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チカチカと世界が明滅する。赤から黒へ、黒から赤へ。赤色の世界でも、黒い闇の中でも、白く光る異形のモノたちがぐねぐねと蠢きながらゆかを取り囲んでいた。
そして、ゆかの足元には倒れて動かなくなった一人の少女。
「ねえ、起きて。起きてよ、ねえ!」
「無理だ……彼女はもう、目を覚まさない」
そう言ったのは、彼女と一緒にいた白い小動物だった。周囲の赤色とはまた違う澄んだルビー色の瞳が、ゆかを見つめる。
「ねえ……な、何!? 何なの、これ!? この子が化け物倒してくれたんだよね? 倒したんじゃなかったの? この子、どうしちゃったの!?」
「彼女は魔力を使い過ぎたんだ。ソウルジェムに汚れを溜め込み過ぎた。その結果が……」
白い小動物は、奥にいるひと際大きな化け物へと視線をやる。
彼女が倒れると共に、現れた化け物。ゆかは愕然とそれを見つめる。
「嘘……嘘だよね……? あれが、この子だって言うの……? でも……でもそれじゃ、今度は誰が助けてくれるの……?」
悪者をやっつける正義のヒロイン。まるで幼い頃に見たアニメのようなお話。でも、それが現実として目の前で起こっている。
正義のヒロインは、悪を打ち破った。でもそのヒロインが、今度は悪になってしまった。
それじゃ、悪になったヒロインを止めるのは、いったい誰?
「君は運がいい。――どうやら、君にも魔法少女の才能があるようだ」
「え……?」
ゆかは小動物を見つめ返す。
小動物はゆったりと尾を振り、小首を傾げて言った。
「僕の名前はキュゥべえ。水城ゆか、僕と契約して魔法少女になってよ!」
「な……何言ってるの……?」
「僕は、君の願いを何でも一つ、叶えてあげられる。その代わりに君は魔法少女となって、魔女を倒す使命を負うんだ」
魔女とはもちろん、あの化け物の話だろう。それを倒す? 誰が? ゆかが?
「嫌だ……嫌だよ! だって……だってそしたら、今度は私がああなっちゃうんでしょ!? そんなの、嫌だよ!! ――きゃあっ」
鋭い痛みが肩に走った。周囲を蠢く小さな化け物たちが、攻撃を仕掛けて来たのだ。蛇かムカデのような姿をしたそれらは、ゆかの足を這うようにして上がって来て、ゆかへと覆いかぶさる。
「いや……いやああああっ!!」
「生身の人間じゃ、使い魔となんてとても戦えない。ゆか、早く僕と契約を!」
もう明滅はなかった。視界は使い魔と呼ばれる化け物たちに覆われ、酷い悪臭が鼻をつく。
「助けて……! 魔法少女でも何でもいい! お願い!! 私、死にたくない!!」
「それが君の願いだね」
闇に覆われた世界を、白い光が引き裂いた。
変わり果てた姿になってしまった彼女が倒れる前に着ていたような、正義のヒロインのような服を着て。テレビやゲームの中でしか見ないような、慣れない武器を持って。
ただただガムシャラな戦いだった。何とか打ち倒し生き残る事は出来たものの、ゆかは倒れ、動く事が出来なかった。気を抜いた途端、意図せず変身も解けてしまった。
目の前に転がる黒く小さな物を見やって、キュゥべえは言った。
「それはグリーフシード。魔女を倒すと産み落とすんだ。それを、ソウルジェムに当ててごらん」
ゆかは地面に転がったまま、何とか腕を伸ばしてグリーフシードを掴む。キュゥべえとの契約で作り出されたソウルジェムは、ほとんど黒く染まっていた。まるで、ついさっき化け物へと姿を変えた彼女のように。
「嘘……そんな……私……っ」
「落ち着いて。グリーフシードを当てるんだ」
ゆかは言われた通りにグリーフシードをソウルジェムへと当てる。みるみるソウルジェムは元の輝きを取り戻して行った。心なしか、身体も軽くなったような気がする。
「魔女を倒してグリーフシードを得れば、ソウルジェムの穢れは取り除くことができる。ソウルジェムの穢れは日常的なストレスでも溜まっていくからね。君たち魔法少女は、魔女を倒さなきゃならない。穢れを吸収したグリーフシードは、僕が回収するよ」
ゆかはゆっくりと起き上がる。頬を、涙が伝っていった。
「ゆか?」
「こんなのを……これから続けなきゃいけないの……?」
今の戦いでも、いっぱいいっぱいだったのに。一歩間違えれば、死んでいた。確かに生身では抵抗も出来ずに死ぬだけだった。でも、魔法少女になったからと言って、確実に魔女や使い魔を倒せる強さを得られた訳でもない。
「嫌だ……嫌だよぉ……」
ぽろぽろと涙が零れる。
魔女を倒さなければ、自分が魔女になってしまう。魔女を倒すのは、文字通り命懸け。魔力を使い過ぎれば、やはり魔女になってしまう。
――絶望的な始まりだった。
+++果たされなかった約束
空間が、歪に揺れる。黒いマントに身を包んだ魔法少女たちが見守る中、使い魔は結界と共に消え去った。
「ふぅ……お疲れ様です」
「まさか、ウワサの近くに使い魔が現れるなんて……」
『そちらは問題ありませんか?』
仲間の一人が、ウワサの方を見張っている別の黒羽根へと呼び掛ける。
ややあって、少し萎れた返答があった。
『……はい。使い魔の気配に当てられたのか暴れ出しましたが、アリナさんに来てもらって……』
「あー……」
黒羽根たちは、互いに顔を見合わせる。と言っても、全員、顔は目深に被ったフードの下に隠れていて見えないのだが。
マギウスのお三方の一人、アリナ・グレイ。高校生でありながら有名な芸術家で、魔法少女としても確かな実力を持っている。彼女が来たならウワサの扱いについては何も心配は無いだろうが、そちらにいた黒羽根たちはキツく絞られた事だろう。
「こっちには来なくて良かったね……」
「誰が来なくて良かったワケ?」
ビリリとその場に戦慄が走る。
振り返る首は、ギギギと鈍い音を立てそうだった。
「使い魔とは言えここまで近付くまで気付かない上、自分達では始末をつけられないとか、あり得ないんですケド。何のためにあなた達に任せてるの?」
「すみません……」
「で? 気付いた時の位置はここ?」
黒羽根たちは、気まずげに視線を交わす。
予期せぬ使い魔との戦闘開始から排除するまで、相当な時間を要してしまった。もちろん、位置も結界に入った時とは移動している。使い魔相手にそれ程にも苦戦していた事を知られたら、何と言われる事か。
口ごもる黒羽根たちに、アリナは明らかに苛立ちを募らせていた。
「あなた達がどの程度の距離で魔女や使い魔を察知できるのか分からないと、配置の見直しもできないんですケド。ワンスアゲイン? 使い魔の気配に気付いた位置はどこなワケ?」
「あ……えと……商店街の方の……」
「あなたが気付いたの? 案内してくれる?」
「は、はいっ」
上ずった声で答え、足を踏み出す。――と、足首に激痛が走った。
「……っ」
声にならない悲鳴を上げ、しゃがみ込む。別の黒羽根の一人が、様子を伺うように隣にしゃがんだ。
「怪我ですか? ……少し、失礼します」
彼女はためらいがちに、赤く腫れた足首へと触れる。白い光が灯り、そして、痛みは引いて行った。
「凄い……! 治癒魔法ですか?」
「自分でもよく怪我をするから、慣れてしまって。……もっと戦闘方面に役立つ力なら良かったんですけど」
「怪我を治せたら、無敵じゃないですか! 戦闘にだって……」
「そうでもないんです。こうして立ち止まっていて危険もない状態なら良いけど、結界の中だと、全然――」
「治ったなら、早くしてほしいんですケド」
「あっ、はい!」
ゆかは慌てて返事をすると、立ち上がりアリナの方へと駆け寄って行った。
マギウスの翼と出会って、ゆかの魔法少女人生は一変した。
なるべく、魔女と遭遇しないように。使い魔と遭遇しないように。魔法少女になってから、ゆかは戦いから逃げ続けていた。魔女を倒してグリーフシードを得なければならないとキュゥべえは言ったが、そもそも倒す事自体が無茶なのだ。死んでしまっては、元も子もない。
キュゥべえが言った通り、戦わなくても、ソウルジェムはじわじわと濁って行った。濡れタオルや石鹸、台所用洗剤、レモン汁、色々と試してはみたが、グリーフシード以外の物でソウルジェムに輝きを取り戻す事はできなかった。
――やがて、崩壊の時は来た。
濁り切ったソウルジェム。保健室のベッドに横たわりながら、ゆかは打ちひしがれていた。自分も魔女になってしまうのか。あの時の、ゆかを助けてくれた名前も知らない魔法少女のように。
しかし、ゆかに絶望の時は訪れなかった。
代わりに現れたのは、魔女によく似た、しかし魔女のような攻撃性は持たない生き物。そしてその気配を察知して訪れた天音月咲から聞かされた話。魔法少女の解放。マギウスの翼の存在。
ゆかは、黒羽根として彼女たちと共に魔法少女の解放を目指す事を選んだ。
マギウスの翼に入ってから、魔女との戦いを独断で避ける訳にはいかなくなった。でも、一人じゃない。戦いはまだ怖いけれど、本当に危うい時には今日みたいに上層部の強い人たちが駆けつけてくれる。アリナ・グレイは厳しい人でゆかはちょっと怖かったが、彼女の戦闘力の強さや指示の的確さは確かなものだった。現場に出て来る事が多く、最も直接話す事の多い天音姉妹も、黒羽根たちへの評価は手厳しいが、彼女たちがいれば命の心配はしなくて済むと言う安心感があった。
『それじゃあ、必ず二人一組で行動して。魔女が転送されたら他の魔法少女が倒しに来るかもしれないから、片方が足止めしている間にもう一人が連絡する事――』
『はい』
ゆかを含め、複数の黒羽根の声が重なる。
テレパシーでの連絡が終わり、ゆかは共に組むもう一人の黒羽根にぺこりと頭を下げた。
「あの……、今日は、よろしくお願いします」
「あっ、はい! こちらこそっ」
上ずった声に、ゆかはパリクリと目を瞬いた。
「あの……違ったら、ごめんなさい。もしかして、この前の……えっと、怪我を治してくれた方ですか?」
黒羽根は皆、黒いフードを目深に被っていて顔は見えない。顔は見えないが、彼女の声には聞き覚えがあった。
「えっ……あの、使い魔が出た時の……? ど、どうして分かったんですか!?」
彼女はフードの前を手で確認しながら答える。ゆかは慌てて首を左右に振った。
「あっ、いえ、顔が見えた訳じゃなくて! その、声で……」
「声……」
呟く彼女の声には、困惑の色があった。構わず、ゆかは勢い良く頭を下げた。
「あ、あのっ……この前は、ありがとうございました! 私、水城ゆかって言います! この前、お礼言えなかったから……!」
「えっ。な、名前!? そんな、個人情報を……!」
「えと……あなたなら同じ黒羽根ですし、大丈夫かなって思って」
ゆかは頬を掻きながら照れたように笑う。
「もし私がマギウスに潜入したスパイだったりしたら、どうするんですか……」
「スパイなんですか?」
「違います! 私は、マギウスの崇高な目的のために……!」
「じゃあ、大丈夫ですね!」
弾んだ声で話すゆかに、彼女はそれ以上何も言い返しはしなかった。
「これから……と言うより、これからも? よろしくお願いします。えっと……あなたの事は、何て呼べば良いでしょう? ――あっ。べ、別に、無理に名前を聞き出そうって訳ではなくて! あだ名でも……!」
身構える彼女に、ゆかは慌てて言い添える。彼女は逡巡して、それから小さな声で答えた。
「……じゃあ、匿名希望でお願いします」
それからと言うもの、彼女とは何度か任務で一緒になった。個々を区別出来ていなかっただけで、もしかしたらこれまでも繰り返し一緒になっていたのかもしれないが。
ゆかが話しかければ、彼女はややたじろぎながらも好意的に返してくれた。彼女の名前を知っている訳ではない。任務以外で出会う訳でもない。お互い、マントの下の顔も見た事がなく、連絡先すら知らない。ただ、任務が一緒になった時に挨拶をして、終わった後に他愛ない話をする程度の仲。それでも、これまで魔法少女の友達なんていなかったゆかにとって、彼女はかけがえのない存在だった。
「あの……水城さん、特訓って興味あります?」
「特訓?」
任務が終わった帰り道、各々が駅やら自宅やらへと解散して行く中、ゆかと彼女はいつもの如く、夜道に佇み話していた。
「はい……その……自分たちでグリーフシードを集められるように、魔女を倒せるように、特訓してくれるって人がいて……」
彼女の声は、尻すぼみになって消えて行く。ゆかはぽかんと彼女を見つめていた。
「……それって、マギウス以外の魔法少女ですか? 匿名希望ちゃん、他の魔法少女と話を……?」
忙しそうな白羽根の二人がゆかたち黒羽根のために時間を割いてくれるとは思えないし、お三方となれば更に望めない。
彼女は、「うっ」と言葉を詰まらせた。
「……きょ、教義に反するのは分かっています。で、でも、個人情報やマギウスの情報は何も漏らしてません! その……本当に、優しい方で……でも、一人で行くのはやっぱり気が引けて……水城さんも一緒なら……」
「特訓……特訓かあ……それって、マギウスの任務以外でも魔女と戦うって事ですよね……」
「それは……たぶん、まあ……」
魔女を倒すための特訓。必要だろうと言う事は解っている。誰もグリーフシードを分けてなんてくれない。神浜にいれば、マギウスにいれば魔女にはならずに済むと言っても、ずっとそれだけに縋っている訳にもいかないだろう。ソウルジェムが濁れば思うように戦えなくなるし、そうなれば任務にだって支障が出る。
「ご、ごめんなさい……! 今の話は、忘れてください……! いけない事だとは分かっていたんです。でも、思わず……」
「え、あ……っ。ち、違うの! 匿名希望ちゃんを責めるつもりはなくて……!
えっと、私も……必要だろうなとは、思うんです。でもやっぱり、魔女との戦いって出来る事なら逃げたくて、そんなんじゃ駄目だって分かってるんですけど、でも……」
自分でも何を言っているのか、どうしたいのか、分からなかった。まとまりのないゆかの話を、彼女は静かに聞いていてくれていた。
「あの……お返事、もう少し考えてみてもいいですか……?」
「は、はい! それは、もちろん! あ、でもこの事、他の人には……」
「分かってます。私と匿名希望ちゃん、二人だけの秘密ですね」
ゆかはクスリと笑って言う。それから、公園の時計へと目を向けた。
「――そろそろ帰らなきゃ。明日も学校ですし」
彼女はゆかと違って、神浜市内の学生寮住まいだ。以前、本人がポロリと零していたので知っている。別れて駅へと向かおうとしたその間際に、彼女は尋ねた。
「あ、あの……水城さんは、明後日、任務入ってますか?」
「明後日? はい。学校……あ、えっと、工匠学舎の近くでウワサの警護を……」
「工匠区ですか? じゃあ、私も一緒です! それじゃ、当日会えますね」
「当日……あ! バレンタイン!」
ぎくりと彼女は肩を揺らす。そして、照れるようにうつむき顔を背けた。
「私、匿名希望ちゃんに友チョコ持って来ますね! どんなのが好きですか?」
「えっ……そ、そんな、お気遣いなく……!」
「私があげたいんです。……それとも、迷惑ですか?」
「そっ、そんな事ありません! わ、私だって、水城さんにもあげようと思って……!」
「本当ですか!? 嬉しいです! それじゃあ、交換っこですね! わあ、楽しみ!」
ゆかは両手を合わせ、ニコニコと笑う。彼女は、やはり照れ臭そうにうつむいていた。
次の日の放課後、ゆかは早速チョコを買いにデパートへと寄った。バレンタイン前日のチョコ売り場は、平日とは思えない混雑だった。
どんなチョコが良いだろう。彼女は喜んでくれるだろうか。彼女も、ゆかに贈ってくれるつもりだと言っていた。これはもう、友チョコと呼んでも良いのではないだろうか。初めて、魔法少女の友達が出来るかもしれない。
彼女の事を思いながらチョコを選ぶのは楽しくて、あっと言う間に時間が過ぎて行った。
彼女の分、学校の友達の分、家族の分。彼女は他に、誰にあげるのだろうか。学校の友達? あるいは、好きな人がいたりもするのだろうか? 聞いてみたい気もするが、そこまで踏み込んだ話をして良いのか分からない。マギウスの中では、一番親しい。でもやはりお互い遠慮があって、ゆかは彼女の事を何も知らない。
彼女が他の魔法少女と親交を深めている事だって、まさかマギウスのルールに忠実な彼女がそんな事をするとは思わなかった。
「特訓、かあ……」
魔女と戦うのは怖い。マギウスの任務でも戦闘になると恐ろしいのに、任務以外でも戦うなんて。
でも、グリーフシードは必要だ。
それに、特訓で強くなれば、怖いと言う気持ちも薄れるのではないか?
マギウスではない魔法少女と一緒だなんて、教えを破る事にならないだろうか。
でも、ゆかが強くなればマギウスにだって役立つはずだ。
それに、彼女が一緒だ。
他の魔法少女から特訓の話を持ち掛けられた彼女。もし、ゆかが断ったら、彼女も断るのだろうか? それとも、一人でその魔法少女と特訓を開始するのだろうか?
「……うん、決めた」
購入したチョコの入った袋を握る手にギュッと力を入れながら、ゆかは小さく呟いた。
水曜日。任務に、彼女の姿はなかった。
「一、二、三、四、五……一人足りませんね……ホームルームが長引いたりでもしてるでしょうか……」
黒羽根の一人が、集まった数を数え、困ったようにつぶやく。
「とりあえず、予定の配置につきましょう」
「はい」
うなずき、ゆかたち黒羽根は散会する。
人数が足りない事からして、ゆかと彼女の勘違いでもなく、やはり彼女もここでの任務だったようだ。何か、急な予定でも入ったのだろうか。今日はバレンタインだ。それこそ、誰かにチョコを渡しているとか?
結局、その日の任務に、彼女は姿を現さなかった。
「あの……帰らないんですか?」
帰ろうとしないゆかに気付き、黒羽根の一人が言った。
ゆかはデパートの袋を両手で握り、答えた。
「今日来なかったもう一人の子、もしかしたらこれから来るかもしれないから……予定より早く解散の指示来たから、誰もいなかったら戸惑うだろうし、私、もう少し待ってみます」
他の黒羽根たちが帰り、夜の公園にはゆか一人が残される。ゆかはベンチの雪を払い、そこに座った。
彼女はきっと来る。だって、約束をしているのだ。チョコを贈り合おうと。あの子の事だ。もし何か理由があって任務に来られなかったのだとしても、きっとゆかとの約束だけでも果たそうとする。
彼女が来たら、このチョコを渡して。そして、告げるのだ。ゆかも、特訓を受けると。彼女と一緒に、強くなりたいと。
魔女は怖い。
でも、彼女と一緒なら、きっと何だって出来る。出来るようになれる。
待つのは悪い気分ではなかった。
これから始まるだろう特訓への不安と緊張。でもそれを上回る、ワクワク感。チョコを渡した時の、返事を告げた時の彼女の反応への楽しみ。
「匿名希望ちゃん、遅いなあ……ふふ」
つぶやいた声は、雪と闇の中へと吸い込まれるように消えて行った。
『水城さんへ
いつもありがとう。
――より』
見滝原市、病院の屋上。
贈り主を失い取り残されたメッセージカードの上には、静かに雪が降り積もっていた。
2018/02/24