ジェームズ達と合流したものの直ぐに別れ、ナミは一人マグル学の教室へと向かった。動く階段や人物が留守になって目印にならない絵画に戸惑いながらやっとの事で教室に辿り着いた時には、既に授業は始まってしまっていた。
恐々と扉を開け、隙間から教室内を伺い見る。座席は空きが多く、点在するようにして生徒達が座っていた。教科書を読み上げていた教師が、ふっと顔を上げる。
「どうしたんだい? 入っておいで」
ナミは慌てて扉を開ける。そして、ぺこりと頭を下げた。
「遅れてすみません! 道に迷って……」
「ああ! マクゴナガル先生が仰っていた子だね。おいで。マグル学教師のウルフガング・スタンプです。よろしく」
「ナミ・モリイです」
言って、ナミはぺこりと再度頭を下げる。
顔を上げると、スタンプはナミに手招きしていた。言われるままに、ナミは教壇まで歩いて行く。前まで行くと、スタンプは生徒達の方を向くよう示した。くるりと百八十度、ナミは教室を振り返る。前から見ると、尚の事空席が目立った。
「それじゃ、皆にも自己紹介してもらおうか。次に、皆もナミに自己紹介だ。準備しておいてね。グリフィンドールの皆は若しかしたら既に話してるかも知れないけど、他の寮の皆はよく知らない間柄もいるだろうからね」
ナミは目を瞬く。それから、言った。
「ナミ・モリイです。えーっと……日本から来ました。魔法学校に通うのは初めてです。マグル学を学ぶのも初めてですが、マグルそのものの中では暮らしていました。よろしくお願いします」
「うん。じゃあ――次はアリスから行こうか。ナミは座って」
ナミが着席し、クラスの皆も自己紹介を始める。
午前中にあった呪文学も変身術も、自己紹介の時間などと言う物は設けられなかった。何だか、むず痒い気分だ。どうやらそれは、他の生徒達も同様らしい。
六人の生徒達が全員自己紹介を終え、スタンプは教室を見回した。
「それじゃあ、今日は新しく入ってきたナミの歓迎も兼ねて、ゲームでもしようか。皆、机を少し下げて前に集まって」
ナミは目をパチクリさせる。
この教師は、相当な変わり者らしい。
No.4
ナミは授業開始初日から、図書館に入り浸る事となっていた。
スタンプが持ち出したゲームは、マグルのすごろくだった。サイコロの代わりにルーレットを使い、全てのマスにおいて就職、引越しなどのイベントが準備されていると言うもの。授業自体は楽しかったのだが、彼は「歓迎の土産」と称して大量の宿題を生徒達に言い渡した。
既に、変身術でも課題が出ていると言うのに。ナミは、科目の選択を誤ったかも知れない。
――マグルの資料なんてあるのかな……。でもとりあえずまずは、魔法界の方も知らないとね……。
テーマは、我々魔法使いが活躍できるマグルの職業。イベントの演出のような魔法界にもあるものではなく、マグル界特有のもの。ナミとしては、まず魔法界にどのような職業があるのかが問題だ。
変身術もマグル学も、レポートの提出だった。マグルの高校のような問題集を解いて提出するのとは訳が違う。決まった答えと言うものはなく、自分自身の考えを持たなければならない。
図書館内は、上級生で溢れかえっていた。眉間に皺を寄せて羊皮紙や参考書を広げる生徒達。まだ今日は、授業一日目だと言うのに。何だか、見てはいけないものを見てしまった気がしてしまう。
座席を探して奥へと進んだナミは、見覚えのある赤毛と黒髪の二人組みを見付けた。
「リリー! セブルス!」
リリーは振り返り、にっこりと笑って手を振る。セブルスは顔を上げ、めいっぱい顔を顰めた。
構わず、ナミはリリーの隣の席へと向かう。
「ここ、空いてる?」
「ええ。変身術の課題?」
「うん。後、マグル学も」
ナミは椅子を引き、着席する。羊皮紙と羽ペンを鞄から出しながら、ナミは二人の顔を交互に見る。
「リリーとセブルスって、仲良いんだね。意外。若しかして、つき合ってるとか?」
セブルスの手元にあった本が、ばさばさと床に落ちた。顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせるが、言葉は出て来ない。
一方で、リリーは淡白に言った。
「幼馴染なの。入学前からの友達なのよ」
「ふうん……」
「ナミはマグル学を取ったのね。あの先生が宿題を沢山出すなんて、意外」
「リリー、知ってるの?」
ナミは目を瞬く。リリーは頷いた。
「私マグル出身だから、よく話しかけられるのよ。マグルの生活様式だとか、電化製品の事だとか。明るくて面白い先生よね」
「変人だよな」
「そんな風に言わないで」
リリーは語調強くセブルスに言う。セブルスは不機嫌そうな表情で、参考書に目を落とした。
ナミは身を乗り出し、その顔を覗き込む。セブルスは慌てて身を引いた。
「な、何だ!?」
「お昼の事、まだ怒ってる?」
「お昼?」
きょとんとリリーは首を傾げ、ハッとした顔になる。
「もしかして、またあの人達セブに何か――」
「連中とは何も無かった」
きっぱりとセブルスは言う。そして、ナミに目配せした。その目は、ジェームズ達との事をリリーに話すなと訴えかけている。
――なるほどね……。
ナミはニヤニヤ笑いを堪えながら、リリーに言う。
「ちょっと、私の持ってるお菓子分けてあげたんだ。キャンディなんだけどね、口に入れるとパチパチ弾けるんだ。リリーにもあげるよ――後で」
ポケットからピルケースを出そうとしたナミは、傍を通りかかった司書の姿に動きを止めて言った。
「あ、そーだ。リリーがマグル出身って事は、セブルスも?」
「セブはお母様が魔女よ。そうよね?」
セブルスは無言で頷く。
「じゃあ、魔法界の職種とか分かる?」
「職種?」
「うん。宿題で。魔法界に無いマグルの仕事を挙げなきゃいけないんだけど、魔法界の方を私知らないからさ。お父さんがやってた慰者と、後は魔法省や学校があるってぐらいで。新聞は取ってたけど、お父さんが読んでる裏から一面を視界に入れる程度だったし」
「あの男も、案外まともな課題を出すんだな」
「五年生となると、卒業後の進路も考えないといけないものね。ちょうどいいじゃない。これを機に調べてみたら? 先生も、それを目的となさってるんじゃないかしら。確かここにも、就職指南の本があったはずよ」
「それが良いだろう。魔法族の観点から奇をてらいたいのならば、ブラックにでも聞いてみるんだな。僕はマグル界の方も知ってしまっているから」
「ブラック……シリウス? 魔法族なの?」
「ああ。それに、奴の家は特殊だ。マグルの知識はほとんど持ち合わせていないのではないか」
「ふうん?」
相槌を打ちつつも、ナミは首を傾げる。ナミのように、近所が無いような辺鄙な所にでも住んでいるのだろうか。
本棚から就職関連の書物を引っ張り出して来て、黙々と課題を進める。時折、本に載っている職業の解説をセブルスに頼みながら。
リリーは変身術の宿題をしている訳ではなかった。図鑑のような物を広げ、時折セブルスと調合がどうのと相談をしていた。
そろそろ夕飯に向かおうかと言う頃、一人の男子生徒が三人のいる机へとやって来た。彼はナミの顔を見て、僅かに眉を動かした。しかし何も言わず、むしろナミもリリーも一切視界に入っていないかのような態度でセブルスだけに話しかけた。
「先輩。スラグホーン先生から伝言です。今週末、夕飯を一緒にしないかと」
「ああ、分かった。ありがとう」
軽く頭を下げそそくさとその場を去ろうとする彼に、セブルスは尋ねた。
「スラグホーン先生と言う事は、リリーもか?」
「さあ……。僕が言伝を預かったのは、先輩宛だけなので」
ちらりと彼は、リリーを見た。冷ややかで蔑むような横目。
「そうか。悪かったな、引き止めて」
「いえ」
彼はリリーからセブルスへと視線を戻す。
彼が再び背を向ける前に、ナミががたっと席を立った。
「――あなた、昼間の!」
彼は無表情でナミを見る。どこかで見たような整った顔立ち。
ナミは椅子を離れると、彼の正面へと歩み寄った。
「昼間、紙いっぱい抱えてた子だよね? ごめんね、あの時は」
少年はナミには答えず、セブルスに問うた。
「先輩のご友人だったんですか」
「いや。別に親しくも何とも無い」
「なっ。セブルス酷い!」
「そうですか……では」
言って、彼はナミへと視線を戻した。
「何をしでかしたか知らないが、自分が犯した行為の責任から逃れたいからと、他人を巻き込むな。迷惑だ」
セブルスとは随分違った対応だ。しかしナミは指摘しなかった。
「おっしゃるとーりで……。でも、言い訳させてもらうと、前半は違うよ。あれ、無実の罪だったからね」
「だからって僕を巻き込む正当な理由になるのか?」
「……なりません」
ナミは深々と頭を下げた。
「だから、ごめんなさい。あんな所で窓開けて紙散らせちゃって。拾うの大変だったでしょう」
「……」
「ごめん。何でも言う事聞くからさ」
ぴくりと、彼の眉が動いた。
「……何でも?」
「うん。あっ、でもあんまりお金かかるのとか、誰かに迷惑かかるのとか、理不尽なのは無しだよ」
あまりに深刻な表情をする少年に、ナミは慌てて言った。
彼は、キッとナミを見上げて言い放った。
「――兄に、近付かないでくれ」
「え……お兄さん?」
ナミはきょとんと目を瞬き、くるりとセブルスとリリーの方を振り返る。
セブルスが、言った。
「彼の名前はレギュラス・ブラック――君と同級生のシリウス・ブラックの弟だ」
「ああ、なるほど!」
ナミはレギュラスへと視線を戻すと、その肩をがしっと掴んだ。
「どうりで、何処かで見た顔だと思った訳だ。なるほど、シリウスかあ。さっすが兄弟、似てる似てる!
そう言えば名乗ってなかったね。私、ナミ・モリイ。あなたのお兄さんと同じ寮で、色々お世話になってる。よろしくね」
彼の肩から手を離し、握手を求めるように差し出した。しかし、レギュラスはナミの手を取るでもなくパシッと払った。
「僕は、グリフィンドールの奴らなんかと馴れ合う気は無い」
「レギュラス! そんな言い方――」
「あなたの意見は求めていません、リリー・エバンズ」
口調こそ丁寧だが、その声には侮蔑の色が露になっていた。
「確かに元々、兄は規律を乱しがちではあった……」
「規律を乱すってそんな大げさな……」
「それでも、今ほど酷くはなかった。ホグワーツに入って、ポッターを始めとするグリフィンドールの者達とつるむようになって、おかしくなったんだ。家でも、部屋は散らかすし物は壊すし訳の分からないポスターを貼り出すし、挙句の果ては母上にも失礼極まりない物言いをするようになって……全部、全部あなた達グリフィンドールの奴らなんかと関わり出したせいだ」
レギュラスは冷ややかな目で、ナミを見上げる。
「これ以上、僕らに関わるな。――行きましょう、先輩。そろそろ夕飯の時間です」
セブルスをナミ達から引き剥がすようにして、レギュラスは図書館を出て行った。
唖然としているナミに、リリーが言った。
「……私、レギュラスに嫌われているのよね」
「うん……何となく、解った。でも、なんで……グリフィンドールだから? でも、セブルスは仲良いのに」
「セブだって、敵対しないグリフィンドール生は私ぐらいよ。もちろん寮の事もあるんだろうけど……私は、マグル出身だから」
ナミは眉を顰める。
「……純血主義、って奴?」
「そう。魔法族の血が濃いほど優秀だ、両親がマグルなんて屑だ。そう考える人達がいるのよね。レギュラスも、そういう家で育ったのよ」
「家って……それじゃ」
「ええ」
リリーは頷く。
「そう言う家だから、シリウスは随分な変わり者として見られているみたい」
夕食の席で、ナミは再びジェームズ達四人と合流した。ナミと共にいるリリーにジェームズは素早く声を掛けたが、リリーはばっさりと切り捨て離れた席へと腰掛けた。
「ほっんと懲りねぇな、お前」
「彼女は照れ屋なんだよ。僕に振り向かない筈が無いからね、何度でも声を掛けるさ」
「どうだった? マグル学は」
リーマスが尋ねる。ナミはピーターの横に腰掛けながら、思いっきり顔を顰めた。
「授業は良いんだけどさ――めいっぱい宿題出された。変身術並み。取る教科間違ったかも」
「じゃあ、これまで宿題やってたの?」
ピーターの問いに、ナミは頷いた。
「そう。図書館でね。ああそうだ、シリウス。あなたの弟に会ったよ」
ジェームズと軽口を叩き合っていたシリウスが口を閉ざし、ちろりとナミを横目で見る。
「……そうか」
短く言って、ふいとそっぽを向く。ナミは食事に手を付けず、シリウスの横顔をまじまじと見つめていた。
シリウスは怪訝な顔をして振り返る。
「何だよ?」
「いや……あの、さ……仲悪いの? 弟さんと」
シリウスは僅かにムスッとした表情になる。ジェームズが軽い調子で言う。
「弟とって言うより、家族全体とだよなー」
シリウスは骨付き肉にがぶりと噛り付く。
「当たり前だろ。あんな奴ら」
ナミは俯く。
「何か……寂しいな。兄弟が仲悪いなんて……」
リーマスが少し困った風に、口を挟んだ。
「あ……ナミ、知らない? シリウスのご両親、純血主義で……」
「うん、聞いた。マグル出身者をあまり好く思ってない人達だって」
「そんな奴らと一緒だと思われたくないからな。まあ、あの人らだって俺の事は鬱陶しい問題児だと思ってんだ。お互い様だろ」
シリウスは淡白に返す。まるで、何でもない当たり前の事のように。
「レギュラスは、そんな風には見えなかったよ」
「ハッ、レギュラスか」
シリウスは鼻で笑う。
「あいつは親の言う事が全部正論だと思ってる馬鹿なガキだ」
「そんな言い方しなくても」
「じゃあ、あいつに俺の話を振ってみろ。お母上に迷惑をかけるばかりだの、ブラック家にあるまじきだの、言ってくるだろうよ。その前にまず、グリフィンドール生相手じゃスリザリン生らしく見下した態度を取ってくれるだろうな」
ナミは言葉に詰まる。
レギュラスの言動は、確かにシリウスの言う通りだった。
「難しいのかな……お互い分かり合うのって」
「俺に、純血主義に従えって言うのかよ」
「そう言うわけじゃないけど」
ナミは口を尖らせ、スープを手元に引き寄せる。
「家族がどうだろうと俺には関係ないし、お前にも関係ねぇよ」
そう言ったシリウスの声は、淡々としたものだった。
「おっはよーセブルス〜!」
ナミは笑顔で手を振り、スリザリンのテーブルへと駆け寄る。セブルスは、うんざりした表情で振り返った。
「朝からやかましいな。グリフィンドールが何の用だ」
「レギュラスいる?」
「いや……まだ降りて来ていないようだな」
スリザリンのテーブルをぐるりと見回し、セブルスは言う。
それから、じとっとした視線をナミに向けた。
「関わるなと言われていなかったか?」
「それはシリウスにでしょう。どちらにしろ、それって皆でシリウスを避けるみたいで『理不尽なもの』に含まれるから却下だけどね」
セブルスは軽く溜息を吐いただけで、何も言わなかった。クロワッサンを手に取り、そしてふと扉の方を横目で見る。
「ちょうど来たようだな」
振り返れば、レギュラスがスリザリンの友達と大広間に入って来るところだった。ナミは真っ直ぐに、彼の元へと駆けて行く。
駆けて来るナミの姿ははっきり視界に入っていたはずだが、レギュラスは無視してスリザリンの仲間達と席に着こうとする。
「レギュラス、おはよう!」
ナミはめげずに声を掛ける。
レギュラスは立ち止まり、振り返った。相変わらずの、冷たい視線。
「言ったはずだ。あなたと馴れ合うつもりは無い」
「レ――」
「おい、やめとけ。そんな奴に構うなって」
声がして、振り返る。
いつもの四人が、大広間に入って来たところだった。シリウスはレギュラスを見やる。弟に負けず劣らず、冷ややかな視線だった。
「高慢ちきなスリザリンの奴らなんて、挨拶するような価値ねぇよ。まだ屋敷僕妖精に挨拶した方がマシってもんだ」
「高慢はどちらですか? そのだらしない身だしなみと品の無いな話し方を正したらどうですか。仮にも、ブラック家の次期当主なんですから」
「ハッ。あんな家のご主人様になったところで、嬉しくもねーよ。ブラック家なんか、くそくらえだ」
「兄上!」
シリウスの言い様に、レギュラスは眉を吊り上げる。ナミは間に立って、おろおろと二人を交互に見るばかりだ。
「お前がグリフィンドールと関わらないって言うなら、結構だ。俺だって、スリザリンの奴らなんかと馴れ合う気はねぇ。そう『お母上様』に言っておけ」
「まだこれ以上母上の心労を増やすつもりですか!? いい加減にしてください! いつまでも子供みたいに駄々をこねて……」
「あの親を神様か何かみたいに崇め奉ってる思考停止野郎は、そうやって顔色伺ってればいいさ。俺は俺の思うようにする。指図を受ける気はねぇ」
シリウスはふいとそっぽを向くと、スタスタとグリフィンドールのテーブルへと去って行ってしまった。リーマスが慌てて後を追う。それを見て、ピーターも。
「ジェームズ! ナミ! 早く!」
「あ、ああ、うん」
ピーターに呼ばれ、ナミは慌ててそちらへ向かった。
ちらりと横目で、スリザリンのテーブルに着くレギュラスを見る。彼はコーンスープの皿に視線を落としたまま、ちらともこちらを見ようとはしなかった。
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2011/12/11