまし」で消え去った。
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第4部
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2016/12/25