その村は、そり立つ山の谷あいにあった。夏場と言えども、陽が落ちる時刻ともなれば肌寒い。村の中央の広場でも近くにある店は数軒だけ。人通りは少ないが、決して閑散としている訳ではなく、小道の両脇には小さな家々が立ち並ぶ。
魔法使いとマグルが混在する村を、麻理亜は一軒の家へと真っ直ぐに向かった。
目的の家は、遠目からも明らかに異質だった。塀は崩れ落ち、壁には穴が開いている。庭のヤギ達は怯え、隅の方で丸くなっていた。窓も割れ、切り裂かれたカーテンが覗いている。近所の住人達の好奇心は落ち着いた後で、家の周りに人影はなかった。
ベルやノッカーを鳴らす事もなく――もっとも、それらも何処かに吹っ飛んでしまっていたのだが――麻理亜は、扉の外れた玄関から中へと入って行った。
踏み込んだ瞬間、くらりと眩暈のようなものが麻理亜を襲った。壁紙の剥がれた壁に手をつき、室内を見回す。
家の中も、散々な状態だった。壁には穴が開き、家具や調度品の類は破壊され瓦礫と化している。壁や柱の崩れようと言ったら、家自体が倒壊せずに持ちこたえているのが不思議なほどだ。麻理亜はゆっくりと息を吐くと、奥へと歩を進めた。
本来、リビングがあった場所に、友の姿はあった。
「――アルバス!」
暗闇の中、瓦礫に囲まれて放心したように立ち尽くしていた彼は、麻理亜の声に振り返った。青い瞳が揺れる。
「マリア……」
麻理亜は足を失い真っ二つになったソファを乗り越え、彼へと駆け寄る。背の高い彼の目の前に並んで話をしようとすると、見上げるようにしなければならなかった。
「アブから手紙を受け取ったの。新学期の登校が遅れるって……何があったの?」
アルバスはふいと顔を背け、逃げるように部屋の隅へと離れていく。
「……君には関係ない。帰ってくれ」
返って来たのは冷たい言葉だった。麻理亜はムッと眉を釣り上げる。
「ねえ、アルバス。あなた、最近、少しおかしいわ。あの男が来てからよ。まさか、関係しているの? この家の状況と――」
「帰ってくれ!!」
麻理亜は言葉を途切れさせる。彼が感情的に怒鳴る事など、これまで一度もなかった。
「……彼は、もうここへは来ないよ」
怒声とは一転、悔恨と悲しみを滲ませた小さな声で、彼はつぶやいた。
突如、バタバタと階段を駆け降りる音と、その衝撃でかろうじて壁に掛かっていた絵画が落ちる音が、家の中に響いた。ガタガタと瓦礫を掻き分ける音がして、兄とよく似た鳶色の髪の少年がリビングへと飛び込んで来た。
「マリア!」
「アブ。良かった、いたのね。手紙のあれは、どういう事なの? 何があったの? アリアナは?」
アバーフォースの顔に、影がかかる。
重苦しい沈黙の後、彼はゆっくりと告げた。
「――あの子は、もういない」
No.3
マグルに死者が出た。
被害者はヘンリー・ショー上院議員。再選を祝う祝宴会場にて、それは起こった。集まっていたのはもちろんマグルばかりで、彼を襲ったものの正体を見る事が出来た者はいなかった。彼らが認識できたのは、会場内をひっくり返すほどの突然の突風。憎しみをぶつけるかのように引き裂かれたタペストリー。そして、宙に浮かび、死体となって壇上に戻った彼の身体だけだった。
頭上に安置された遺体に、麻理亜たちは息をのんだ。ふらりとよろめいた麻理亜の身体を、ジェイコブが支える。
「……何て事だ」
「あなたの動物の仕業でしょう?」
金属製の花飾りがたくさん付いた頭飾りを被り、金糸による繊細かつ華やかな刺繍の入った黒いローブを身に纏った、恐らくこの場の長と思われる女が辛辣に言った。
麻理亜も、ニュートも、彼女を見た。――いったい、何を言っているのか。
「動物じゃない……お分かりのはずだ」
魔法生物の仕業ではない。
この場も誰も、その結論に意を唱えなかったのか。誰も、疑問を抱かないのか。
急速に衰えたような死に顔。爪痕も、牙の痕もない。動物にこんな殺し方は出来ない。これは――魔法。それも、とても危険な闇の力。
突如として置かれた状況に困惑しながらも、彼は訴えた。
「よく見て……! オブスキュラスだ」
ざわりと、集まった魔法使い達の間に衝撃が走る。女は、毅然と言い放った。
「アメリカにオブスキュラスを生む者はいない! ――鞄を取り上げなさい」
女の指示に、一人の魔法使いがニュートの手から鞄を「呼び寄せ」る。銀行にいた、例のマフラーの男だった。集まって来た者達が、麻理亜らに手錠をかけ、拘束する。
麻理亜、ジェイコブ、そしてもう一人黒髪の女性がなす術もなく連行される中、ニュートはもがき、抵抗していた。
「待って! その子たちは何も悪くないんだ! 動物たちを傷付けないで!」
マクーザの手に渡った彼のトランク。遺体への見解の説明や自分の無罪を主張するでもなく、彼の視線は奪われたトランクへと向かい、ひたすらに叫んでいた。
「傷付けないで!!」
マクーザの地下深く、薄暗い地下牢に麻理亜達四人は投獄された。
寝台なのか、ソファなのか、奥に配置された硬い台の上に、ジェイコブは腰掛ける。麻理亜も、その隣にちょこんと座った。ニュートは閉ざされた扉の脇に立ち尽くしていて、黒髪の女性もそのそばに佇んだままだった。
「動物たちの事……ごめんなさい。本当に……」
控えめに謝る彼女にニュートは答えず、去って行く職員達の背中を見送っていた。まるで、彼らがトランクの場所を示してくれるのではないかと祈るかのように。
「ところで、あなたはどなた? あなたも、彼らと一緒に魔法生物を探していたの?」
重い空気を払拭しようと、明るい声で麻理亜は問うた。
「私は麻理亜よ。マリア・シノ――って言っても、さっき、うちの大臣がニュートと一緒に私の名前も口にしていたけど。宝石店でニフラーを追いかけてるところにたまたま遭遇して、それから一緒に動物を探していたの」
「ティナ・ゴールドスタイン……マクーザの闇祓いだったの。それで、魔法生物を連れ込んでいるなんて、違法だから、それで……」
ティナは気まずげに話す。麻理亜は目を瞬いた。
「マクーザの人? ニュートの仲間で、トランクを所持していたのを連行されたとかじゃなくて、あなた自身の意思でマクーザにトランクを持ち込んだの? あなたが?」
「ええ……本当に、ごめんなさい……こんな事になるなんて……」
「ああ、謝らないで。そうじゃないの。――ねえ、それじゃあ、おかしくない?」
ティナは小首を傾げる。ニュートも、誰もいなくなった廊下を見つめるのをやめ、振り返った。ジェイコブが問う。
「おかしいって、何が?」
「だって、ティナはマクーザの人で、違法に持ち込まれた荷物を届けただけでしょう。ただ、本来の自分の仕事をしただけじゃない。なのに、どうしてあなたも捕まっているの?」
「本来の仕事ではないわ……私、闇祓いは免職になったから。今は、杖認可局で……」
「元闇祓い?」
麻理亜は彼女の言葉を繰り返すようにつぶやく。
「捕まったのは、死者が出てしまったから……」
「そうだ。オブ何とかって、何?」
ジェイコブが問う。答えたのは、ニュートだった。
「オブスキュラス。三ヶ月前に、スーダンで出会った……」
ニュートは、オブスキュラスについてジェイコブに説明する。魔法力を抑制された子供が、生み出すものだという事。抑えられた魔法力は、オブスキュラスと呼ばれる闇の力となり、暴発する。それは周囲を破壊し、人を殺し――そして最後には、宿主である子供自身の命を奪う。
ニュートがオブスキュラスについて説明する間、麻理亜はうつむき考え込んでいた。
――なぜ、ティナが逮捕されたのか?
客観的に見れば、彼女はただ、容疑者を連行しただけだ。死者が出たとして、ニュートの入国が昨日の銀行強盗以前だったとして、通常ならばニュートや魔法生物の存在を認識していても追跡中であったと考えるのが妥当だ。それを、仲間の可能性を疑い彼女も投獄するなど、あまりにも早計な判断ではないだろうか。
ましてや、彼女は闇祓いではないと言う。であれば、本来の職務にも該当せず、事件発生前に防げなかったからと言って彼女が責任を問われるいわれはない。
闇祓いを免職になったと、彼女は言った。そして、理不尽な投獄。彼女の受けている状況は、何か引っかかるものがある。元闇祓いだと言うならば、もしや捜査の中で何か誰かに不都合なものを見てしまったりでもしたのではないか。――誰かが、彼女を抹消しようとしている?
麻理亜は顔を上げ、ティナ、そしてニュートを見る。
何者かの計略が働いているのであれば、マグルの死が魔法生物の仕業とされたこの状況も説明がつく。ただ、都合が良かったのだ。オブスキュラスの存在の隠れ蓑となる魔法生物。その所有者と共にいたティナ。少々強引だが、一応の理由はつけて合法的にティナの存在を消す事が出来る。
「ねえ、ティナ」
会話も途切れ、なす術もなくそれぞれに座り込む中、麻理亜はぴょんと台座から飛び降り、ティナの隣へと移動した。
「あの……少し聞いてもいい? 闇祓いの時の事」
遠慮がちに麻理亜は尋ねる。ティナは少し驚いた顔をしたが、子供を安心させようとするような微笑みを浮かべうなずいた。
「ええ。何が聞きたいの?」
「異動になる前、どんな事件を追っていたのか、とか……」
「ノーマジの、反魔法使い団体の捜査をしていたわ。その団体を率いている女性が、一人の子供にとてもつらく当たっていて……その子を守ろうとして、ノーマジの前で魔法を使ってしまったの」
「反魔法使い団体?」
「ええ。結構大々的に活動しているから、マリアも新聞で見た事があるんじゃないかしら――新セーレム救世軍って言うのだけど」
麻理亜は息をのむ。
新セーレム救世軍。それは、ニフラーによる強盗騒ぎがあった銀行のそばで受け取ったチラシに書かれていた名称だった。
「じゃあ、そこで何か――」
「立て。ニュート・スキャマンダー、ポーペンティーナ・ゴールドスタイン。尋問を行う」
麻理亜の質問は、牢の前に現れた職員によって遮られた。ニュートとティナは、牢の外へと連れ出される。
「私達は?」
「君も話を聞く事になるだろうが、後になる。君の場合は、立場が特殊だから。ノーマジは対象ではない」
ある程度の信用を得るための仮とは言え、今回の渡米に当たり、麻理亜は魔法大臣の後ろ盾を直接貰っている。不用意に扱ってイギリスとの関係に影響が出てはならない。そういう事だろうか。
「……私の立場を理由にするなら、ニュートもうちの魔法省の所属なのだけど」
「彼は魔法生物を持ち込んだ主犯だ」
試しに言ってみたが、あっさりと一刀両断されてしまった。ガチャンと重い音を立て、目の前で牢が再び閉ざされる。
麻理亜は子供染みた無邪気さを装い、猶も尋ねた。
「ねえ、どうしてティナも犯罪者扱いなの? 連行したのよね? あなた達側じゃない?」
「彼女には共犯の容疑が掛かっている。あまり無駄口を叩くな。自分の置かれている状況をよく見ろ」
麻理亜は軽く肩をすくめ、口を閉ざす。
尋問室へと連れて行かれながら、ニュートがふと振り返った。
「君と会えて良かった。店を持てるといいね!」
ジェイコブは、寂しそうに手を振って応える。
この場で、彼だけはノーマジだ。ノーマジに魔法界の事は知られてはならない。ここ、アメリカでは、結婚さえも禁止されていて、どんなに親密な仲であっても例外はない。
マクーザに捕まってしまった以上、ニュート達の疑いが晴れ、釈放されたとしても、ジェイコブだけはもう二度と会えなくなってしまうのだ。
やがて、麻理亜もジェイコブに別れを告げ、狭い部屋へと連れて行かれた。錆び付いた鉄の壁に囲まれた、中央に机が一つ置かれているだけの物寂しい部屋だった。
机には二つの椅子が向かい合って用意され、奥の席に例のマフラーの魔法使いがコートもマフラーもなしの姿で座っていた。
「初めまして、ではないな。私はパーシバル・グレイブス。魔法法執行部部長、魔法保安局長官を務めている」
「……どうも」
「座りたまえ」
麻理亜は言われるがまま、彼の前の席に座る。
彼は手元の資料をめくりながら尋ねた。
「マリア・シノ。ホグワーツ魔法魔術学校三年生。並びに、イギリス魔法省魔法大臣特務捜査官――大臣の独断により、直々に任命されたのだとか?」
「ええ。ご覧の通り、子供だから。肩書だけでも、立派に付けておかないと対応してもらえないと思って。ただの学生相手に、捜査状況をペラペラ話したりなんて出来ないでしょう?」
「子供だとは思ったが、思った以上に若いな。三年生と言うと、十三歳か?」
「まあ、そうなるわね」
「――実年齢か?」
麻理亜はピクリと眉を動かし、グレイブスを見る。彼は資料から顔を上げ、麻理亜をじっと見つめていた。麻理亜は彼の黒い双眸を見つめ返し、薄く笑う。
「あら……女性の歳を疑うなんて、随分失礼な人なのね」
「十三歳の子供に海外捜査などという任務を与えるとは、常識的に考えにくい。何か特殊な事情でもあるのではないかと思ってね。例えば――実際には大人だが、老いない身体である……とか」
麻理亜は無言で、グレイブスを見つめる。
これは、ただの鎌かけか。それとも、知っているのか。大臣は、麻理亜の釈明のために話してしまったのだろうか。
……いや、まさか。話せない。そういう契約になっているはずだ。
不老不死なんてものが存在すると広まれば、不要な混乱と争いを招く事になる。かつての、四人の最初の仲間達がいた頃のように。
「私は、幼い頃の記憶がないわ。だから、年齢については多少違うかもしれない。でも少なくとも、ご覧の通り、大人じゃないわ。それともまさか、相応の実力を持つ子供が捜査に協力するよりも、不老不死なんてものが存在する方が、常識的だとでも? マグルの話だけど、僅か七歳の子供が警察に頼られている国だってあったわよ」
二人はしばし、見つめ合う。ふっとグレイブスは笑みを浮かべ、目を閉じた。
「……まあ、いいだろう。それで? なぜ、彼らと共にいた?」
「彼らがニフラーを追いかけているところに、たまたま鉢合わせたのよ。そこで、動物園から脱走した動物にも遭遇して――そんなの、マグルの街も大混乱でしょう? 放っておく訳にもいかないから、脱走した魔法動物を探すのを手伝っていたのよ。破壊された動物園を直したりだとか」
「ノーマジの前で魔法を使用したのか?」
「緊急事態だったし、私が会った時、彼は既にニュートと一緒にいて、魔法の存在も知っているみたいだったから。それなら、意味もなく隠して苦戦するより、魔法を使って効率的に打開する方が、合理的でしょう? 専門知識もなし、魔法もなしでエルペントに近付いたりしたら、大怪我じゃ済まないわ」
「なるほど」
羊皮紙の上に立てられた羽ペンが一人でに動き、スラスラと麻理亜の話を書き留めていく。
「ニュートとティナは? それに、トランクの中の動物たちはどうなったの?」
「君が心配する事ではない」
「ニュートの言った通りよ。あのマグルを殺したのは、動物じゃないわ。動物の仕業ではあり得ない。オブスキュラスよ。現実を見なさい。事件が起こった以上、オブスキュラスを生んでしまった子供がいるのよ。早く見つけて助けなきゃ、取り返しのつかない事になる」
「そのオブスキュラスを、ニュート・スキャマンダーは手元に置いていた……と言ったら?」
グレイブスの言葉に、麻理亜はぽかんと彼を見つめ返す。
「は……え……?」
「彼のトランクから見つかった」
グレイブスは腕を動かす。宙を漂うようにして、結界に閉じ込められた黒い靄の塊が麻理亜の目の前へと姿を現した。それは、オブスキュラスに他ならなかった。
「もう何の力もない、残骸だそうだが。研究のためだと、彼は言っていた」
「彼がそう言うなら、そうなのでしょう。宿主となった子供を死なせずに、引き剥がす事が出来るように――叶うなら、生み出す前に食い止める事が出来るように――」
「どうしてそこまで彼を信用出来る? 今夜、初めて会ったのだろう?」
麻理亜は口をつぐむ。
「彼は犯罪者だ。嘘を吐いている可能性も、十分にある」
「彼は嘘は吐いていないわ。そんな人じゃない」
「解らないな……」
グレイブスは腕を振ってオブスキュラスをしまい込み、唇を指でなぞりながら麻理亜を見た。
「彼は学校を退学になっているそうじゃないか。しかし、ダンブルドアは反対していた。――君達は、なぜ、あの男をそこまで気に掛ける?」
麻理亜はグレイブスをまじまじと見つめる。
君達。アルバス・ダンブルドアと麻理亜。それは、ただ、ニュートをかばう者達として並べただけか。……それとも。
「あなた……いったい、誰なの……?」
グレイブスは答えず、ただ、麻理亜に牢へ戻るように告げただけだった。
牢には既に、ジェイコブの姿もなくなっていた。
誰もいない牢の鍵を開け、職員は麻理亜を中へと促す。麻理亜が入ろうとしたその時、緊急事態を告げる激しいベルの音が鳴り響いた。
突然の事態に、職員がうろたえる。その隙を、麻理亜は逃さなかった。
軽く握った拳の中に、一振りの大剣が現れる。麻理亜は職員の背後へと回り込むと、柄で彼の首筋を打った。彼はパタンと牢の中へと倒れ込み、動かなくなった。
「ごめんなさいね。でも、ずっと閉じ込められている訳にもいかないのよ」
廊下に飛び出している足も牢の中へと押し込み、彼からくすねた鍵で牢を閉じる。これで、例え意識が戻っても多少の足止めにはなるだろう。
警報が鳴り響く中を、麻理亜は駆け抜ける。いったい、何が起こったのか。ニュートとティナは、ジェイコブは、どこにいるのか。
尋問室のある廊下へと来ると、コートとマフラーに身を包んだグレイブスが部屋を出たところだった。彼は周囲を確認し、迷いなく廊下を足早に歩いて行く。麻理亜はそっと、彼の後を追った。
グレイブスが向かったのはマクーザの中の何処でもなく、外だった。緊急事態が起こっている今、いったい何処へ行こうというのか。
彼はひどく焦り、急いでいるように見えた。麻理亜はそっと、杖を振る。
「フェルーラ」
細い紐が伸び、風で後ろへと靡くマフラーの端にそっと巻き付く。直後、彼は「姿くらまし」した。
人気のない通りへと「姿現し」し、麻理亜は直ぐに杖を振り紐を回収した。僅かに引っ張られる感覚を感じたのかグレイブスは怪訝げに振り返ったが、麻理亜は既にそばの塀の陰へと隠れてしまっていた。
人通りもなく、見通しの良い通りだった。あまり近付く訳にはいかない。彼が横道にそれたのを確認し、麻理亜は物陰を出て彼が入った道へと走る。
壁に寄り添うようにしてのぞき込むと、そこにはグレイブスともう一人、背の高い少年の姿があった。
新セーレム救世軍のチラシを配っていた、あの少年だった。
「君は特別だ。これをやろう」
グレイブスは懐から取り出した何かを、少年の首にかけるような動作をしていた。
「子供を見つけたら、これに触れて知らせるんだ。やり遂げれば、君は英雄だ。称えられる」
麻理亜は眉根を寄せる。この世界には、他の世界で見た携帯電話やスマートフォンのような類はない。あるとすれば、それは魔法だ。しかし、彼は反魔法使い団体の少年。マグルの、それも魔法使いを殲滅しようなどという思想を掲げている団体の子供に、彼は何をさせようとしている?
少年はと言うと、今にもプレッシャーに押しつぶされそうな顔をしていた。構わず、グレイブスは厳しい声で話す。
「急げ。時間がないぞ」
そう言うと、踵を返し路地から出てきた。
麻理亜は角に佇んだまま、彼を待ち構えていた。麻理亜の姿を認め、彼は足を止める。
「君は――なぜ、ここに?」
麻理亜は口の端を上げて挑発的に微笑った。しかしその目は笑っておらず、グレイブスを油断なく睨み据えていた。
「奇遇ね。私も同じ質問をあなたにしようと思っていたところよ。――あの子に、何を渡したの?」
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2017/02/12