ケイティが襲われ聖マンゴ病院に入院したという話は、週末が明けるのを待たずに学校中に広まった。
 ホグズミードで死喰人の襲撃にあった。ケイティは生死を彷徨っている。あのハリー・ポッターとサラ・シャノンが死喰人と決闘を繰り広げていた。いやいや死喰人と闘っていたのはケイティで、二人は後から助太刀に入ったのだ――噂にはいくつもの尾鰭が付き、明らかに情報が錯綜していた。生徒達は何が真実かなどあまり興味はなく、そこにあるのはただ身近で起こった事件への興奮と、巻き込まれた生徒の安否へのいくばくかの心配だけだった。
 好奇の目に晒されるのはもう、慣れっこだ。翌日の大広間では誰もがヒソヒソと囁きあいながら、チラチラとハリーやサラへと視線を送っていた。
「皆、ケイティの事を話しているわ。あなた達が居合わせたって噂になっているから」
「君達もだろう」
 銀の大皿からクロワッサンを取りながら、ハリーが素気なく言った。
「生憎だけど、皆が興味あるのは、ハリー・ポッターとサラ・シャノンが関わっているんじゃないかって事だけよ」
「どこから漏れたんだろう。誰かすれ違ったっけ?」
 首を傾げるロンに、ハーマイオニーは軽く肩をすくませる。
「根拠なんてないと思うわ。皆、好き勝手話しているだけよ。知られている事実は、ケイティが医務室に運び込まれて、それから聖マンゴへ移されたって事だけ」
「狙われたのはケイティじゃないって事も、知ってるのは昨日居合わせたメンバーだけでしょうね」
「ああ。それにもちろん、マルフォイも知ってるよ」
 ハリーの言葉には、ロンもハーマイオニーも何も返さなかった。二人とも急に食事を口に運ぶのに忙しくなり、何も聞こえなかったかのように振る舞った。
 ドラコは、いつもの仲間と一緒にいた。ビンセント、グレゴリー、ブレーズ・ザビニ、それからパンジー・パーキンソン。
 ドラコは口元に笑みを湛えたすまし顔で、何か話している。大勢の生徒がひしめく大広間で何メートルも向こうの彼らが何を話しているのかなど聞き取れないし、口の動きから正確に読み取るような術も持ち合わせてはいない。
 それでも、きっと何か知っている風を装って得意げにしているのだろうという事は、想像に難くなかった。事実として知っているかどうかは、別として。いつもそうやって周囲の関心を得たがるのだ、彼は。
 ――だけど、何故だろう。
 いつもの少し得意げな、すまし顔。それがどこか、無理をしているように見えるのは。





No.16





 月曜日の夜には、二度目のダンブルドアの個人授業が待ち構えていた。何をするのかは例によって知らされていないが、前回を思うとサラはあまり楽しみには思えなかった。
「……サラ、大丈夫?」
 ハーマイオニーの声で、暖炉の火を見つめていたサラは我に返った。
 個人授業の時間までに少しでも宿題を片付けておこうと、談話室でレポートに齧り付いている最中だった。振り返ると、心配そうな瞳がサラを見つめていた。
「大丈夫よ。ありがとう、ハーマイオニー」
「どうしたの? 何か具合でも悪いの?」
 ロンがきょとんと問う。ハーマイオニーが剣呑な視線をロンに向ける。
「何だよ。君が大丈夫って聞いたから……」
 二人の様子に少し笑いながら、サラは言った。
「大丈夫。体調なら万全よ」
「……そろそろ、時間だ」
 控えめにハリーが言った。サラは結局一行も進まなかった羊皮紙と羽根ペンをしまい、立ち上がる。
 隣で羊皮紙にぎっしりと文字を詰め込んでいたハーマイオニーも、立ち上がる。そして、サラの手を取った。
「サラ」
 目を瞬くサラを正面から見据え、ハーマイオニーはきっぱりと言った。
「血縁関係にどんな人がいようと、サラはサラよ。あなたが何者であるかを決めるのはあなた自身だし、あなたはヴォルデモートとは違う。それを私たちは知っている」
 サラは唖然としてハーマイオニーを見つめていた。
 ――本当に、彼女は聡い。前回の授業でサラが受けたショックも、今日またあの続きを見るのだろうかという不安も、全て見透かして寄り添ってくれる。
「ありがとう、ハーマイオニー」
 もう一度、サラは言い、微笑んだ。
「何か迷う事があったら、何でも話して。一人で抱え込まないで。絶対よ」
「……うん、分かってる」
 微笑みながら、サラはうなずいた。
 ――こんなにも想ってくれる彼女達を裏切ろうとしているのだという罪悪感から、目を逸らしながら。





 校長室でサラとハリーを待ち構えていたのは、またしても「憂いの篩」だった。
「わしの留守中、忙しかったようじゃのう。ケイティの事件を目撃したのじゃな」
 今度は、誰の記憶を見るのだろう。何を見る事になるのだろう。「憂いの篩」を見つめ立ち尽くすサラの横で、ハリーが尋ねた。
「先生、ケイティの様子は?」
 ケイティは、まだ順調に回復とは言えない容体らしい。とは言え、首にかけたりはしなかった事、当日は寒く手袋をはめていた事は、大いに幸いだったようだ。もし素手でネックレスに触れていたなら、即死だっただろうとダンブルドアは語った。
「幸い、スネイプ先生の処置のおかげで、呪いが急速に広がるのは食い止められた――」
「スネイプ!?」
「どうして?」
 サラとハリーの声が重なった。ハリーが続けて問うた。
「どうしてマダム・ポンフリーじゃないんですか?」
「生意気な!」
 壁から低く咎める声がした。サラの曽々々祖父が眠りから覚めていた。
「わしの時代だったら、生徒にホグワーツのやり方に口を挟ませたりしないものを」
「そうじゃな、フィニアス、ありがとう。
 サラ、スネイプ『先生』じゃよ」
 言い置いて、ダンブルドアは理由を述べた。スネイプ先生は、マダム・ポンフリーよりもずっとよく闇の魔術を心得ている、と。
 それは当然、そうだろう。あんなにも闇の魔術そのものに傾倒しているかのような語り方をするぐらいだ。
 ハリーも納得はできないようで、やや反抗的な態度でダンブルドアの週末の所在について深掘りしていたが、ダンブルドアの返答は意外なものだった。
「時が来れば、君たちに話すことになるじゃろう」
「話してくださるんですか?」
 ハリーも教えてもらえるとは思っていなかった様子で、反芻するように尋ねた。
「いかにも、そうなるじゃろう」
 言いながら、ダンブルドアは準備を始めていた。
 銀色の記憶が入った瓶を取り出し、そのコルク栓を軽く杖で叩く。コルク船はキュッと回転しながら瓶の口を抜け出し、そばの机の上へと着地した。
 それからハリーは、二、三の質問をダンブルドアへと投げかけていた。もう反抗的な態度ではなく、遠慮がちな聞き方だった。
 マンダンガスの件についてはダンブルドアも既に把握していたが、彼は地下へと潜ってしまったとの事だった。
 ドラコの話になった時には、その空色の瞳が一瞬、サラへと向けられたように感じた。

 第二回の個人授業で最初に見たのは、カラクタカス・バーク――ボージン・アンド・バークスの創始者の一人の記憶だった。
 彼は、妊娠中のメローピー・ゴーントからロケットを買っていた。いつだかの十二月の事だった。トム・リドル・シニアと別れ、経済的にも困窮している彼女から、彼は十ガリオンでスリザリンのロケットを買い取った。
「たった十ガリオンしかやらなかった?」
 ハリーの声色には、憤りが滲み出ていた。
「カラクタカス・バークは、気前の良さで有名なわけではない」
 ダンブルドアは静かに言った。
 メローピーは、困窮していた。父親から散々その価値を聞かされていた、唯一の家宝を手放さなければならないほどに。
 ――彼女は、魔法で生活を補おうとはしなかった。どんなに飢餓と死が目前に迫っても、二度と魔法を使おうとはしなかった。
「子供のために生きようとさえしなかったのですか?」
 ハリーの憤慨に、ダンブルドアは眉を上げた。
「もしや、ヴォルデモート卿を哀れに思うのかね?」
「……哀れに思ってはいけませんか?」
 思わず、サラは口を挟んでいた。咄嗟に「いいえ」と言いかけたハリーも、ダンブルドアも、サラを見ていた。
「まだ、お腹の中の赤子でしょう。まだヴォルデモートじゃない。一人の、母親にまで見放されてしまった赤ん坊の話です」
「その赤ん坊が後に、君を父親から引き離し、祖母の命を奪う事に繋がるとしてもかね?」
 ダンブルドアは、じっとサラを見つめていた。その双眸を見つめ返し、サラは答えた。
「赤ん坊の境遇は哀れなものだと思います。だけど、だからと言ってその後の彼の所業を認める訳ではありません。どんな境遇であったにせよ、人の命を奪う事は許されない」
 ダンブルドアはふっと微笑んだ。
「――そうじゃな。許されないことじゃ」
「……僕も、サラと同じ意見です」
 サラとダンブルドアの問答を見て、意を決したようにハリーは言った。
「ヴォルデモートの行いを認める訳じゃありません。でも、メローピーは選ぶことができたのではないですか? 僕の母と違って――」
「君の母上も、選ぶことができたのじゃ」
 ダンブルドアは優しく言った。
「いかにも。メローピー・リドルは、自分を必要とする息子がいるのに、死を選んだ。しかし、ハリー、メローピーをあまり厳しく裁くではない。長い苦しみの果てに、弱りきっていた。そして、元来、君の母上ほどの勇気を持ち合わせてはいなかった。さあ、それではここに立って……」
 ダンブルドアに言われるがままに、サラとハリーは机の前に、ダンブルドアと並んで立つ。
 そして飛び込んでいった先は、ダンブルドア自身の記憶の中だった。





 今よりも、ずっと若いダンブルドアだった。髪も顎髭も今のように長く伸ばしているが、その色は銀色ではなく鳶色で、顔に刻まれた皺も少ない。若きダンブルドアが訪れたのは、孤児院だった。
 四角く、冷たい建物だった。古くみすぼらしい建物だが、汚いという印象は受けなかった。孤児院とは、どこもこういう所なのだろうか。それとも比較的良い、あるいは悪い環境なのだろうか。サラも産まれて直ぐ孤児院へと捨てられたそうだが、直ぐにリサが引き取ったのでサラに孤児院にいた間の記憶は無い。
 ここが孤児院として標準的な場所だったとしても、イギリスと日本とではまた違うかもしれない。それでも、こういう場所に置いて行かれたのだとイメージが鮮明になるのは、例えナミの事情を知った後でも複雑な気持ちだった。
 院長のミセス・コールは、しっかりとした女性だった。鋭く、矛盾や曖昧な事に敏感で、ダンブルドアは話を進めるために、錯乱の呪文を彼女にかけなければならなかった。
 トム・リドルのホグワーツ魔法魔術学校への勧誘。それが、この若きダンブルドアが孤児院を訪れた用件だった。
「トム・リドルの生い立ちについて、何かお話しいただけませんでしょうか? この孤児院で生まれたのだと思いますが?」
「そうですよ」
 空になったグラスへとジンのおかわりを注ぎながら、ミセス・コールは答えた。そこそこに強いお酒だったと思うが、まるで水のように飲みながらも、ミセス・コールはさっぱり酔う様子は見られなかった。
「あの事は、何よりはっきり覚えていますとも。なにしろ私が、ここで仕事を始めたばかりでしたからね。大晦日の夜、そりゃ、あなた、身を切るような冷たい雪の日でしたよ。酷い夜で。その女性は、当時の私とあまり変わらない年頃で、玄関の石段をよろめきながら上がって来ました。まあ、何も珍しい事じゃありませんけどね」
 孤児院を訪れたメローピーは、一時間後に、子供を産んだ。そして、更に一時間後――彼女は、亡くなった。
 トム・マールヴォロ・リドルの名は、メローピーが付けたものだった。魔法で得ようとした程に愛した男の名と、父親の名前から取って。ミセス・コールらは言われた通りにリドルを名付け、そのまま孤児院で育てた。リドル家はもちろんの事、ゴーント家にしても、子供を引き取りには来なかった。……例えメローピーの行方と子供の存在を突き止めたとしても、あの父親がマグルとの子を引き取りに来るとは思えない。
「おかしな男の子ですよ」
「ええ。そうではないかと思いました」
「赤ん坊の時もおかしかったんですよ。そりゃ、あなた、ほとんど泣かないんですから。そして、少し大きくなると、あの子は……変でねぇ」
 そこまで話したものの、ミセス・コールは続きを話すのを躊躇った。
 何を聞いてもトムを入学させるか。そう念入りに繰り返し確認して、ようやく彼女は口火を切った。
「――あの子は、他の子供達を怯えさせます」
 ドクン、とサラの鼓動が鳴った。
 彼女の言葉は曖昧だった。曖昧だが、その一言でサラは彼女の言わんとするところを察した。
『――シャノンの「報復」だ』
 そう言い始めたのは、誰だったか。証拠などどこにもなかった。だけど、酷い目に遭うのはいつも、サラに酷い事をした人たちだった。
「現場を捕らえるのが、非常に難しい。事件が色々あって……気味の悪い事が色々……」
 ミセス・コールは言葉を続ける。
「ビリー・スタッブズの兎……まあ、トムはやっていない、と口ではそう言いましたし、私も、あの子がどうやってあんな事ができたのかが分かりません。でも、兎が自分で天井の垂木から首を吊りますか?」
 あれは、病院へ向かう途中だったか。サラの被害に遭った生徒を見舞いに行くクラスメイトとかち遭って。あまりにうるさいから、ブランコで首を吊るして黙らせた。締め上げてはいないとは言え、今思えば、一歩間違えば死にかねないやり方だった。
「あの子がどうやってあそこに登ってそれをやったのかが、問題でしてね。私が知っているのは、その前の日に、あの子とビリーが口論した事だけですよ」
 動物を操るのは簡単だ。あれも、服従の呪文という事になってしまうのだろうか? 飼育小屋の掃除をする時は、掃除がしやすいように外に兎達を出していた。遠くへは行かないよう、掃除が終わったら自分たちで戻るよう、操って。あの頃のサラにとっては数少ない、平和な魔法の使い方だった。初めて見たエリは、手を叩いて喜んでいたっけ。
「夏の遠足の時――一年に一回、子供達を連れて行くんですよ。田舎とか海辺に――それで、エイミー・ベンソンとデニス・ビショップは、それからずっと、どこかおかしくなりましてね。ところがこの子達から聞き出せた事と言えば、トム・リドルと一緒に洞窟に入ったという事だけでした――」
 幻覚を見せた事もあった。一度炎で痛い目に遭わせた子の病室を、炎に包まれたように見せて。当然、彼女は発狂するほど怯えた。それを面白いと、良い気味だと、あの頃のサラは思っていた。

 ホグワーツ入学前を思い出させるのは、ミセス・コールの話だけではなかった。


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2022/06/05