綱吉の家の前で、弥生は二の足を踏んでいた。
 ヴァリアーが来たと言う事について恭弥に連絡したところ、「戦いになるなら行く」と言う回答だった。ただの情報交換なら、自分が直接赴く気は無いようだ。もっとも、あの人数が集まる部屋に恭弥が加わる姿が想像できないが。恐らくヴァリアーの方も、風紀委員相手だと話す気がないだろう。ここのやりとりは、弥生が代理に立った方が良さそうだ。
 花に、笹川家に了平の所在を問えないかは連絡してみた。確認してくれると言う。クロームには元々約束をしていた日曜日に黒曜へ話をしに行くとして、後は沢田家。ボンゴレの事も話せる人達が集うここへも、ヴァリアーの事は連絡しておいた方が良いだろう。
 呼び鈴を押す前に、玄関の扉が開きビアンキが顔を出した。
「何してるのよ、そんな所でじっと立って。入って。リボーン達の話でしょう」
「……うん。お邪魔します」
 弥生はビアンキの後に続き、玄関へと入る。
「おっ、いいねぇ。女の子が増えるのは大歓迎よ」
 奥から顔を覗かせた男に、弥生は鉄パイプを構える。盾にできる綱吉は、今はいない。
「ほんっと、見境ないわね……」
「大丈夫、大丈夫、ビアンキちゃんが一番!」
「誰もそんな心配してないわよ」
 抱き着こうと飛んできたシャマルは、ビアンキによって奥へと蹴り戻される。
「……その男がいるなら、帰る。またいない時に改めて出直して来るよ」
「ったく、随分な嫌われようだなあ」
「アンタの日頃の行いのせいでしょう!」
「ボンゴレ本部に連絡取ってやったのは俺なんだけどな」
 帰ろうと扉に手を掛けていた弥生は、動きを止める。
「ヴァリアーからの話を伝えに来たんだろ? 俺にも聞かせてくれよ」
 弥生は振り返る。
 彼は確か、ヴァリアーとの戦いでも観覧席に姿を見せていた。黒曜の時にも綱吉達の動向を伝えに来た事と言い、保健医となる前からマフィア絡みで綱吉達と交流があったのだろう。
 事情を知るなら、彼も交えて話した方が良い。出直さずとも、この場で話した方が良い。良い、のだが。
「ちょっと、この子本気で怯えてるじゃない。アンタ何したのよ……!?」
「いや、初めて会った時にいつもの挨拶をしただけで……ここまで耐性無い子だと気付けなかったのは俺の落ち度だ。悪かった」
「耐性あればやって良いって話じゃないわよ……」
 ビアンキは呆れたように彼を睨む。
「……大丈夫?」
 フゥ太が、心配そうに弥生を見上げていた。
 こんな幼い子にも心配されて。弥生は、ギュッと拳を握る。
「……大丈夫。獄寺のお姉さん、上がってもいい? ヴァリアーや山本の家で聞いた話、伝えるから」
「ええ……」
 弥生は、シャマルを睨みつける。
「君は、半径一メートルに近寄らないでね」
 シャマルは無害を主張するように両手を挙げた。
「分かった、分かった。俺も、弟子の惚れてる相手に手を出すほど鬼じゃないしな」
 誰の話だろう。弥生の喧嘩を見て怯える者は多いが、好意を抱くなんて戦闘慣れしているマフィア絡みだろうか。
 とにかく今は、見知らぬ誰かの話よりも、失踪した綱吉達の話だ。
(沢田……)
 一人息子や居候していた子供達のいない家は静かだ。
 この一週間、学校も同様だった。綱吉も、獄寺も、山本も、京子もいない。
(皆……どこにいるの……?)
 見上げた窓の外には、秋の空が青々と澄み渡っていた。状況とは正反対なそれは、空虚さを煽り立てるようだった。





No.35





「おい、何やってんだ?」
 掛けられた声に振り返ろうとして、弥生は棚の天板に頭をぶつけた。頭をさすりつつ、振り返る。戸口から胡乱げな視線で弥生を見下ろしているのは、獄寺だった。
 十年前からやって来た、まだ中学生の獄寺。
「おはよう、隼人。もうそんな時間?」
 地下のアジトに、陽の光は届かない。この部屋も例に漏れず、時計を確認しなければ時間は分からなかった。
「そんなって……まさか徹夜か? 何してたんだよ?」
「いや、寝たよ。朝食の前に備蓄を確認しておきたくて」
 弥生の周りには、段ボール箱や棚の奥を確認するために引っ張り出した日用品などが散乱していた。
 目的の物は、見つからなかった。最低限の籠城には困らないが、弥生やラルはともかく、普通の中学生にはつらいだろう。
 トイレットペーパーやらタオルやらを棚に戻し、弥生は部屋を出る。部屋を出るまでの間、獄寺はひと時も目を離さず弥生を睨み据えていた。
(……やっぱり警戒されてるなあ)
 獄寺の視線には、気付いていた。それが浮ついたものではなく、むしろ真逆の類である事も。
 この頃合いの獄寺は、綱吉以外には懐かなかった。彼の親やリボーンには敬意を表した態度ではあったが、その他の人達へは弥生も含めて喧嘩腰。年上は敵だなんて言っていた事もあった気がする。
(私も人の事を言える態度ではなかったけど)
 ふと、弥生はかがみ込み獄寺の顔を覗き込む。
 獄寺はびくりと肩を揺らし飛び退いた。
「ち…っ、近ぇーよ!」
「隼人、隈できてる。もしかして、あの後寝てないの? 駄目だよ、休める時に休んでおかないと」
 彼は昨晩遅くに、ジャンニーニから工具を借りて行っていた。
「寝たし、てめーにゃ関係ねーだろ! 保護者ヅラすんじゃねえ!」
「別に、そんなつもりは――」
 けたたましい警報の音が、弥生の言葉を遮った。
 弥生と獄寺は、一斉に駆け出す。システム管理室の前まで来ると、山本とラルも駆けつけたところだった。四人は部屋へと飛び込んでいく。
「何スか、今の音は!?」
「何があった!!」
 モニターの前にはジャンニーニとリボーンが座り、綱吉が後ろから覗き込んでいた。弥生たちの到着に綱吉が振り返り、叫んだ。
「大変だよ! 雲雀さんの鳥からSOSが!」
 弥生は息を呑む。
「……お兄ちゃんから?」





 アラートは、救難信号をキャッチした合図。映像にはヒバードが映っていた。信号は高度を落としながらプツリと途絶えた。地上には、ミルフィオーレの者たちがひしめいている。敵の罠かもしれない。けれど、雲雀自身からの発信かもしれない。
 更には、京子がアジトを出て行ってしまっていた。家に帰ると、書き置きがあったらしい。
 京子との交流関係は、もちろん敵に知られている。昨日だって、襲われたばかりだ。ヒバードの探索と、京子の迎え。弥生達は二手に分かれ、外へと向かう事となった。弥生、獄寺、山本の三人はヒバードからの発信が途絶えた並盛神社へ。綱吉とラルは、京子の捜索へ。
「つーか、十年後のお前ら兄妹ってどうしてたんだ?」
 並盛神社へ向かう道すがらつぶやかれた獄寺の言葉に、弥生は目を瞬き彼を見下ろす。そして、フッと微笑んだ。
「気になるの?」
「なっ……ちっげーよ! 今は連絡取れないにしても、最後に会った時の状況が分かれば、何かしらヒントになるかもしれねーだろ!」
「大声出さない。一応、隠密行動中なんだから」
「誰のせいで……っ」
「私は、十年後の君に呼ばれて日本に戻って来ていた」
 怒りにわなわなと震える獄寺から視線をはずし、弥生は答えた。
「イタリアで本部と分断されて、とにかく仲間と連絡を取ろうと、状況を確認しようと駆けずり回って……ようやく連絡を取れたのが隼人で……何か考えがあるみたいだった。それこそ、君が持っているあの手紙の件を話そうと思っていたのかもね」
 弥生はキュッと口を真一文字に結ぶ。それからまた開き、ぽつりと言った。
「お兄ちゃんは……分からない」
「分からないって……」
「並中の頃の風紀委員を元に財団を作って、並盛の風紀を守っている。それは知ってる。……でも、昔みたいに頻繁に連絡を取り合っていた訳じゃないから。ここ最近、どこでどうしていたかまでは……」
 弥生は苦笑する。
「ごめんね、何も役に立てなくて」
 話している間に、並盛神社まで辿り着いた。弥生、獄寺、山本の三人は、物陰から様子を伺う。入口に敵の影はない。しかし、油断は禁物だ。
「ここ来ると思い出すよなー、夏祭り!」
 敷地内の林へと駆け込みながら、山本が明るく言う。
「……君達と初めて戦った時だね」
「そうそう! 大人になって随分変わった印象だったけど、やっぱ、大きくなっても弥生は弥生だな」
 そう言って、ニッと山本は笑う。
「……そんなに私、昔と違う?」
「んー……なんかこう……大人なんだなーって感じ?」
 山本は相変わらず抽象的で、獄寺はただ短く「ケッ」と悪態を吐く。山本は笑った。
「中学生の弥生は、獄寺とも喧嘩ばかりだもんな。その辺は獄寺としても良かったろ。十年後の弥生は素直で――」
「何も良くねーよ! 隼人隼人って馴れ馴れしいんだよこいつは!」
「しっ」
 弥生は人差し指を立て、二人に注意を促す。視線の先は林の向こう、境内の奥。
 戦闘の気配はない。しかし、人はいるようだ。――炎がある。
 弥生は背負っていた袋から薙刀を出すと、手早く紐をたすき掛けにして袖をまとめる。
「君達はここで待機。まず、私が様子を見て来る」
「はぁ!? ここまで来て単独行動かよ!」
「なるべく身軽な方が目立たない。私も見つかる気はない。ここは私を信じて任せて。十年前は違うかもしれないけど、今の私には得意分野なんだから」
 弥生は口の端を上げて見せる。それでも不満げな獄寺を宥めるように、弥生は言った。
「そうだね――何かあったら、銃声を鳴らすよ。連続二発、それが合図。その時はよろしくね」
「おう!」
 返事をしたのは、山本だけだった。
 一抹の不安を残しつつも、弥生はその場を後にした。

 人の気配、炎の気配に注意を払いながら、弥生は林沿いに境内を奥へと進む。聞こえるのは、鳥のさえずりと虫の鳴く声のみ。本殿への階段の横の林を上がっていくと、人の声が聞こえて来た。草履の踵が離れぬよう足首とつま先に力を入れ、小指の付け根から土を踏むようにして、足音を消して声の方へと近付いていく。
 本殿の前に、黒い服に身を包んだ二つの人影があった。
(やっぱり……ラルが言っていた通り、γガンマ率いる第三部隊か……)
 見つかれば、彼らは即座にγを呼び寄せる事だろう。
 話を聞くに、京子もヒバードも含め、誰も味方は捕まっていないようだ。雲雀恭弥を目撃した素振りもない。彼らの探索対象は、昨日姿を見せた雨の守護者。
 ヒバードが彼らに撃ち落とされたのでなければ、ただのバッテリー切れか、あるいは罠か。
(罠……にしては、見張りが少ない気もするけど……)
 ボンゴレを誘い込むために、目に見える人員の配置を減らしている可能性もある。油断は禁物だ。
 ミルフィオーレの二人に気付かれぬよう細心の注意を払いながら、本殿の裏手へと周る。人も、鳥の姿も無かった。木々の間へも目をこらすが、ヒバードらしき影は無い。
 境内の他の場所も配置を確認して、人のいない所から三人で探そう。そう思い、引き返そうとした時だった。
 本殿の向こうから、ドッと低い音が響いた。弥生は息を呑み、林の間を音もなく駆ける。
 本殿を回り込むと、ここまで続く階段脇の林の中腹で、黒い煙が上がっていた。微かに漂う、火薬の匂い。嗅ぎ慣れたこれは――
(隼人……!)
 二人と別れた場所から、ずっと移動した場所だった。待機命令は、聞き入れてもらえなかったようだ。
 ミルフィオーレの二人も気付き、向かおうとしていた。足には、昨日見たミルフィオーレの者たちのような炎。空を飛ぶ手段として、一律支給されているのだろうか。
 弥生は茂みを柄で突き音を鳴らす。飛んで来た炎の玉を避け、木の陰で息を殺す。炎は、太い木の幹に焼け焦げた穴を開けていた。
 二人は顔を見合わせる。炎を放った男は再度構え、もう一人が槍を手にこちらへとゆっくりと歩いて来た。
 下方では再び、今度は連続した爆発音が響き渡り、濛々と煙が上がっていた。弥生は逸る気持ちを抑えながら、目の前の敵を見据える。……この音と匂いは、獄寺のダイナマイトだ。まだ大丈夫。彼らは、反撃している。
 槍を構えた男が、林へと踏み込む。物音の出どころを探るように見回す視線。……まだだ。まだ、もう一人の射程内。もう少し――もう少し――
(今!)
 男が木で味方の死角になる位置に入った途端、弥生は飛び出した。振り向く暇も与えず、手に握った毒針を敵の首に打ち込む。意識を失う男をその場にそっと下ろし、もう一人の様子を伺う。木の裏からパタリと出て来なくなった仲間に、当然彼は警戒を強めていた。
「どうした、何かいたか?」
 彼は匣持ちだ。隊長クラスには程遠いが、真正面から銃を放っただけでは防がれてしまう可能性がある。
 階段の方から聞こえる爆発音に、彼も気が急いているようだった。絶対に、行かせてなるものか。敵と衝突した今、彼らの元へ向かう敵は一人でも減らしておかなければ。
 弥生は木陰に隠れたまま、拳銃を構える。そして、横へと放った。
 別の木へと立て掛けていた薙刀が、弾を受けぐらりと倒れる。薙刀の倒れる音に、男が炎を放った。
「そこか!」
 薙刀の方へと炎を放つ男の額を、弥生の放った銃弾が貫いた。どさりと男はその場に倒れる。乾いた白い地面に赤色が広がっていく。
 掃討完了。弥生は薙刀を拾い、爆発の続く方へと駆け出した。
 バチバチと激しい電流が木々の間から空へと走る。それは、恐れていた最悪の事態を示していた。
「隼人……! 山本……!」
(お願い、どうか無事でいて……!)


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2022/03/21