夜が明け、城内に生徒達の話し声が満ちる。大自然に囲まれた、荘厳な城。深い渓谷の上に渡された橋を、一人の女が足早に城へと向かう。
大きな樫の扉の前で、彼女は少し踏み留まった。自分の母校と言う訳でもない、関係者と言う訳でもない、初めて訪れる異国の学校。でも、ここで立ち止まるつもりなんてない。
観音開きの扉を、恐る恐る押し開く。扉の先は、広い玄関ホールだった。奥に見える大理石の階段、その両脇の扉、開け放されたままの一際大きな扉、あちこちから黒いローブに身を包んだ子供達がやって来て、ホールを通り抜けていく。入口で佇む見慣れない魔女の姿に、ちらりと視線を送って来る生徒もいた。
「ホグワーツに何か御用が?」
きびきびとした声に、クイニーはびくりと肩を揺らし振り返った。この学校の教師だろうか。背筋をピンと正しいかにも厳しそうな雰囲気を漂わせた若い魔女が、クイニーの前まで歩いて来て立ち止まった。
クイニーは、少し目を泳がせた。
「アー……そのぉ……こちらに通っている子に、用事があって……」
「我が校の生徒に? 失礼ですが、あなたのお名前は?」
「ゴールドスタイン。クイニー・ゴールドスタインです。マリア・シノって女の子が、こちらにいると思うのだけど……」
「ミス・シノでしたら、本日より家庭の事情で自宅に帰っています」
「えっ……」
クイニーは言葉を失う。予想していなかった状況だった。ホグワーツは全寮制だと聞いていたから、学校に行けば必ず会えると思っていたのに。
「シノに、何の御用で?」
「えっと……大丈夫です。いないのなら……」
教師の胡乱げな視線から逃れるように、クイニーはそそくさと学校を離れた。
『どうするかは、あなたに任せるわ』
渡された一枚の紙。そこに書かれていた住所。悪戯っ子のように輝く橙色の瞳。
クイニーをジェイコブと引き合わせた麻理亜なら。彼女ならきっと、クイニーの味方をしてくれる。彼女ならきっと、クイニーの事を解ってくれる。そう、思ったのに。
クイニーは少し城を振り返り、そして顔を上げ正面を見据える。
学校にいないならば、仕方がない。彼女だって、都合があるだろう。
パリへ行こう。ジェイコブにも言った通り、ティナに会うのだ。彼女とは喧嘩中だけれど、それでも、今のクイニーに、他に行く当てなどなかった。
No.7
「うー……駄目だ。俺、あのポートキーって奴は苦手だ」
「こっちだ」
「ああ、待って、ニュート。速いわ。ジェイコブ、大丈夫?」
パリの街を、背の高い魔法使いとずんぐりとしたノーマジ、それから白髪の子供がやや小走りで進んでいく。
「こっち」
ニュートは短く言って角を曲がり、階段を登って行く。そして、銅像の前に立つ見張りの男性に杖を向けた。
「コンファンダス」
男性が錯乱している隙に、ニュートはその背後の像を通り抜ける。ジェイコブは突然消えたニュートに目を瞬き、足を止める。像の中から、手だけが突き出て来て手招きした。
「急いで。魔法はすぐに解ける」
「これは要らないわね」
麻理亜はジェイコブの手からバケツを取り上げ、足元に置く。それから、躊躇うジェイコブの背中を押して像を通り抜けて行く。像の中へと消える間際、視界の端でバケツが回転し再びどこかへと消えていくのが見えた。
パリの魔法界は、マグルの通りとあまり違いは見られなかった。ニュートはトランクを通りの真ん中に置くと、通りに追跡呪文をかけた。呪文は金色の渦となり、辺りに魔法の痕跡を現し始める。
「アクシオ、ニフラー!」
ニュートのトランクから、ぽんと一匹のニフラーが飛び出てちょこんとトランクの上に座る。
「ティナの痕跡を探して」
ニフラーは指示に従い、腹を地面に擦り付けて這うようにしながら、金色の輝きに満ちた通りを嗅ぎ回る。ニューヨークで宝石店を荒らし回っていた頃を思うと、ずいぶんと従順になったものだ。
ニュートは、金色の中にぼんやりと浮かぶ一匹の魔法生物の前に立っていた。
「これは河童だ。日本の、水の妖怪――ティナ?」
ニュートは痕跡の中にティナの幻影を見つけ、追い駆ける。しかし、幻影は魔法の範囲から出て直ぐに消えてしまった。
「ティナ!」
ニフラーは、地面の一箇所に止まり、その場を嗅ぎ回っていた。
「ねえ、ニュート。ニフラーが何か見つけたみたい」
ニュートはパッと振り返り、ニフラーの隣に膝をつく。
「何を見つけたんだ」
そして、迷う事なくその場に四つん這いになると、地面を舐めた。
ジェイコブと麻理亜は顔を見合わせ、強張った表情でニュートを見下ろす。
「そう、地面だって舐める……」
「愛ね……」
麻理亜は辺りを見回す。パリの魔法使い達は不思議なモノを見るようにニュートをちらりと見下ろすものの、幸い、関わり合いになろうとするものはいないようだった。……この中に、イギリスの著名な魔法生物学者を知るような者がいなければ良いのだが。ニュートは今、出国を禁止されているのだから。
現れては消える幻影の通行人。見慣れぬ魔法生物。大きなテント。そしてその向こうに見えた男女の二人組に、麻理亜は息を飲んだ。
――クリーデンス。
髪型も変わっていて、俯きがちだったニューヨークの頃に比べ足取りもしっかりしているが、間違いない。
麻理亜はそちらへと駆け寄るが、彼らもティナと同様、直ぐに金色の渦の外へと消滅してしまった。
ふっと足元に、鉤爪のような足跡が広がる。他の跡を覆い隠してしまうほどの、大きな足跡。振り返ると、ニュートは立ち上がり、杖を手にしていた。ジェイコブは足跡を見回し、目を瞬いていた。あまりの大きさに、少し怯えているようにも見える。
「こんな足跡、何がつけたんだ?」
「ズーウー……中国の動物だ。一日に千里を走る。別の場所まで、ひとっ飛びで移動する事ができる」
ニフラーはまた別の場所を嗅ぎ回っていた。
麻理亜は振り返るが、もうクリーデンスの幻影を見る事はできなかった。あきらめ、ニフラーの所へと歩み寄る。そこには、一つの足跡があった。ニュートが愛おしそうにそれを見下ろす。
「ここにティナが立っていた。彼女の足の幅は狭いんだ。知ってた?」
話を振られ、ジェイコブは首を左右に振る。
「いや、知らない」
足跡のそばに、一人の男の幻影が浮かび上がる。
「誰かが彼女に近付いた。」
男の帽子から、白い羽根が舞い落ちる。羽根は実態を持っていた。ニュートはそれを拾い匂いを嗅ぐと、杖を向けた。
「アベンジグイム」
呪文をかけられた羽根は、ふわりと宙に漂い、通りを流されるように飛んでいく。
「羽根を追って!」
「え?」
「羽根を追うんだ」
「え、ああ、羽根」
ジェイコブと麻理亜は、ニュートに言われた通り、たゆたう羽根の後を追い駆ける。ニュートは辺りを見回していた。
「ニフラーは何処へ行った? ――ああ、いた。アクシオ!」
街灯の飾りに気を取られていたニフラーは、有無を言わさずニュートの元へと「呼び寄せ」られる。飛んで来たニフラーをトランクに戻すと、ニュートも麻理亜とジェイコブの後に続き羽根を追って駆け出した。
パリの通りを、白い羽根はふわり、ふわりと飛んで行く。やがて通りを往来する人も増え、道に沿って立ち並ぶ店々も開き出した。人混みの中、羽根はふわりと細い路地へと入って行く。羽根の飛ぶスピードは決して速くはないが、注意して追わないと見失ってしまいそうだ。
飲食店から漂う香りは、朝から食事も取らず羽根を置い続けている麻理亜達には非常に毒だった。
「なあ、少し休まないか? コーヒーでも――」
「ジェイコブ、後にして」
ニュートは短く切り捨てて、ただひたすらに羽根を追う。その後に続きながら、麻理亜はぽつりとつぶやいた。
「フランスはバタービールって無いのかしら」
「バタービール?」
聞きなれない言葉に、ジェイコブが首を傾げる。
「そう。甘くてとっても美味しいのよ。学校の近くに魔法使いだけの村があってね、そこのパブの定番商品なの」
「へえ……なあニュート、ちょっとだけ……」
「こっちだ」
羽根を追い、ニュートはまた角を曲がる。羽根ばかりを見据えて、足元の段差に少し躓きかける。ジェイコブが慌てて手を伸ばしたが、助けを借りる事なく、何とか自力で踏みとどまった。
「なあ、ちょっとだけ寄らないか? パン・オ・ショコラとか、クロワッサンとか、ボンボンとか……」
止まった隙にと言わんばかりにジェイコブはニュートに聞いたが、ニュートはてんで聞いておらず、きょろきょろと辺りを見回していた。直ぐに少し先を漂う羽根を見つけ、また歩き出す。
「こっち」
「フレンチ・ブレックファストは、あきらめた方が良さそうね」
麻理亜はジェイコブを横目で見上げ、軽く肩をすくめる。ジェイコブは肩を落とし、のそのそと再び歩き出した。
麻理亜はふと、通り沿いの店へと目を向ける。オシャレなカフェや、パン屋さん。色とりどりのローブが店先に浮かんでいる洋装店に、可愛らしい小物が並ぶ雑貨屋。
麻理亜はふらりと、雑貨屋の方へと向かう。背後から、ジェイコブの呼ぶ声が聞こえた。
「えっ、マリア? おーい! 待って、ニュート。マリアが。待って! マリア! ニュート行っちゃうよ!」
麻理亜は小走りで店へと入り、外から見えていた棚へと真っ直ぐに向かう。飾り皿が並ぶ中からガラス製の蓋付き皿を選ぶと、手早く会計を済ませ――といきたいところだったが、通過の違いに少々手間取った末に、外へと出た。
店に入った少しの間に、天気が崩れ、外は雨が降り出していた。
「マリア!」
ホッとしたような声に振り返ると、ジェイコブが通りの向こうの角でびしょびしょになりながら大きく手を振っていた。
「早く! こっち!」
チラチラと角の向こうを振り返りながら、ジェイコブは叫ぶ。麻理亜は杖を上に向けて雨を防ぎ、ジェイコブの方へと駆け寄る。麻理亜が向かって来るのを確認すると、ジェイコブは一足先に角の向こうへと消えた。
角を曲がり、ジェイコブに追いついて魔法の傘に入れ、それから更に先のニュートに追いつくと、麻理亜はつい今し方雑貨屋で買った蓋付き皿を差し出した。
「ニュート、これ。これで羽根を捕まえて」
促されるまま、ニュートは受け取った皿と蓋で羽根を捕らえようとする。羽根はふわりとニュートの腕の下をくぐり抜ける。ジェイコブがパンと両手で挟もうとしたが叶わず、風に煽られふわりと揺れ動いただけだった。麻理亜も手を伸ばすも、掴もうとするとふわりと狙った先を外れて行く。道の真ん中でくるくると羽根を追い回す三人を、通行人が不可解げに横目で眺めていた。
「どこに行った?」
「後ろ! ニュート、あなたの後ろに――」
「動かないで、ニュート。今、俺が――よっと!」
「ああ、惜しい!」
羽根はジェイコブの指先をすり抜け、ニュートの頭の方へと上昇する。
不意に、ニュートの襟元から伸びた細い緑色の腕が、羽根を掴んだ。ジェイコブが歓喜の雄叫びを上げる。麻理亜も思わず飛び跳ね、叫んだ。
「やった! 捕まえたわ!」
羽根を手に顔の前に現れたボウトラックルを見て、ニュートはぱあっと表情を輝かせた。
「よくやった、ピケット。ほら、ここへ……」
ピケットはニュートの腕を伝って移動し、皿と蓋の間に羽根を放す。ニュートはしっかりと蓋を閉じる。羽根はふわりとガラス製の蓋の内側で浮かび上がり、羅針盤のように一方に寄った。
「これで、ずっと追い回す必要はなくなったでしょう?」
「それじゃ、ちょっとトイレに行って来てもいいかな。ずっと我慢してたんだ」
ジェイコブはそそくさとトイレを探しに行く。羽根を追い回している間に、雨はもう上がっていた。一時的な通り雨だったらしい。
ニュートと麻理亜は、道の端へと寄る。
「結構目立っちゃったわね。魔法省の耳に入らなきゃいいけど」
ニュートは答えない。彼の視線は、羽根と、羽根が示す先へともどかしそうに向けられていた。
麻理亜は困ったように微笑って小さくため息を吐く。今、彼の頭は羽根の先にあるであろう手掛かりの事でいっぱいなのだろう。
「それにしても、旅行の許可について魔法省に交渉はしてみなかったの? ニュート?」
「ん、えっ?」
「旅行の許可をもらえないか、頼んでみなかったの、って。テセウスも協力してくれそうなものだけど」
ニュートは、ムスッと不機嫌そうな顔になった。
「魔法省と取引なんてしない」
「取引を持ちかけられたの?」
「魔法省も、僕にクリーデンスを探させようとしていた。闇祓いになれって。……僕には向いてない」
「あら。結構向いてるかもしれないわよ。呪文の腕前なら申し分ないでしょうし、何よりあなたには、動物に関する正しい知識がある。そして、愛情も。取るべき最善の道を選ぶ事が、あなたなら出来る」
ニュートの目が、初めて羽根から離れ麻理亜に向けられた。彼は、少し驚いたような顔をしていた。
「……ダンブルドアみたいな事を言うね」
「そうなの? でもまあ当然、彼ならあなたの長所を見抜いているでしょうね」
麻理亜は微笑む。ニュートは目をそらし、壁にもたれかかった。
「……何だか、不思議な気分だよ。自分では思い出せない相手に、自分の事をよく知られているって言うのは」
「そうかも知れないわね。
それで? 自分では闇祓いに向かないと思うからって、旅行の許可を蹴っちゃったの?」
「だって、魔法省はグリムソンなんかと手を組んでいたんだ」
「グリムソンって……賞金稼ぎの?」
「賞金稼ぎの魔法動物ハンターだ。お金さえ貰えるなら、どんな酷い事だってする。そんな奴に魔法省は依頼したんだ!」
麻理亜は眉根をひそめる。賞金稼ぎのグリムソンの話は、麻理亜も小耳に挟んだ事があった。依頼を受ければ、必ず「仕留める」。その依頼のほとんどは危険な生物ではあるが、グリムソンの手管も人道的とは言い難く、彼を非難する声は少なくない。
魔法省が、グリムソンに依頼した? クリーデンスの捜索を? ……つまり、それは。「ニュート。それ、アルバスには話した?」
「いや、話してない」
「止めなきゃ」
魔法省は、クリーデンスを狩るつもりだ。オブスキュラスとして。危険生物として。
「アルバスに伝えて来るわ。あわよくば、魔法省がどこまで掴んでいるのかも探ってみる。ニュートも、手掛かりなく探し回るのは厳しいでしょう?」
「いや、僕が探しているのは――」
ニュートが皆まで言い終わる前に、麻理亜は「姿くらまし」していなくなった。
「マリアまで、何だよもう」
嘆くニュートの所へと、ジェイコブが戻って来る。ジェイコブはきょとんとした顔で、辺りを見回していた。
「あれ? マリアは?」
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2019/01/04