「大丈夫。これで、きっとあの人達も懲りたでしょう」
「サラ……? 何言って――」
「何って……だって、あの人達は貴女に酷い仕打ちをしたのよ」
 きっと喜んでくれる。そう思っていた。
 まだ幼かった頃――マグルの小学校に通っていた頃の事。飼育小屋で鉢合わせた彼女は、サラの魔法を見て顔を輝かせた。「すごい」と言ってくれた。何があってもサラの味方だと、そう言ってくれた。
 そんな彼女がいじめに遭っている。倒れて動けなくなるほどに暴力を受けて、持ち物を池の中に放られて。
 ――私が、守ってあげなくちゃ。
 彼女は私の味方だから。周りは皆、敵だから。彼女の敵も、サラの敵。彼女にはもう、指一本触れさせない。サラと同じく、彼女だって傷つけてはならない人物だって、そう知らせてやらなくちゃ。
 そう、思っていたのに。
「駄目だよ、こんなの。こんな事、しちゃ駄目だよ」
 彼女の口から出てきたのは、否定の言葉だった。
 どうして?
 悪いのは、私達をいじめる奴らの方なのに。どうして、そんな奴らの肩を持つの?
 当然の報いでしょう?
 あなただって、助けてほしいから私に話したのでしょう? 私なら、あなたを助けられるから。その力があるから。
「一緒にするな! あたしはお前とは違う!! ――この『化け物』!!」
 記憶の中のエリの顔が、ゆらりと歪んで別の女性の顔になった。
 サラとよく似た、金髪の女性。
「一緒にするな。君の手を取る事なんてできない、トム。私は君とは違う」

 フッとサラは目を覚ました。
 部屋はまだ薄暗く、ルームメイト達の寝息が聞こえている。
 サラは枕元に置いた日記へとそっと手を重ねる。
 祖母は――リサ・シャノンは、自分が亡くなった後にサラがしてきた事を知ったら、どう思うのだろう。





No.18





「ウワー、ぞっとするな。少年の『例のあの人』か」
 次の日、最初の授業が行われる温室へと向かいながら、サラとハリーはダンブルドアの授業についてロンとハーマイオニーに話した。ほとんどはハリーが話してくれたので、サラは時折あいづちを打ったり、補足を加えるだけで済んだ。
 記憶の内容を伝えきるには温室までの道のりは短く、話を聞き終えたロンが小声で感想を述べた時には、もう四人とも温室に到着し、「スナーガラフ」の種採取の準備に取り掛かっていた。
「だけど、ダンブルドアはそれを二人に見せてどうしたかったんだ? サラに反省を促したかったのか?」
 ロンの言葉に、サラはぴくりと肩を揺らす。
 ハーマイオニーが間髪入れずにピシャリと言い放った。
「サラはとっくに反省しているわ。だからきっと、改めて、それもヴォルデモートの過去として知らされるのは辛かったと思う。それでも、必要だったのよ。あの人の弱点を見つけるためには、まずは知らなくちゃいけないんだわ」
「スラグホーン・パーティの方はどうだったの?」
 ハリーはマウスピースをはめながら言った。それはサラに配慮して話を変えたのかもしれなかったし、あるいはいくら生徒達の作業する音でざわついているとは言え人の多い場でこれ以上話し続けるのは良くないと考えたのかもしれなかった。
 サラもマウスピースをはめ、保護用のゴーグルをかける。髪を巻き込んでしまい上手くかけられず、一度はめた保護手袋を外さねばならなかった。
「ええ、まあまあ面白かったわよ」
 ハーマイオニーは少し髪がふわつくのも気にせずゴーグルをかけ、言った。
「そりゃ、先生は昔の生徒だった有名人の事をだらだら話すけど。それに、マクラーゲンをそれこそちやほやするけど。だって、あの人は色々なコネがあるから。でも、本当に美味しい食べ物があったし、それにグウェノグ・ジョーンズを紹介してくれたわ」
「グウェノグ・ジョーンズ!?」
 ロンとサラの声が重なった。
 ハリーが困惑顔で尋ねる。
「誰?」
「ハリー、あなた本当にプレイする事だけなのね。プロのクィディッチ選手よ! ああ、よりによって昨日なんて――」
「あのグウェノグ・ジョーンズ? ホリヘッド・ハーピーズの?」
「そうよ」
 ハーマイオニーのテンションはサラやロンとは対照的だった。
「個人的には、あのひとちょっと自意識過剰だと思ったけど、でも――」
「そこ、おしゃべりが過ぎる!」
 鋭い叱責と共に、スプラウト先生がサラ達の方へとやってきた。サラは慌てて手袋をはめ直す。
「あなた達、遅れていますよ。他の生徒は全員取り掛かっていますし、ネビルはもう最初の種を取り出しました」
 その後は、ちょっとした乱闘騒ぎだった。
 スナーガラフは、己の種を奪われまいとサラ達に牙ならぬ蔓を剥いた。棘だらけの蔓は、サラやハーマイオニーのような髪の長い女子には非常に厄介だった。髪に絡みつく蔓と格闘しながら、サラは早口で問うた。
「ねえ、杖使っちゃ駄目?」
「何するつもりだ? 燃やすなよ。僕達は、こいつらの種を採らなきゃならないんだから!」
 ハーマイオニーの髪に絡みつく蔓を剪定鋏で叩き落としながら、ロンが言った。
「邪魔な蔓を切り落としちゃえば、だいぶ楽になるわよ」
「スプラウトは良い顔をしないだろな」
 ハリーは言って、サラが引き剥がした蔓とハーマイオニーを狙っていた蔓を掴み、結び合わせる。果たして、植物の一部を固結びにするのはスプラウトは良い顔をするだろうか。
 どうにかこうにか四人がかりで種を獲得すると、ハーマイオニーは再び会話をスラグ・クラブへと戻した。
「とにかく、スラグホーンはクリスマス・パーティーをやるつもりよ、ハリー。これはどう足掻いても逃げられないわね。だって、あなたが来られる夜にパーティーを開こうとして、あなたがいつなら空いているかを調べるように、私に頼んだんですもの」
 ――クリスマス・パーティー。
 その言葉を、サラは胸の内で反芻する。ハリーの予定次第のようだが、いずれにせよ、行われるのはクリスマスに近い日程だろう。休暇に入ってすぐか、その前か――ちょうど良いかもしれない。
「それで、そのパーティーは、またスラグホーンのお気に入りだけのためなのか?」
 力任せにボウルの中の種を押しながら、ロンは言った。またいつものイライラした調子が滲み出ていた。
「スラグ・クラブだけ。そうね」
 ハーマイオニーが言うと同時に、種がロンの下から飛び出した。温室のガラスに当たり、跳ね返ってスプラウトの帽子を吹っ飛ばしながら地面へと消えて行く。
「先生、すみません!」
 叫びながら、サラは種が飛んでいった方へと駆け寄る。ハリーも種を追って来ていた。
「どこに行った?」
「この辺に落ちたように見えたけど……ほら、先生の帽子もここに」
「あった」
 ハリーが声を上げて種を拾う。サラは帽子を拾い、スプラウトへと差し出した。
「ありがとうございます」
 サラとハリーが作業台へと戻ると、案の定ロンとハーマイオニーは言い争いに発展していた。
「私が名前をつけた訳じゃないわ。『スラグ・クラブ』なんて――」
「スラグ・ナメクジ・クラブ」
 ロンが意地悪く言い返した。
「ナメクジ集団じゃなあ。まあ、パーティを楽しんでくれ。いっそマクラーゲンとくっついたらどうだい。そしたらスラグホーンが、君たちをナメクジの王様と女王様にできるし――」
「お客様を招待できるの」
 ハーマイオニーは早口で割って入った。その顔は、トマトのように真っ赤だった。
「それで、私、あなたもどうかって誘おうと思っていたの。でも、そこまで馬鹿馬鹿しいって思うんだったら、どうでもいいわ!」
 サラはパッと片手で口元を押さえる。
 ロンはぽかんとした顔でハーマイオニーを見つめていた。やがてその目が左右に揺れ動き、挙動不審になり始める。
 何故かガンガンと激しい音を立てて種割り作業を再開したハリーの腕を、サラは止めようと掴む。ハリーは強い力で抵抗し、頑なに必要以上の音を立てようとしていた。
 サラとハリーが無言の攻防を行う傍らで、ロンとハーマイオニーの二人はぎこちなく言葉を交わしていた。そこに、さっきまでのギスギスとした空気は無かった。
「僕を誘うつもりだった?」
「そうよ。でも、どうやらあなたは、私がマクラーゲンとくっついた方が――」
「……いや、そんな事はない」
 一拍の間の後、ロンが小さな声で答えた。
 サラは歓声を上げたい衝動を抑えながら、ハリーを見上げる。ハリーも当然喜ばしい、あるいはもしかしたら少しからかうような表情をしているのかと思ったが――そこにあったのは、サラの想像とはかけ離れた表情だった。
 困惑。不安。気まずさ。
 サラの手が緩んだ事で、ハリーの手が勢いよくボウルへと当たってしまった。
 ボウルの割れた音で、ロンとハーマイオニーが我に返る。二人はサラとハリーの存在に気付いたように慌てて会話を中断し、作業へと戻って行った。

「ちょっと、ハリー」
 授業が終わり、温室の出口へと集中する混雑の中で、サラはハリーのローブを引っ張った。ハリーは前を行くロンとハーマイオニーをじっと見つめながら、少し迷惑そうな呻き声を上げた。
「アー……サラ、今じゃないと駄目かい?」
 サラはロンとハーマイオニーの後頭部へと目配せし、二人に聞こえぬようヒソヒソと話す。
「……さっきの事」
 ハリーは渋々ながらも、サラに従って出口への流れから離れた。温室の隅で出て行く他の生徒達をやり過ごしながら、サラはキッとハリーを見上げる。
「どうして邪魔なんてしたの? 二人の会話を遮ろうとしてたわよね?」
「だって、二人とも気付いてなかったじゃないか」
 噛み合わない返答に、サラは困惑するばかりだ。
「僕だったら嫌だよ。あんな会話、友達に聞かれてるなんて。こっちも盗み聞きみたいで嫌だし」
「本当にそれだけ?」
 授業中のハリーの様子を思い返しながら、サラは問い質す。
 ハリーは少し嫌そうな顔をして、それから不貞腐れたようにつぶやいた。
「……僕も、何となく二人はいつかそうなるんじゃないかとは思ってたさ。だけど、その後はどうなるんだろうと思って」
「その後?」
「……つき合って、そして、別れたら」
 サラは目を瞬く。
 それではハリーは、まだつき合ってもない二人について、別れた場合まで考えて憂えていたと言うのか。
「だって、必ずしもそのままずっと上手く行くとは限らないだろう? 二人が喧嘩した時、大変だったじゃないか。それが今度は、友達じゃなくて恋人なんて関係で起こったら? また四人でいられるようになると思うか?」
「そんな事、何も今から考えなくても……」
「君とマルフォイは、別れてから全然口を利かなくなったじゃないか。たまに話す事があったとしても、昔のような関係とは程遠い」
 ハリーの言葉は、鋭いナイフのようにサラの腹の奥底を抉った。
「私は……私たちの場合は、特殊よ。彼の父親がおばあちゃんを殺していたのだし、私はグリフィンドールで、彼はスリザリン――」
 大丈夫……大丈夫だ。声は震えていない。普通に話せている。
「君達だけじゃない。僕とチョウだって。シリウスとナミだって」
「待って。あなた達に何があったのかは知らないけど、シリウスとナミも特殊なケースじゃない?」
「じゃあ、普通って何だい?」
「それは……」
「皆それぞれ、事情が違うのは当たり前だよ。シリウスがアズカバンに投獄された事で別れたって言うなら同じ事なんてそうそう起きない話かもしれないけど、二人が別れたのはそれよりずっと前だろう」
 サラは口をつぐむ。
 ハリーは温室の出口へと目を向ける。もう、生徒は皆出払っていた。ロンとハーマイオニーも、そろそろサラとハリーが出て来ていない事に気づく事だろう。
「僕は嫌だよ。二人が喧嘩するのは嫌だ」
 ハリーはぽつりとつぶやく。
「逆に、ビルとフラーみたいになって、二人が離れていってしまうのも嫌だ。
 ずっと、この四人で友達でいたい……」
 消え行くように紡がれた言葉は、切実な思いを表していた。
 サラは何も言葉を返す事ができず、何を言って良いかもわからず、ただただハリーを見つめていた。
「あ、いたいた。何してるんだ?」
 開いたままの扉に、ロンの顔が覗いた。その向こうからハーマイオニーの顔も現れる。
「ごめん。サラが落とし物したみたいで、探してたんだ。もう見つかったよ。行こう」
 ハリーは努めていつも通りの調子で答え、二人の方へと駆け寄る。
 サラには、友達がいなかった。ホグワーツに入学して、彼らと出会うまで。ずっと、ひとりぼっちだった。
 それはきっと、ハリーも同じ。
「サラ!」
「今、行くわ!」
 自分の名を呼ぶ声に答え、サラもハリーの後に続いて出口へと駆けて行った。


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2022/07/31