マグルの街からも遠く離れた、イギリス北部の山の中。広大な森は闇の中に沈み、ふくろうの鳴き声だけが木霊する。早い時間には星空のように煌めいていた灯りも今はなりを潜め、控えめに残された灯りが荘厳な城の姿をぼんやりと闇の中に浮かび上がらせている。
 ホグワーツ城へと帰って来たアルバス・ダンブルドアは、城門の前に佇む少女を見て歩みを止めた。少女は腕を組み、仁王立ちになってアルバスを見上げていた。
「お帰りなさい、アルバス・ダンブルドア先生」
「……感心しないな。生徒はもう、眠る時間だろう」
「どうして私があなたを待っていたのか、お分かりでは? それとも、グリフィンドールから百点ぐらい減点なさります? ダンブルドア先生」
「やめてくれ。君にそんな話し方をされるのは、薄気味悪い」
 アルバスは降参したように両手を挙げて首を振ると、麻理亜の背後の扉を押し開けた。麻理亜も彼の後に続き、城へと入る。消灯を過ぎたこの時間、いつもは生徒達が行き交う玄関ホールも、今は麻理亜とアルバスの二人しかいなかった。二人は足早に玄関ホールを横切り、大理石の階段を登る。
「パリへ行くのね? 出発はいつ? 準備は出来ているわ」
「いや……私は、行かない」
 麻理亜は立ち止まり、振り返る。アルバスは、壁沿いに飾られた眠る肖像画達を見つめていた。
「行かない? どう言う事? クリーデンスを探すために動き出したんじゃないの? もしかしたらもう出発しちゃったのかもって、一人で発った方がいいか迷っていたのよ」
「ニュートに頼んで来た。私は、ここを離れる訳にはいかないから。君だってそうだろう、マリア」
 アルバスはちらりと麻理亜を見上げると、再び階段を登り出した。麻理亜は小走りにその後を追う。
「ニュートに? 彼は出国が禁止されているのよ。あなただって知っているはずでしょう。どうして自分で行かないの?」
 アルバスは答えない。廊下を進み、部屋へと戻ろうとするアルバスの背中に、麻理亜は叫んだ。
「――アルバス!」
 彼はぴたりと立ち止まる。
「いずれ、戦わなければならないのよ。いつまでも過去から逃げる事なんて出来ないわ」
「記憶を無くさない限り?」
 間髪入れず返された言葉に、麻理亜は口をつぐむ。
 麻理亜には、記憶が無い。気が付いたら、まだ学校として開かれる前のホグワーツにいた。その前の事は、何も分からない。
 ただ、時折見る記憶の欠片は、どれも恐ろしいものばかりで。
 緑の光、命を乞う叫び声――麻理亜は手のひらを見つめ、ぎゅっと握る。
「……そうね」
 記憶を失くした麻理亜は、過去と向き合う事すら出来ない。逃げるな、なんて言える立場ではない。
 ふいと麻理亜は背を向けた。
「パリへ行って来るわ」
 短く言い置くと、麻理亜はホグワーツ城を後にした。





No.6





 大雨の中、麻理亜は立ち並ぶ家々の一つへと駆け込む。魔法で服を乾かしていると、奥から家主が姿を表した。
「こんばんは、ニュート。ごめんなさい、勝手に入っちゃって。大雨だったものだから……」
 踏み出した足元で、パキンと何かが割れる音がした。麻理亜は慌てて足を上げ、後退する。粉々になった陶器製の欠片が足元にあった。
「ごめんなさい!」
「大丈夫。すでに割れてたんだ。――レパロ」
 ニュートは、欠片の山へと杖を向ける。欠片達は浮かび上がり、身を寄せ合い、壺の形へと戻っていく。欠片に混じって気付かなかったが、一緒に一枚の絵葉書が落ちていた。ニュートが拾い上げたそれを、麻理亜は背伸びして覗き込む。
「クイニーへ……ティナ?」
 絵葉書は、ティナから彼女の妹へ宛てられた物だった。それがどうしてこの場にあるのか聞く間も与えず、ニュートは動き出した。テキパキと書き置きを用意し、壁へと貼り付ける。家の奥へと向かうニュートを、麻理亜は追った。
「ニュート? いったい――」
「マリア?」
「ジェイコブ!?」
 ニュートの家の奥は、魔法生物たちで溢れかえっていた。オーグリーに、ムーンカーフに、ニフラー……ニューヨークへ行っていた時は、ここからトランクに彼らを移していたのだろう。
 魔法生物達の中、背を丸めうなだれるジェイコブの姿があった。彼も大雨の中ここへ来たばかりなのか、それとも奥に見える水槽で何かあったのか、びしょ濡れだった。
「どうしてあなたがここに?」
 ジェイコブはマグルだ。彼と出会ったのは、マグルと魔法使いの交流が禁止されているアメリカ。魔法界に関する記憶をマグルには残せない。彼も例に漏れず、記憶を消されたはずだった。
 ジェイコブが答える前に、コートとトランクをひっ掴んだニュートが振り返った。
「パリへ行く。ティナも行ってるらしい」
「よし! クイニーもそこだ!」
 ジェイコブはガッツポーズをし、立ち上がる。
 何が起こっているのか分からず目を白黒させながらも、麻理亜は彼らと共に家を出る。何はともあれ、パリへ行くならば共に行かない手はない。家を出ると、麻理亜達はジェイコブを連れて「姿くらまし」した。

「どうしてジェイコブがここにいるの? 記憶は――」
 人里離れた山の中を連れ立って歩きながら、麻理亜は早速問い直す。ジェイコブは軽く肩をすくめた。
「だってあれは、悪い記憶を消す薬だろう? そりゃ、ちょっと大変な目にもあったりはしたけれど、悪い記憶なんて一つもなかった」
 ジェイコブは両手を広げ、満足げな笑みを浮かべる。
「まあ、完全に覚えたままって訳じゃなかったが、それでも足りない部分は、クイニーが教えてくれ……て……」
 ジェイコブの顔から、すぅーっと笑顔が消えていく。意気消沈して口をつぐむジェイコブに代わって、ニュートが説明した。
「ジェイコブとクイニーもさっき来たんだ。マリアの前に。クイニーはジェイコブを魔法で操って、結婚するつもりだった」
「クイニーが!? そんな、まさか! それで、クイニーはどうしたの?」
 麻理亜が着いた時、クイニーの姿はなかった。家のどこかにいたのを置いて来たとも思えない。
「喧嘩しちまったんだ……臆病だって言われて……つい、カッとなって……でも、すぐ我に返って飲み込んだのに……本気じゃなかったのに……」
 ジェイコブはうなだれる。麻理亜は、慰めるように彼の背中を叩いた。クイニーは心が読める。例え口から出さずとも、彼女にとっては心に浮かんだ時点で伝わってしまうのだ。
「クイニーは、ティナの所へ行くって言ってた。つまり、パリだ」
 ジェイコブは人差し指を立て、ニュートを視線で示し、うなずきながら話す。その顔には、クイニーへの手がかりを得た事による希望の兆しがあった。
「マリアはいったいどうしてここに? 一緒にあの姉妹を探しに行くのか?」
「私が探しに行くのは、クイニーじゃないわ」
 麻理亜はニュートへと目をやる。ジェイコブは信頼できる仲間だ。でも、マグルであり戦う術を持たない彼に、クリーデンスやグリンデルバルドの事まで話して良いものか。ニュートはどうしたのだろう。何も知らず、ただクイニー探しだけが目的なら、あまり巻き込まない方が良いのかもしれない。
「……マリアは、僕の恩師と親しいんだ」
 どうやら、クリーデンスの件は話していないらしい。ニュートは濁した言い方をした。
 ジェイコブは首をひねる。
「恩師? それって、例の、魔法使いの学校の?」
「そう。――彼は、僕一人に行かせるつもりなんだと思ってた」
 ニュートは麻理亜を見下ろしながら言った。麻理亜は肩をすくめる。
「私も、アルバスがあなたに行かせようとするとは思わなかったわ。てっきり、自分が行くつもりで準備を始めたのだとばかり」
「どうして自分で行かないのか、マリアは知らないの?」
 麻理亜はちらりと横目でニュートを見上げる。そして、前へと視線を戻し、答えた。
「……さあ。知らないわね」

 イギリスへ帰って来て、アルバスに会いに行った時に、麻理亜の身の上はニュートにも話した。麻理亜が不老不死だと聞いて、ニュートは信じられないと言うように目を丸くしていた。
「不老不死なんて……だって、そんな事が……」
「何、珍しい事じゃない。私の古い友人でも、マリアを含めて二、三人いる」
「先生の交友関係を基準にしないでください」
 言ってから、ニュートはハッとした顔になった。
「……もしかして、グリンデルバルドも、その事を?」
「ああ、知っている。彼は、ホグワーツに属さないから」
 困惑顔のニュートに、麻理亜が少し苦笑して説明した。
「私に関する記憶は、七年ごとにリセットされるようになっているの。私は基本的に、ホグワーツの外に出ない。記憶も、ホグワーツを起点として削除するようになっているの。グリンデルバルドと出会ったのは、ホグワーツの外だったのよ。彼自身も、ホグワーツの関係者ではなかった。私の身の上は話していないけれど……でも、察していたのでしょうね。探りを入れようとしている節はあったわ。そして今回、昔と変わらぬ姿の私と出会った……」
『実年齢か?』
 麻理亜の書類上の年齢について、パーシバル・グレイブスはそう尋ねた。それは、彼がグレイブス本人ではなく、変身したグリンデルバルドであったから。
「七年経ったらリセットされて、そして私はまた一年生からやり直す。魔法薬で、多少の見た目の調整をしてね。この事を知る生きている人物は、グリンデルバルドを除くとただ二人。その時の魔法省大臣と、それから記憶喪失の呪いを破ったアルバス」
 話しながら、麻理亜はアルバスに目配せする。紅茶を飲んでいたアルバスは、少し首を傾けて眉を上下させうなずいた。
「どうしてその話を、僕に?」
 ニュートは警戒気味に尋ねる。また厄介ごとに巻き込まれるのではないかと言う顔をしていた。
「あなたは信用できると思ったからよ、ニュート。それに今回の事で、私の特殊な立場に色々疑問を感じていただろうし」
「確かにこんな小さな子供が魔法省の任務で動いているなんて不思議ではあったけれど、別に僕は、詮索する気は全く……」
「それに、グリンデルバルドはあなたに目を付けた。そうでしょう? あなたが、彼を捕らえたんだもの。彼が大人しく監獄に収まり続けるとは思えないわ。だから、情報の共有はしておくべきだと思って」
「僕は、グリンデルバルドと戦いたい訳じゃない。今回は、たまたま――」
「その『たまたま』が、この一度きりとは限らない」
 ニュートは、明らかに不服げな様子だった。争いを厭う彼の事だ。グリンデルバルドとの戦いの渦中に巻き込まれるなんて、望まない事だろう。
「私も争い事は嫌いだから、気持ちは分かるわ。でも、だからと言って見て見ぬふりをする訳にはいかないし、あちらもそっとしておいてはくれない」
「ホグワーツに掛けてる永続的な魔法には対象外でも、グリンデルバルド個人にオブリビエイトする事はできなかったの?」
「普通なら当然そうするところだけど、彼はその前に逃亡してしまったから」
「逃亡?」
「マリアは、学生時代の君とも親しかった。君自身は覚えていないかもしれないが」
 それまで黙って話を聞いていたアルバスが口を挟んだ。
「先輩としても、後輩としても。学年が違うのに七年間親しかったのは、君達が初めてだった」
 アルバスの言葉に、ニュートは気まずそうに麻理亜を見る。
「それじゃあ――」
 アルバスはうなずいた。
「麻理亜は全部知っている。彼女もまた、君が退学にならぬよう尽力していた一人だったのだから」

 グリンデルバルドはきっと、脱獄する。そう警戒してはいたが、まさかこんなにも早いだなんて。パリで目撃されたと言う、クリーデンスの噂。関連が囁かれているタイコ・ドドナスの予言書。
 もし予言が真実であるならば、そして噂の通り、クリーデンスが「無残に追放された息子」なのであれば、彼を危険視している魔法省も認識を改めるかもしれない。そして同時に、危険だ。「偉大なる復讐者」――それが何を指すのかは分からないが、穏やかではない事に彼も巻き込まれると言う事になる。
「マリア?」
 掛けられた声に、麻理亜はハッと我に返る。ジェイコブが、心配そうな顔で見ていた。
「大丈夫か?」
「ええ。ちょっと、考え事をしていただけ。
 そう言えば、ティナもパリにいるってさっき言っていたわよね? 良かったじゃない、ニュート。ずっと渡航禁止にされていたから、あれ以来、会えていないでしょう? ティナもきっと喜ぶわ」
「……むしろ、怒ってるかも」
 ニュートはふいと目をそらす。
「え?」
「誤報が伝わったみたいで。発売イベントに、テセウスとリタが来ていただろう。それで、リタが僕の婚約者だって。その記事をティナが見て誤解してるって、クイニーが」
「あら……アー……ごめんなさい。私、知らなくて……」
「大丈夫だ。きっと元通りになる」
 ジェイコブが言った。自分自身にも言い聞かせるようだった。
「そしてまた、四人で仲良くしよう。いや、五人だな」
 そう言って、ジェイコブは麻理亜を我が子のように引き寄せる。頭へと伸びて来た手に、麻理亜は思わず身を怯ませた。
「頭は撫でないで。苦手みたいだから」
 ニュートの言葉に、ジェイコブは慌てて手を引っ込める。
「宗教上の理由?」
「いや、たぶん本能」
 麻理亜は目を瞬く。そして、くすりと微笑んだ。
「……変わってないのね」
 ジェイコブは、目をパチクリさせる。そして、小さく呟いた。
「何だか、初めて動物達に会った時を思い出すな……」
 ジェイコブの脳裏には、オカミーを撫でようとした時やサンダーバードに近付こうとした時のやり取りが浮かんでいた。
「でも、そうするとまずはティナの誤解を解かなきゃならないわね」
「簡単だ。素直に思ってる事を言えばいい」
「……君の瞳は、サラマンダーみたいだ」
 麻理亜とジェイコブはピタリと足を止め、ニュートを見上げる。ニュートはティナの事を思い出しているのか、少しぼうっとした瞳だった。……これは、本気で言っている顔だ。
「おい、サラマンダーはやめとけ」
 ジェイコブが真剣に言い諭す。
「いいな? サラマンダーは絶対に言うなよ? 禁句だ」
 ニュートは気圧されたようにコクコクとうなずく。
「良いか、まずは笑顔でこう言うんだ。『ティナ、君に会いにパリへ来たんだ』」
 ジェイコブは麻理亜に向かって芝居掛かった口調で話しかける。麻理亜はパッと両手を合わせ、答えた。
「『まあ、ニュート! 嬉しいわ!』」
 それから、暗い顔を作る。
「『でも、ニュート……あなた、他の人と婚約したのでしょう?』」
「『あれは誤報だ。記者が間違ったんだ。僕は、ずっと君に会うのを楽しみに』――あれは誰だ?」
 ノリノリでジェイコブと手を取り合っていた麻理亜も、ジェイコブの視線を追って振り返る。道の先に、一人の男がじっとこちらを見て佇んでいた。
「僕達がパリへ行く手段だ」
 短く言い置くと、ニュートは意気揚々と男の方へと足を進める。ジェイコブと麻理亜も芝居を打ち切り、慌ててニュートの後を追い駆けて行った。


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2018/12/14