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扉を開け、その向こうに立つ来訪者にハルは思わず微笑を漏らした。そのまま扉を押し開き、かつての旧友を部屋の中へと迎え入れる。
「久しぶりだな、セブ。まさか、お前から来てくれるとは思わなかったよ」
「馴れ馴れしくするな。我輩は、話があって来たまでだ。――貴様には、尋ねたい事が山ほどある」
ハルは答えない。
ただ無言で、セブルスに席を勧めた。紅茶を二人分準備し、自分も勧めた席の正面に座る。
セブルスは、扉の前で立ち尽くしたままだった。
「どうした? 座れよ。どうせ、長い話になるんだろ」
「今まで、一体何処にいた?」
セブルスはやはりその場に立ったまま、厳しい口調で尋ねる。
ずっと、ハルは行方をくらましていた。卒業してから、この十四年間、ずっとだ。生死さえも分からぬ状況だった。
それが突然現れ、新学期からホグワーツの教員になると言う。それも、セブルスの助手に。
「我輩は助手など不要だが」
「そう言うなよ。俺だって、教職なんざ性に合わないと思ってんだ。どうせたった七年の間だ。我慢してくれ。若しかすると、それより短くなるかも知れないしな」
ハルの言葉に、セブルスは眉を動かす。
「……ダンブルドアの指示か」
「指示ではないな。俺から頼んだ。
でもまあ、目的はお前が予想してるので合ってるだろうよ」
「それなら尚更、何故ずっと姿を消していた?」
今年、入学する事になる少年。彼が原因ならば、何故、もっと早くに現れなかったのか。何故、それからも隠れ続けていたのか。
ハルはちらりとセブルスのほうへ視線を送り、気まずそうに前に戻した。そして、カップを皿の上に置く。
「いや……情けない話なんだけどよ……罰が、悪かった」
「……はあ?」
もっと大層な理由を想定していたセブルスは、思わず気の抜けた声を出す。
ハルは苦笑していた。
「ほら、俺、闇の帝王がいる間ずっと逃げ隠れていただろう? だから、奴がいなくなった途端、ひょっこり出て行くってのが、どうにも気まずくて……」
セブルスは眉間に皺を寄せる。
「それも不可解だった。何故、その間も逃げ隠れていた? 貴様らしくもない。逃げるのは嫌だと言っていたではないか」
「俺、死喰人になるつもりなんて無かったから。別にお前を責める訳じゃないが、リリーと敵対したくなかったしな」
「ならば、騎士団に入れば良かった。……リリーもいたんだ。不可能ではなかっただろう」
ハルは黙り込む。
セブルスは、呆れたように溜息を吐く。どうやらその辺りは、あまり話したくないらしい。
ハルは無言のまま、再び紅茶を啜る。セブルスは戸口に立ったまま、彼をじっと見つめていた。あの頃から、長い年月が過ぎた。けれども何も、変わっていない。ホグワーツに入学し、卒業して別れるまで、セブルスとハルはずっと一緒だった。セブルス・スネイプ、ハル・ウェイバー、……そして、リリー・エバンス。
「……ずっと、疑問に思っていた」
セブルスは、そっと口を開く。
学生だった頃から、ずっと疑問に思っていた。けれど、怖くて聞けなかった。若し肯定されれば、気付かなかった間に無神経な言動をしてしまった気がして。
「何だよ?」
なかなか先を続けないセブルスに、ハルが尋ね返す。
セブルスは顔を上げ、ハルの横顔を見据える。そして、言った。
「……ハルも、彼女に好意を寄せていたのではないか?」
ずっと、ずっと、子供の頃には聞く事の出来なかった事。ハルは、セブルスの想いを知っていた。応援していた。
けれどそのハル自身、リリーに対して特別な感情を抱いていたのではないか。
例えそうだとして、今更知ってもどうにもならない。彼女がいなくなってしまった今になって聞くなど、卑怯な話だ。セブルス自身、それを自覚していた。それでも、ずっとうやむやなままにする訳にはいかなかった。
ハルは、静かに頷いた。
「……ああ。俺も、あいつを好きだった」
セブルスは絶句する。
固く、拳を握り締める。ならば、何故。否、聞くまでもない。だが、それは申し訳ないと同時に、途方も無い屈辱だ。
セブルスが聞きたくない言葉を、ハルは抜け抜けと口にした。
「でも、セブもリリーを好きだったろ?」
言って、即座に立ち上がる。ハルが座っていた位置に赤い光が当たり、椅子に焼け焦げが残った。
「ふざけるな。お前は同情して、身を引いたというのか?」
静かだが、その語調は激しく怒りが表れていた。
ハルは頭をかき、杖を取り出す。
「危ないな。こんな所で杖振り回すなよ。カップが割れたらどうするんだ。お気に入りなんだぞ、これ」
「何故言わなかった。何故、我輩を応援した」
不味いな、とハルは冷や汗を流す。迂闊な返答をすれば、更に怒りを煽るだけだ。
怒っているとは言え、ポッター達相手のように容赦なくやり合う事は無いだろうし、ハルも魔法には自信がある。とは言え、次はカップが割れかねない。
「俺はそれしきの気持ちだったって事だよ」
ハルは、セブルスの杖に注意を払いながら話す。
「リリーの事は女性として好いていたし、幸せを願っていた。でも、あいつの周りにはお前やポッターがいた。俺より、お前の方が彼女を幸せに出来るだろうと思った。
そもそも、身を引くも何も、あいつの眼中に俺は無かっただろう」
「……」
「おいおい、こんな事で開心術使ったりするなよ!?」
「……使わん」
言って、セブルスは杖を握る腕を降ろす。ハルはホッと息を吐いた。
再び椅子に座り、紅茶を啜る。今度はセブルスも、椅子に腰掛けた。
「このカップ……」
「そ。リリーがくれた奴。……形見になっちまったな」
セブルスは何も言わず、紅茶に口をつける。
やや沈黙があり、不意にハルは言った。
「そう言や俺、帝王が失脚した後、隠れるついでに奴の事捜してみてたんだが」
突然の話に、思わずセブルスは紅茶を噴出しそうになる。
「無茶な!」
「だって、息の根止めるなら今の内だろう? まあ、俺ごときが一人で十年探し回ったところで、見つけられやしなかったんだけど」
「見つけても、お前には無理だ……」
「え?」
「否、何でもない。それで、見つけられずとも何かつかめたのか?」
「ああ、うん。アルバニアで、ちょいと気になる話を耳にした。闇が打ち砕かれたこのご時勢に、不穏な会話をしている輩がいたんだとよ。善と悪がどうとか、誓いがどうとか。それだけなら、まだそういう所に行けば耳にする内容だ。
でもその中に、どうもハリー・ポッターを差しているらしい話が出てきたみたいなんだ。奴も今年からホグワーツか、邪魔だな、みたいな話がさ」
セブルスは眉根を寄せ、ハルの話に聞き入っていた。
ハルは腕を組み、背もたれに寄り掛かる。
「まあ、俺はそれもあって、ここに来た訳なんだけどな。ポッターは癪だけど、子供に罪は無い。それに、あいつの子でもあるだろ。
どうせお前も、そんな感じでハリー気にかけてここにいるんだろう?」
「ああ……まあ……」
どうにも歯切れの悪い返答に内心首を傾げつつも、ハルは続けた。
「俺もお前と手を組んでやっていくつもりだ。これから七年間、またよろしくな。俺、あの爺さんに直接報告とか行きたくないから、お前の直接動かせる手駒が増えたとでも思ってくれて良い」
「都合の良い言い方だな。校長への報告は自分で行け。手は組んでも、お前の連絡係になるつもりは無い」
「俺、あの爺さん苦手なんだよな……」
「知るか」
セブルスは相変わらず、冷ややかな返答だった。
ハルは溜息を吐き、紅茶のおかわりを注ぐ。
カップを口に持っていきながら、ハルは正面に座るセブルスを盗み見た。
リリーへの恋を諦めた本当の理由を話したら、彼はどういった反応を示すのだろうか。憤慨するか、顔を顰めるか。何にせよ、良くは思わないだろう。
ハルは確かに、リリーに恋心を抱いていた。だが、リリーと自分の事など、セブルスの存在に比べれば大した話ではなかったのだ。ハルが願ったのは、リリーの幸せではない。セブルスの幸せだった。その為にリリーへの恋を諦める事は、ハルにとっては当然の事だった。
けれど、セブルスはそれを良しとしないだろう。
彼の中で、リリーは大きな存在だった。十四年ぶりに再会したが、彼女の死によってその存在は更に大きくなっているように感じられた。
対して、彼は自分自身の存在は取るに足らないものとして見る傾向がある。これも、この十四年間の内に尚更顕著になっているようだ。
若しハルが、セブルスの存在をリリーよりも重要だと言おうものならば、彼は決してそれを許さないだろう。
騎士団に加わらなかったのも、セブルスと敵対したくなかったからだ。死喰人になるつもりは無い。かと言って、セブルスと敵対はしたくない。だからハルは、逃げ隠れるしかなかった。どちらかに付きながらセブルスを説得出来るほどの力など、ハルは持ち合わせていない。
「お前を何より大切に思ってる奴だって、いるのにな……」
セブルスがいなくなった後のホグワーツ城の一室で、ハルはそっと呟いた。
2009/10/31