窓の外を見れば、もう陽は沈み辺りは暗闇に包まれていた。制服ローブに着替え、マグルの学生服のポケットに入れていた物をごっそりとローブの方に移し変える。それから、マクゴナガルに連れられて部屋を出た。ナミは、不安げにマクゴナガルを見上げる。
「あの……母は?」
父の死を聞いた。もう、陰山寺からの逃亡から十数時間が経っている。何かしらの連絡があっても良いはずだ。
マクゴナガルは、言葉を詰まらせた。
「まさか……」
「いえ。あなたのお母様は……無事です」
ナミはホッと息を吐く。しかし何故、マクゴナガルはこうも辛そうな表情をしているのか。
「若しかして、大怪我をしたとか……?」
「いいえ。多少の傷はありましたが、お元気でしたよ」
「お母さん、ここに来たんですか?」
「……ええ、まあ。ナミは疲れているでしょうから、起こさないようにと考えたようです」
「起こしてくれて良かったのに。会いたかったな……」
ナミは口を尖らせる。僅かに、マクゴナガルの表情が柔らかくなった。
廊下を少し歩き、角を曲がる。そして、ナミは目を見張った。
石の壁が連なる廊下。魔法が掛かっているのかマグルの電気に引けを取らぬほど明るい蝋燭が、壁に掛かった数々の絵画を照らしていた。ただそれだけならば、何らおかしな事の無い洋風の風景。
ただ、この城の絵画は動いていたのだ。
考えてみれば、十分に考えられた事だ。新聞に掲載された小さな写真でさえ、動き被写体は出入を繰り返すのだ。絵画も動いたって何ら不思議ではない。流石に、その絵画をすり抜けてゴーストが現れた時には驚いたが。
突然動き出す階段にバランスを崩しながら、物珍しい情景をきょろきょろと見回しマクゴナガルの後について行く。
やがてナミは、広いホールへと降りて来た。ナミに待つように言って、マクゴナガルは大きな観音扉の横にある小部屋へと入って行った。
ナミはぐるりとホールを見渡す。大きな観音扉が二つ。一つは閂が付いている事から、外へ通じる扉なのかも知れない。するとここは、玄関ホールに当たる場所だろうか。もう一つの方からは、ガヤガヤと人の声が聞こえ、廊下の蝋燭とは較ぶべくもない明かりが扉と壁の隙間から漏れ出ていた。
後者の扉の横の部屋から、マクゴナガルが生徒達を連れて出て来た。ナミよりずっと年下の子供達。緊張した面持ちの子や、落ち着き無くきょろきょろと辺りを見回している子、兄弟姉妹から聞いたホグワーツの生活を友達に話して聞かせている子。新入生なのだと、直ぐに判った。
「ナミは最後尾に。新入生の組分けの後に、あなたの組分けも行います」
「はい」
ナミは頷き、小さな新入生達の列の後ろに回る。不思議そうな顔をした新入生達の視線がナミを追っていた。
観音開きの扉が開かれる。
そこは、大広間だった。何百と言う顔が、扉の方を振り返る。彼らは温かい笑顔で新入生達を向かえ、列を辿り、最後尾を歩くどう見ても十一歳とは思えない少女の姿にきょとんとしていた。
新入生達の組分けが行われる中、ナミは突き刺さるような視線に耐え続けなければならなかった。
No.2
漸く新入生全員の組分けが終わった。マクゴナガルは次に、ナミの名前を読み上げるだろう。ナミは立ち上がろうとしたが、その前にダンブルドアが立ち上がった。
「おめでとう、新入生の諸君! さてはて、皆もそろそろお腹を空かせている頃じゃろうが、今年はもう一人組分けを受ける生徒がおる。――エガワ・ナミ!」
ナミはぴくんと跳ねるように立ち上がった。マクゴナガルに促され、組分け帽子の置かれた丸椅子へと歩く。
「ナミは家庭の都合で、今年からホグワーツに編入する事となった。五年生からの編入になる」
ナミは、古びた帽子を頭に被り腰掛けた。
途端に、頭の中でしわがれた声がした。
「ふむ。シャノンの子だな?」
ナミは目を丸くする。
リサ・シャノンの娘だと言う事は、伏せなければならない。マクゴナガルに言われた言葉が脳裏を過ぎった。
「心配は要らん。私は君達の考えを読み取る事は出来るが、それを他人に公言する事は無い。私が告げるのは、組分けの結果と毎年の歌だけだ。
さて……君はグリフィンドールかスリザリンと決まっておる。どちらに入れたものか……」
「……あの」
ナミは、小さな声で呟いた。
「それじゃ、グリフィンドールでもいいですか?」
リサも健もグリフィンドールだったと、マクゴナガルは言っていた。彼女自身も、グリフィンドール生。ホグワーツでの生活がどんなに楽しいものだったか、健はよく話してくれた。その生活の大半は、寮に左右されると言って過言ではない。
「なるほど。君は十分に、スリザリンに合った素質を兼ね揃えている……だが、グリフィンドールでも上手くやっていける事だろう。よろしい。では――グリフィンドール!」
新入生達の時と同じように、広間に並ぶ四つの机の内の一つから歓迎の拍手が上がった。赤いネクタイを締めた一団。ナミは、そちらのテーブルへと軽く駆ける。
くしゃくしゃの黒髪の生徒が、ナミに手を振った。
「ここ! ここ空いてるよ!」
「ありがとう」
ナミは言って、彼の隣の席に着く。
ダンブルドアの短い掛け声の後、テーブルの上はご馳走で溢れかえった。
「凄い! 本当に魔法なんだね!」
「ナミは、魔法学校は初めてかい?」
尋ねて来たのは、隣の席の男子生徒だった。ナミに、空いている席を教えた黒髪の少年だ。
彼はフォークを置き、手を差し出す。
「僕はジェームズ・ポッター。よろしくね。それから僕の隣にいるのがシリウス・ブラック、君の隣にいるのはリーマス・ルーピン、その向こうがピーター・ペティグリューさ。皆、君と同じ五年生だよ」
「うん、よろしく」
ナミは彼と握手し、続けて他の四人とも握手した。リーマスの前から握手しようと身を乗り出し、ピーターは手元のスープを盛大に引っ繰り返した。
「あっ、ご、ごめん、リーマス!」
「大丈夫、掛かってないよ」
「何やってるんだよ」
ジェームズが軽く笑い、杖を振る。床に零れたスープは綺麗さっぱり無くなった。机の上で伏していた皿は元通りになり、また新たなスープがおかわりとして現れる。
「そうだね、魔法学校は初めて。お父さんは魔法使いだったけど、料理はマグルと同じ方法で作ってたから」
「へぇ。珍しいな」
そう言ったのは、ジェームズの向こう側に座る少年だった。確か、シリウスと言ったか。やや長い前髪が、彼の整った顔立ちを強調するようにはらりと掛かっている。恐らく女の子にもてる部類だろうと言う事が、一瞬で分かった。
「お前、ホグワーツ特急には乗ってなかったみたいだけど、どうやって来たんだ?」
「煙突飛行で来たよ」
言いながら、ナミは籠から取ったパンに手近な肉を詰める。
「本当に汽車には乗ってなかったんだ」
驚いたように言ったのはリーマスだった。ジェームズが誇らしげに胸を張る。
「だから言っただろう? 僕らが転入生を見落とす筈が無いって」
「汽車で私の事、探したの? 今初めてダンブルドアが私の事話したんだとばかり思ってたけど」
「ああ、全体ではさっきの話だけだよ。リーマスが、監督生車両で教授の会話を小耳に挟んでね」
ナミは目を丸くして、リーマスを振り返る。
「リーマス、監督生なんだ。凄い」
「多分、僕ならこの二人を抑えられると思ったんじゃないかな」
「ん? それは聞き捨てならないな。まるで我々が問題児のようじゃないか」
ジェームズは大げさに頭を振り、悲しそうな素振りをする。シリウスがぽんとその肩に手を乗せた。
「まあ、俺達がちょっと暴れ過ぎたせいで監督生なんてなれなかったのは事実だけどな」
「転入生がいるって聞いて、楽しみにしてたんだ。君がグリフィンドールに入って、本当に良かった。空けていた席も無駄にならなかったしね」
「嘘吐け。席に関しては、必死でエバンズ呼んでたじゃねぇか」
ナミはけらけらと笑い、食事に手をつける。見た目は豪華だが、味は父親の作ってくれた料理の方が好みだった。
デザートも腹いっぱいに食べ終え、再び生徒達が会話に花を咲かせ始めた頃、ダンブルドアが立ち上がった。
「さて皆、よく飲み、よく食べた事じゃろう。満腹になりベッドに潜りたいところかも知れんが、二、三の注意事項がある。
まず一つ目、上級生はよーく解っておる事と思うが、禁じられた森は立入禁止になっておる。決して入らぬよう」
言いながら、ダンブルドアの視線がジェームズ達を捉えた気がした。
「次に、管理人のフィルチさんからの伝言じゃ。廊下での魔法は使用禁止。決闘など以ての外。悪戯グッズについても、新しい項目が加わった。詳しくはフィルチさんの事務所に一覧が貼り出されておる」
ここでもやはり、視線がこちらを向く。彼らの間に座るナミは否応無しにその視線を受ける事となり、落ち着かない気分だった。
問題の四人はと言うと、顔を見合わせてニヤリと笑っていた。
「続いて、九月最初の週末にクィディッチの寮代表選抜が行われる。立候補したい者は、寮監に名前を提出する事」
ダンブルドアが話し終えると、席を立つ生徒達で大広間は騒がしくなった。
「それじゃあ僕、一年生を案内して来るよ」
「ああ。寮でまた会おう、ムーニー」
人の流れを掻き分けるようにして、ナミはジェームズとシリウスの後について行く。それぞれの寮に向かう生徒達が右往左往していて、気をつけないと他所へ流されて行ってしまいそうだ。ジェームズとシリウスは話すのに夢中で、どんどん先に行ってしまう。
「待ってよー!」
ナミより更に後ろから、嘆く声がした。多分、ピーターの声だ。
「ジェームズ! シリウス! 待って。ピーターが!」
振り返ったが、下への階段へ向かう生徒達の列の中から、ぶんぶんと振られた腕が垣間見えただけだった。前を行く二人は気付いていない。
ナミは双方を交互に見て、それから後方へと駆け出した。
「ごめん……ちょっと、ごめんね」
スリザリン生の集団を掻き分けて、腕の見えた辺りへと進んで行く。
他の寮生がさっぱり見えなくなった辺りで、列の密着が無くなりピーターは解放された。
「ピーター! 大丈夫?」
「ナミ……うん。ありがとう。シリウス達は?」
「声掛けたんだけど、周り五月蝿かったし本人達も喋ってるから気付かなくて。……ここ、何処だか分かる?」
ナミは不安げに辺りを見回す。
ピーターも同じくきょろきょろと見回していた。
「多分、地下だと思うけど……」
「グリフィンドールの野蛮どもがこんな所に何の用だ?」
ピーターがびくりと肩を揺らして振り返った。ナミは、彼の向こうから来る人物を見やる。緑色のネクタイを締めた生徒が二人。どちらも、ナミ達への嫌悪感を露にしていた。
「おやおや。誰かと思えば、ポッターの腰巾着じゃないか。新学期早々からデートかい?」
「おい、こいつにそんな甲斐性があると思うか?」
二人はニタニタと笑みを浮かべる。
グリフィンドールとスリザリンの仲が悪いと言う話は、父親から聞いていた。寮を越えての友情も無い事は無いが、大半は敵対しているのだと。
「ちょうどいい。試したい呪文があったんだ。いつもお前達がやっている事だ。たまには掛けられる側になったって良いだろう?」
片方が懐から杖を出したかと思うと、ふわりとナミの身体が宙に浮いた。
ピーターが顔を青くする。
「や、やめろ!」
「廊下での魔法って禁止じゃないの?」
ローブの裾が捲れないように三角座りの格好で腕を太腿の後ろに回しながら、ナミは呆れたように言う。
「その言葉、そこにいる自分のお友達にも言ってやった方がいい」
「あー……なるほど。事実上の無法地帯だって訳ね」
さて、どうしたものか。彼らの攻撃対象は、恐らくピーターだ。ナミを使ってからかっているだけ。
ナミに杖は無い。そもそもあったところで、まだ何も魔法を知らない。がむしゃらに振り回したところで、彼らに魔法で勝てるとも思えない。
片手でローブを押さえたまま、何となくポケットを探る。ハンカチ、ティッシュ、櫛、リップクリーム、それから指先に触れた物にナミは薄っすらと口元を歪めた。これは使えそうだ。
「エイブリー、マルシベール、何をしているんだ?」
また別のスリザリン生がその場に現れた。少し長い黒髪の少年。同じ黒髪でも、シリウスと違いこちらはやや不潔な印象を受けた。
彼はピーターを見て、合点がいったように笑みを浮かべた。
「今日は一人か、ペティグリュー。いつもの仲間はどうした?」
宙に吊るされているナミには一切目を向けない。到底、助けとは思えなかった。
ナミはポケットから握り締めた拳を出し、ローブを押さえつつ準備を整える。
「そうだ。この前君が考案した呪文なんてどうだ?」
「あれを使うなら場所を変えた方がいい。ここはスラグホーン先生もよく通る。血まみれになったら面倒だ――」
「ばきゅーんっ」
唐突に叫んだナミに、ピーターとスリザリン生三人が仰ぎ見る。
ナミは、自分を浮かせている少年に向けて銃の形にした指から輪ゴムを放った。顔目掛けて飛んで来たそれに、彼は目を瞑りたじろぐ。ナミを浮かせていた魔法は解かれた。
「ぎゃっ」
背中と腰をしこたま打ち、電流のような痛みが走る。
ナミは素早く立ち上がり、ピーターの手を引いて駆け出した。
「な、何したの!?」
「輪ゴム鉄砲〜。割り箸とかあれば、もっと威力ある物作れるよ。小さい頃、よくあれで缶倒したりして遊んだんだ。他に遊び無かったからね」
髪の色で教師に目をつけられ、他にも結んでいない子はたくさんいるにも関わらず結べと差し出された輪ゴム。輪ゴムで髪を結ぶなんて馬鹿ではないかと思ったが、まさかこんな所で役立つとは思わなかった。
振り返った途端に赤い光が飛んで来て、ナミは慌てて飛び退く。
「飛び道具はずるっこいなー」
「――こっち!」
ぐい、とピーターが手を引いた。ナミは彼につれられるがままに角を曲がる。
グネグネと右左折を繰り返し、ピーターは唐突に廊下の絵画に手を掛けた。右に回転させると、その向こうに穴。合図を受けるまでも無く、ナミはその穴に飛び込んだ。ピーターが後に続き、絵画の扉を閉める。廊下に足音が駆けて来て、立ち止まるのが分かった。二人を探している声がする。ナミとピーターは、息を潜めて耳をそばだてる。
やがて、足音が遠ざかって行くのが分かった。絵画に手を掛けようとするナミを制し、ピーターは杖を出した。
「ルーモス」
杖の先に、灯りが点る。青白い光が、奥に続く狭い通路を照らし出した。
「ナミも灯り出せる?」
「私、杖まだ買ってない」
ナミは、隠し通路をピーターの後について行く。
「ホグワーツって、こんな所もあるんだね。お父さんからも聞かなかったなあ……私一人だったら逃げ切れなかったよ。ピーター、やるじゃない」
「ジェームズ達と一緒にいる内に知っただけだよ。皆といると、逃げる事も多いし。ナミこそ、足速いんだね」
「山を毎日自転車で上り下りしてればねぇ……。うちの家、すっごい辺鄙な所にあってさ。道路も無い……って言っても、魔法使いじゃあまり関係無いか」
「分かるよ。ホグワーツ特急に乗るのって、キングズ・クロス駅って言うマグルの駅だし」
「あ、そうか。まあ、道路も無い山の中にぽつんと家が立ってるんだよね。マグルの学校に煙突飛行は無いし、車の通れる道も無いし、私は箒持ってないし、姿現しも使えないしで、自転車通学」
「うわあ……」
突き当たった所の壁をピーターは慣れた手つきで杖で叩き、直ぐに下がる。こちら側に跳ね上がるようにして、壁が開いた。出た所は、蝋燭に照らされた薄明るい廊下。窓の向こうに、星空が見える。
「ナミは、マグルの学校に通っていたの?」
「うん。魔法学校はホグワーツが初めて。変かな?」
「うーん……どうなんだろ……。転校生自体、珍しい事だから。でも、杖を持ってないのは珍しいかも。途中編入の場合って、杖とか教科書とかのリスト来ないの?」
「私の場合、突然だったからねぇ……。今日、こっちに来る事が決まったから」
「すごい突然だね」
「うん。だから、何も準備とか出来なくって。生活用品とか教科書とかはマクゴナガル先生が用意してくれたんだけどね。後の物はまた今度買いに行こうって事になってる」
階段を上がった所で、下から二人を呼ぶ声がした。
駆け上ってくるのは、ジェームズとシリウスの二人。
「やっと見つけた。やっぱり入れ違ってたか」
「まったく、何やってんだよ」
ピーターはぱあっと顔を輝かせる。
「ジェームズ! シリウス! 聞いてよ。ナミ、凄いんだ!」
ナミはきょとんとピーターを見やる。
彼らと連れ立って階段を昇りながら、彼は興奮した面持ちでスリザリン生達に絡まれた事を話した。
「――でも、ナミがやっつけたんだ! 杖無しで!」
「ちょ、ちょっと待って。やっつけてはないでしょうが。隙を作って逃げたってだけで。逃げ切ったのも、ピーターの機転があったからだよ?」
ピーターの誇張に溢れた冒険活劇を、ナミは慌てて訂正する。
ジェームズは、興味津々にピーターの話に耳を傾けていた。シリウスはニヤリと笑う。
「スリザリンの奴ら、ご自慢の魔法がマグルの正攻法に負けたとあっちゃご立腹だろうな。これでナミがマグル出身なら、尚更あいつらの面子丸潰れなんだが」
ナミは肩を竦める。
「残念。お父さんは魔法使いだって言ったでしょう」
「あー、そっか。まあ、いいや。マグル式に負けたってだけで十分だ」
「負かしてはいないと思うけど……」
「謙遜しない、謙遜しない。君、ただの転入生ってだけじゃなくてなかなか面白そうだね」
ジェームズがニヤリと笑って言う。何となく、嫌な予感のする笑みだった。
力試しと称して彼らの悪戯に巻き込まれるようになろうとは、この時は思いもしなかった。
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2011/09/12