翌朝。朝食に降りて行ったナミは、マクゴナガルに呼び止められた。
「あ……おはようございます、マクゴナガル先生」
人通りのある場だからと、教師と生徒として接する。どうやらそれは、正解だったらしい。
マクゴナガルは、二枚の紙を差し出した。
「おはようございます。ミス・エガワ。
あなたの時間割と、選択科目の一覧です。本日の昼までに決められますか。魔法生物飼育学とマグル学は本日の午後に最初の授業があるので」
「あ、はい。昼までなら……」
ナミは頷き、紙を受け取った。ジェームズ達にでも授業の難易度を聞いてみよう。
「それから」とマクゴナガルは続けた。
「今度の週末に、ダイアゴン横丁へ行こうと思います。そこで杖や他に要る物を揃えましょう。日程は空いていますか?」
「うん。大丈夫」
マクゴナガルはフッと微笑んだ。
「グリフィンドール、おめでとうございます」
「ありがとう」
ナミはにっこりと笑う。
大広間に入り、ナミはグリフィンドール寮の長いテーブル、マクゴナガルは教職員席へと向かった。
まだジェームズ達はいない。一人で朝食を取っていると、赤毛に綺麗な緑色の瞳の女子生徒がナミの隣に座った。同室の女の子だ。確か、リリー・エバンズと言ったか。
「おはよう、ナミ。早いのね」
「おはよう、リリー。寝てても、嫌な夢ばっかり見ちゃって。部屋にいてもする事ないし、がやがやしてる所降りて来れば少しは気が紛れるかなって思って」
リリーは少し神妙な顔をした。
「今、色々あるものね。でも、良かったわ。学校は変わりなくて。まあ、スリザリンの一部の人達も変わりないんでしょうけど……」
「あっ。ねえ、リリーは選択教科って何取ってる?」
ナミとリリーが選択科目について話し合っている内に、にぎやかな四人も朝食に降りて来た。
「おはよう、リリー! 隣いいかな?」
言いながらも、既にジェームズはリリーの隣側に腰掛けていた。リリーはすっくと立ち上がる。
「お好きにどうぞ。私、もう食べ終わったから。じゃあね、ナミ」
「あ、うん。またね」
リリーは人ごみに溶け入るようにその場を立ち去って行った。
呆然とその背中を見送るジェームズに、遅れて追いついたシリウスがニヤリと笑って言った。
「また振られたな、プロングズ。お前もつくづく懲りないよなあ」
「心からの慰め、大いにありがとよ」
ジェームズは不貞腐れたようにいって、それからぽっかり空いた席を埋めるようにナミの隣に詰めた。シリウス達はその隣に並んで座る。
「ところで、ナミ。今週末にはクィディッチの代表選抜があるんだ。もちろん見に来るだろう?」
「あー……ごめん。今週末は、空いてないや。要る物買い揃えに行かなきゃならないから」
「買物? もう新学期が始まってるのに?」
「ナミ、転校が決まったの突然なんだって。昨日決まってから直ぐだったらしいよ」
口を挟んだのはピーターだった。
ジェームズはじっとナミを見ていたが、やがて口を開いた。
「……ナミって、日本に住んでた?」
「うん」
ナミが頷くと、シリウスとリーマスがハッとした顔になる。ナミとピーターは、きょとんとした表情で小首を傾げる。一体どうしたと言うのだろう。
ナミは、マクゴナガルから受け取った紙を彼らにも見せる。
「そんな事よりさ。私、選択科目を昼までに決めなきゃならないんだ。お勧めとかこれは難しいとかってある?」
No.3
魔法は、ただ杖を振るだけではない。父親から再三聞かされていた事だが、いざ授業を受けると何とも奇妙な気がした。
一限目の呪文学の授業ではまだ名簿が整っていなかったらしく、出欠でナミの名前は呼ばれず自己申告する事となった。
「ああ、すみません。ミス・エガワ、このクラスでしたね」
呪文学教師のフリットウィックは、小人のように小さな男性だった。椅子の上に本を何冊も積んでその上に立ち、やっと教卓の向こうから顔を覗かせている。彼は申し訳無さそうに謝り、名簿を杖で軽く叩いた。
どうも、リリー・エバンズはジェームズ・ポッターを相当毛嫌いしているらしい。ジェームズの方は彼女に熱を上げているらしく彼女より前の席に座って髪をくしゃくしゃにしたり軽く流し目を送ってみたり何かとアプローチしていたが、彼に向けられる熱い眼差しの中にリリーの物は無かった。
変身術の授業は、呪文学以上に知識が難解だった。座学があれども、高校で叩き込まれていた数式やら古語やら化学記号やら年号やらの一切に比べれば、然程でもない。呪文学を受けたナミはそう判断していたが、変身術はなかなか厳しいかも知れない。
難解な授業も半ば、マクゴナガルはOWLについて話した。
「今年、皆さんは立派な魔法使いになる過程として重要な試験を受ける事になります。OWL――一般にふくろう試験と呼ばれるこの試験は、今までの五年間で積み重ねた力を測るものであり、皆さんの将来にも大きく影響します。――ええ、もちろんあなたも今年受験するのですよ、ミス・エガワ」
ナミの情けない表情を見て取って、マクゴナガルは付け加えた。
「私達はもちろん皆さんにこの試験でより良い成績を残して欲しいですし、そのために皆さんがよりいっそう勤勉に励む事を期待します。授業はより難易度を増し、どの教科の課題も増える事でしょう」
宣告通り、マクゴナガルは初回の授業からたっぷりと課題を出した。授業終了後、ナミは酷く消耗し机に突っ伏して燃え尽きていた。
「おいおい、まだ午前の授業がやっと終わったところだぜ?」
シリウスが呆れたように言う。
「いやー。無理ー。何、ふくろうって。私、今年からなのにー」
「僕も、こんなの一年間も続けられる気がしないよ……」
「イェーイ、ピーター仲間だー」
ナミはピーターに無理矢理ハイタッチさせる。
「情けない団結やってないで、行くぞ。昼食だ」
シリウスが席を立つ。
ナミは鞄から紙を引っ張り出しながら言った。
「ごめん、先行ってて。私、先生に選択教科提出して行くから」
四人が教室を出て行き、ナミは教科選択の紙を手に教室の前へと向かった。マクゴナガルは荷物をまとめ、今にも出て行こうとするところだった。
「先生、選択教科のです」
マクゴナガルは頷き、紙を受け取る。
「……古代ルーン語とマグル学ですか」
「はい。あの……皆より遅れて授業に参加するのだから、ある程度は事前知識があるものにしておいた方がいいかと思って。この二つは講義型みたいですから、マグルの学校と勉強形式も近そうですし」
「スタンプ先生とバブリング先生には、私から伝えておきましょう。マグル学は第一回授業がこの後ですね。スタンプ先生もきっとお喜びになる事でしょう。今は、マグル学を受講しようとする生徒は少ないですから」
ナミはきょとんとする。
「……でも、確かに合理的な考え方かも知れません。スタートが遅れて大変でしょうが、OWLも頑張ってくださいね。分からない事があれば、直ぐ聞きにきてください。教師としても、後見人としても、答えられる限り答えましょう」
「うん。ありがとう」
小さく笑って、ナミは変身術の教室を後にした。
もうグリフィンドール生は誰も残っていなかった。誰もいない廊下を一人、大広間へと向かう。
階段まで辿り着いた所で、頭上でパアンと何かが弾けた。避ける間も無く、頭から水のような何かをかぶる。見れば、ローブがオレンジ色のペンキでべったりと汚れてしまっていた。
ナミは顔を顰める。代えのローブがあっただろうか。洗濯物はどうすれば良いのだろう。何性のインクだろう、きちんと落ちるのだろうか。
心配するのもつかの間、怒声が響き渡った。
「貴様だな! 見つけたぞ悪ガキめ!!」
ナミはきょとんと振り返る。猫を従えた男が、猛スピードでこちらに駆けて来ていた。鬼のような形相。ナミは思わず後ずさりする。快い用件でない事は明白だった。
――ここは、逃げるに限る!
ナミは脱兎のごとく駆け出した。塗料の染み込んだローブはひたひたと貼り付いて、上手く走れない。一体何が起こったと言うのか。突然頭からペンキをかぶって、どう考えてもナミは被害者だ。憤怒の形相で追い回される心当たりなど無い。
相手の体力消耗を狙い、いくつもの階段を上下する。足と体力だけは山の上り下りで日常的に鍛えられている筈のナミだが、それでも彼を引き離す事は困難だった。そろそろ老化が始まっているだろう齢に見える男だが、全く怯む事無くナミの後を追い駆けて来る。
「何あれ化け物!?」
走りながら喚く彼の言葉から、何者かが管理人室前の廊下をオレンジ色に染め上げたのだと言う事は判った。同色のペンキに塗れている事から、ナミが犯人だと判断したのだろうか。短絡にも程がある。
明るい廊下に出た。ガタガタと鳴っている窓に目をやるが、地面は遠い。遥か下方で、森の木々が大きく揺れていた。ここから外への逃走は、箒でも無い限り不可能だろう。
突き当たりの角に向かって、ナミは駆ける。と、その角を曲がって一人の男子生徒が歩いて来た。手には、彼の頭まで高く積まれた羊皮紙を抱えている。――これは好都合だ。
「ごめんね!」
ナミは言って、彼の横をすり抜け突き当りの窓に駆け寄った。窓に手を掛け――そして、一気に押し開く。
突風が城内に吹き荒んだ。壁に掛けられた絵画がカタカタと揺れる。男子生徒の抱えていた羊皮紙が風に煽られて舞い上がり、駆けて来るフィルチの方へと飛んで行った。
宙を舞う羊皮紙に、男子生徒は狼狽した声を上げる。
「ほんとごめん!」
叫び、ナミは角を曲がって駆け去った。去り際にちらりと見たネクタイは、緑色。スリザリン寮生だ。厄介な事をしてしまったな。やや後悔しながらも、階段を駆け下りて行く。
羊皮紙を突破して、男は猶も追って来ているようだった。背後から声がする。間も無く、階段の上に彼が姿を現すだろう。ナミは手摺に手を突くと、一思いに階段を横へと飛び降りた。大声で叫びながら。
「キャッチお願い!」
落下する身体が、地に着く前にがくんと宙で停止した。それからゆっくりと、床に下ろされる。ナミはすぐさま、傍にあった箒置き場へと飛び込んだ。外で幽かに怒鳴り声がする。彼が階段上に追いついたのだろう。
ナミを見失った彼は、悪態を吐きながら遠ざかって行った。
声が完全に聞こえなくなり、ナミはふーっと息を吐いて箒置き場を出る。それから、辺りを見回した。
「まだいる? 何処に隠れてるの?」
人気の無い廊下。石の壁が揺れたかと思うと、覆い被さっていた同色の布を払うようにして四人が姿を現した。ナミは、じとっとした視線を彼らに向ける。
「一体、どう言う事? ジェームズ、ピーター、シリウス、リーマス!」
ピーターが「ヒッ」と声を上げ、おどおどとジェームズを見上げる。
ジェームズは何食わぬ態度で、朗々と言った。
「まあまあ、そう怒るなよ。ちゃんと助けてあげただろう?」
「それぐらい、当然でしょう。あのペンキボール破裂させたのも、あなた達でしょ」
「ああ、そうだ。――スコージファイ。これでいいだろ?」
シリウスが優雅に杖を振る。ナミのローブにべったりと付いていたオレンジ色は、きれいさっぱり無くなった。
「でも、よく気付いたね。僕達がいるって事」
リーマスが話題を変えんと早口で言う。ナミは肩を竦めた。
「窓開けた時にね。あなた達の隠れてる後ろの額縁だけ、風に揺れてなかったから」
ジェームズが口笛を吹く。
「魔法無し、隠し通路の情報無しでこれだけやれたら、まあ及第点かな。確かに、ピーターの言う通りなかなかやるね、君」
眉を顰めるナミに、ジェームズは悪びれる様子も無く言った。
「君がどれだけのものか、実際この目で見てみたくてさ。ちょっとフィルチと追いかけっこしてもらう事にしたんだ」
「……はあ?」
「君を我ら悪戯仕掛人に迎えるのもいいかと思って」
ジェームズの言葉に、ナミは目をパチクリさせる。
リーマスが慌てて付け加えた。
「もちろん、ナミが良ければ、だけど」
「悪戯仕掛人って、何するの?」
「その名の通りさ。悪戯グッズを考案したり、ちょっとした探検をしてみたり。その中では、今回みたいにフィルチの追跡から逃れなきゃならない事も多いかな。
まあ、別に何かのクラブって訳じゃない。ただ名乗り上げたりする場合に、僕らがそう自称しているってだけでね」
「へぇ。面白そう」
ナミは目を輝かせる。
「……意外と乗り気だな」
シリウスだ。少しムスッとしているように見えるのは気のせいだろうか?
シリウスは頭の後ろで腕を組み、ふいと背中を向けて前を歩く。
「無実の罪で追い回されて、もっと怒るかと思ったけど」
「何言ってるんだよ。この作戦持ち出したのはシリウスじゃない」
ピーターが目を丸くして言う。
「ま、これで怒るんなら俺達の仲間には向いてないだろ?」
「そっか、性格面でのテストも兼ねてたんだ!」
シリウスの返答に、ピーターは合点が行ったように声を上げる。その眼差しには、そこまで考えていたシリウスに対する尊敬の念も含まれていそうだ。
「そう言えば、ナミは結局どの教科を選んだんだい?」
リーマスが唐突に切り出した。
「古代ルーン語とマグル学。OWLもあるし四年生までの授業も遅れてるんだから、なるべく負担軽減したいと思って。ルーン語はお父さんの持ってた本で基礎ぐらいは触れた事あるし、マグルの事はよく解ってるから」
「このご時勢にマグル学取るなんて、肝が据わってるな」
シリウスが目を丸くしてナミを振り返った。そして、にやりと笑みを浮かべる。
「ま。俺だって今教科選択ができるなら、マグル学を選んでやるけどな」
ナミはきょとんと首を傾げる。
「どう言う事? そう言えば、マクゴナガル先生も『今はマグル学を取る生徒が少ない』みたいな事言ってたけど……」
「当然だろう。ホグワーツにはその手は伸びていないとは言え、死喰人の子供は沢山通っているんだから。元々人気の高い教科って訳でも無いし、危険を冒してまで科目を選択する生徒は少ないのさ」
言って、ジェームズは肩を竦める。
「スリザリン生の中には嫌味を言ってくる連中もいるかも知れないけど、気にする事無いよ。何かあったら、直ぐ僕達に言って」
ナミの表情が強張ったのを見て取って、リーマスが言った。
「噂をすれば、だ」
シリウスは言って、階下を顎で指した。
授業終了からやや遅れた玄関ホールは、人が疎らだった。ほとんどの生徒が、もう大広間に入っていて昼食をとっているのだろう。食べ終えて出て来る生徒も、まだそうそういない。
その玄関ホールに今し方、地下への階段に続く扉から入って来た少年がいた。陰気に伸ばされた黒髪に青白いその顔は、ナミにも見覚えのある人物だった。
ジェームズは口元に笑みを湛え、杖を引っ張り出す。
「ワームテール、昨日君とナミを襲ったのはスネイプ達だって言ってたよな?」
「う、うん」
ピーターはおどおどと頷く。
ジェームズは余裕綽々とした態度で残りの階段を降りて行き、声を張り上げた。
「やあ、スニベルス」
彼は弾かれたように振り返った。まるでいつもそうしているかのように、反射的に杖を握りジェームズに向ける。
「昨日は僕の友達に随分な事をしてくれたみたいじゃないか。その時いたって言う仲間は一緒じゃないのかい? 驚いたよ。君を構ってくれる心優しい人達がスリザリンにいるなんてね」
「黙れ、ポッター。ペティグリューとその女に泣きつかれて敵討ちか? お前達が普段何をしているか、思い返してみるんだな」
「で、でもナミは関係無いだろ!」
声を上げたのは、ピーターだった。少年は冷たい視線でこちらを見上げる。
「『お友達』と一緒の時は威勢が良いな、ペティグリュー。集団でなければ何も出来ない臆病共め」
「お前にピーターの事をとやかく言われる筋合いはねぇ」
シリウスが階段を降り、ジェームズの横に並ぶ。
少年は鼻で笑った。
「同族愛か。美しいものだな。貴様らも同じだろう。四人でなければ、何も出来ない。臆病者の集まりだ」
突然、ジェームズが杖を振った。少年が反応した時には遅く、彼は杖を取り落とし宙高く浮上していた。ローブが頭の方へ落ちるのを、必死で押さえる。
「無様だなあ、スニベルス」
シリウスが杖を振り、彼の腕は硬直したように両脇へ伸ばされた。ジェームズはくるくると円を描くように杖を振り、その動きに合わせて少年はぐるぐると回転する。
「え……ちょっと」
ナミは慌てて階段を駆け下りて行った。
回転を続ける少年。ジェームズとシリウスは、キャッチボールのように交互に少年の回転を担当する。交替の度に少年の身体はがくんと下がった。
「ジェームズ、シリウス。もういいよ。やめて。私、そこまで怒ってないし」
割って入ったナミに、ジェームズは涼しい顔で言い放った。
「気にする事無いよ、ナミ。これは挨拶みたいなものなんだ」
「挨拶って……それ、もっと酷いよ」
ナミは眉を顰める。
「ナミはこいつを擁護するのかい? 昨日、同じ目に合わされたんだろう?」
「やり過ぎだって言ってるんだよ。抵抗出来ない相手を複数で攻撃って、それってリンチか何かじゃない。私自身の仕返しは私自身がやる。こんなの、彼の言ってる通りだよ。複数で寄ってたかって一人を攻撃するなんて」
「良かったなあ、スニベルス。彼女が庇ってくれるみたいだ」
少年はキッとシリウスを睨んだが、猶も回転が続いていて答えられるような状況ではない。
「やめなって言ってるでしょう!」
「……」
ジェームズは無言でナミを見つめる。そして、つまらなそうに杖を下ろした。
「まあ、今回は君にも選択権はあるからね。こんな奴のために昼食を取りそびれるのも癪だし」
ジェームズは背を向け、大広間の扉へ向かう。シリウスは剣呑な視線をナミに一瞥すると、その後に続いた。リーマスとピーターも階段を降りて来る。ピーターはきょろきょろとジェームズ達とナミとを交互に見ながら、ジェームズとシリウスの方へ小走りに駆けて行った。リーマスは一度、ナミの所で立ち止まった。先を行く三人を見て、ナミを振り返る。
「ナミは……」
「あ、うん。先行ってて」
「わかった」
リーマスは頷くと、三人の後に続いて大広間に入って行った。
ナミは、床に倒れ伏した少年に視線を落とす。
「……大丈夫?」
「助けてくれなんて頼んでいない」
「うん。でも、黙って見てる訳にはいかないでしょう」
少年は黙り込む。
大広間から出て来る生徒は増えていた。ちらほらとこちらに向けられる視線。大広間にあった喧騒は、徐々に玄関ホールへと移り出す。
「……いつまでそうしてるの?」
「……杖を取ってくれ」
苦々しげに搾り出された言葉に、ナミはハッとして少し先に転がっている彼の杖を拾い上げた。伸ばされた状態で硬直したままの彼の手に握らせる。
「フィニート・インカンターテム」
呪文らしき言葉の後、彼は起き上がった。
じとっとした目でナミを見据えている。ナミは視線を外し、辺りを見回した。続々と大広間から出て来る生徒たち。腕時計を見れば、もう午後の授業に移動する時間だ。ジェームズ達も、急いで食事を掻き込んでいる事だろう。
「あーあ……今日の昼は食いっぱぐれかな……」
呟いて、ポケットを探る。運良く、ピルケースに入れた菓子があった。健が、久しぶりに再開した患者さんから貰ったと言っていたもの。キャンディのようなそれを、ナミは一粒だけ口に放る。それから、少年に差し出した。
「いる? 夜までお腹空くでしょう」
「……何故助けた?」
「いや、だから黙って見てる訳にも……」
「僕はお前を助けようとなどしなかった」
「うん、知ってる」
「グリフィンドールの――それもポッターらとつるんでいるような奴なんてどうなっても構わないし、寧ろ奴らに思い知らせてやろうと思った」
ナミは目を瞬く。緊張した面持ちで見つめる少年。
そして、ナミはフッと微笑った。
「あなた、名前は?」
「え……」
「まさか、スニベルスって実名な訳じゃないでしょ?」
「違うに決まってるだろう! ……セブルス・スネイプだ」
「セブルス、ね。私はナミ・エガワ。よろしくね。
まあ、何て言うのかな……セブルスが私にどんな仕打ちしようとしたにしても、それとこれとは話が違うと思うんだ。優しくされたらこっちも恩を返したいと思うけど、冷たくされたからってその人も同じ目に遭えば良いなんて……思えないでしょ?」
「……」
ナミは、セブルスの手を引っ張る。そしてその手の平に、キャンディを一つ転がした。
「ほら、あげる。美味しいよ」
セブルスは暫し無言でナミを見つめていたが、そろそろとキャンディを口に運んだ。口の中に入れ――そして、驚き飛び上がった。
「な、な何を食べさせた!?」
ナミは腹を抱えて笑っていた。慌ててキャンディを吐き出そうとするセブルスに、ナミは息も絶え絶えになりながら言った。
「ああ、大丈夫大丈夫。パチパチ弾けはするけど、こっちのお菓子みたいに舌溶けたりとかはしないから。マグルのお菓子でね、お父さんがアメリカ人の患者さんから貰ったんだ。その人の友人が企画出した試作品なんだって」
セブルスの呆然とした表情に、ナミは再び込み上げる笑いを噛み殺す。
「驚いたでしょ? ふふっ。ザマーミロ。ジェームズ達には随分と酷い目に合わされてるらしいけど、そのいざこざに他人を巻き込んで傷つけようとなんてしないでよね」
ぽかんとしていたセブルスの頬に、徐々に赤みが挿す。
「騙したな――」
ナミはニヤリと笑い、セブルスの額を軽く指で弾いた。
「許すとは、言ってない」
「……」
「でも、これでおあいこね。そっちも未遂だったんだし。マルシベールとエイブリーだっけ? あなたの友達にも、私が直々にお礼参りさせてもらうから安心して」
大広間の扉は出入する生徒で開きっぱなしになっていた。人ごみの向こうに四人の姿を認めて、ナミはセブルスにひらりと手を振る。
「じゃあまたね、セブルス」
ナミはセブルスの横をすり抜けると、ジェームズ達の方へと駆けて行った。
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2011/09/30