塗装は剥げ、壁は崩れ掛けた門扉。紅葉にはまだ早く、青々と生い茂る草木は雨に打たれ、時折ボタボタと溜まった水が滴り落ちる。
 相変わらず、酷い場所だ。ボンゴレが保護していると言うなら、もっと良い場所を彼らに与える事ができるのではないだろうか。……もっとも、彼らがそれを受け入れるとは思えないが。
 ぬかるんだ地面を踏み締め、弥生は奥へと進む。かつて戦いの場ともなった一際大きな廃墟に、彼らはいた。
「……えっ、弥生?」
「んなっ!! 何しに来たんら!!」
 扉の外れた部屋の入り口に姿を現した弥生に、驚いたようにクロームが声を上げる。その声に、犬と千種も振り返る。
「呼び鈴あるのか分からなかったから。お邪魔してます」
「弥生、びしょびしょ……! えっと、あの、時間……?」
 しれっと話す弥生に、クロームが戸惑いながら駆け寄って来た。
「途中で雨が降って来ちゃって。約束の時間はまだ。――遊んでいるような状況じゃなくなった。その話をしたくて来た」
 言って、弥生は部屋の奥から剣呑な視線を向けている二人の方を見る。
「君の仲間達にも、聞いてもらいたい」
「えっと……」
 骸へと問いかけたのだろう。少し間があって、彼の声がした。
『ええ。良いでしょう。いずれ乗っ取る予定のボンゴレ十代目の情報を提供してくれると言うなら、拒む理由はありません。――彼女が望んでいるであろう協力をするかは、話の内容次第ですが』
「内容次第で可能性があるだけでも良かったよ」
『……余程、切羽詰まっているようですね』
「うん。……くしゅっ」
「えっと、服、着替えて乾かした方が……」
 クロームはおろおろと仲間の方を振り返る。犬も千種も、一瞥しただけだった。弥生のためになんて動くつもりはなさそうだ。
「弥生、こっち来て……私の服でもいい?」
「うん、ありが――」
 うなずきかけ、弥生は思い留まる。
「……それって、つまり黒曜の制服?」
「ジャージもある……」
「……黒曜のはやだ」
 黒曜中学校自体は一般的な中学校だし、もちろん骸の仲間以外も黒曜の制服を着ている。頭ではわかっているが、実際に弥生が会った事のある黒曜の者達は六道骸の一味だけだ。この場で黒曜の制服を着るのは、彼らに与したかのようで抵抗があった。
「別に構わないよ。私はこのままで」
「でも……風邪ひいちゃう……」
 千種が小さくため息を吐き、口を挟んだ。
「……男子用でも良ければ、他の学校の制服もあるよ。奥の小部屋にある。骸様の背丈に合わせてるから、少し大きいかもしれないけど」
「六道骸の服って事?」
 それはそれで抵抗がある。
「心配しなくても、選ぶために集めたものだから、着ていない」
「骸様、試着しないで決めたもんら」
 選ぶと言うのが何の話だかよく分からないが、集めただけで彼の服という訳ではないなら、構わないか。
「……じゃあ、それ借りる」
「こっち」
 弥生はクロームの後について、小部屋へと向かった。
 元々は、物置か何かだったのだろうか。部屋の両脇にはプールや銭湯の脱衣所のような正方形の棚が並び、窓は奥の壁の上の方に小さくあるのみだった。こちらの部屋は開閉時に音こそ鳴れども、扉も健在だった。
 そしてその部屋いっぱいにまるでアパレルショップか何かのように、ハンガーラックが並び、ブレザー型、学ラン型、様々な学校の制服が所狭しと掛けられていた。一応奥に箪笥もあるが、収まりきっていないようだ。
 いくつかの制服には見覚えがあった。以前住んでいた所の周辺や、並盛から近い他校の制服だ。こんなに集めて、いったい何を企んでいたのやら。
「……並盛は無いんだね」
 少し期待して探してみたが、並中風紀委員の制服はなかった。もっともあれは特注だから無理も無い。しかし、これだけ集めている割に並中自体の制服も無い。
「じゃあ、これを借りようかな」
 適当に手近なものを選ぶ素振りで、それとなく風紀委員のものに似た学ランを選ぶ。
 濡れて貼りつく服を脱いでいると、扉の向こうから大きな声がした。
「タオルあったびょん!」
「ま、待って、今着替え中……!」
 クロームが慌てて扉へと駆け寄る。
 開きかかっていた扉がバタンと勢いよく閉じた。
「じゃ、じゃあここに置いておくびょん!」
「犬……それ、ぞうきんじゃない……?」
「え!? 俺、いつも服や身体汚れたらこれで拭いてるびょん!」
 扉の向こうでなされている会話よりも、弥生はクロームの反応に気を取られていた。
 最初に聞こえたのは、犬の声だった。彼が扉を開けようとして、クロームは止めた。着替えと聞いて犬も慌てた様子だった。それは、まるで。
「クローム……」
どうしたものか迷うように扉を見つめていたクロームは、弥生の呼びかけに振り返る。
「えっと……もしかして、犬って人間なの……?」
 最初に見た時は、人と猛獣を掛け合わせたかのような姿だった。その後も戦いの中で別の猛獣へと姿を変えていた。戦いの時以外は人型を取っているようだが、生活や意思疎通のしやすさでの選択だろうと思っていた。
 ――そういう生き物なのだろうと思っていた。
 クロームは戸惑いながら、うなずいた。
「うん……人間……」
 すうっと血の気が引いていく。黒曜での戦いが、脳裏を駆け巡る――戦いの中で幾度も彼に触れていた。
 激しい音を立て、弥生はその場に昏倒した。
「えっ……!? 弥生!? 弥生……! どうしよう、骸様……!」
 上半身が下着であるこの状況で六道骸を呼ぶのだけは絶対にやめてほしい。思いながらも言葉は発せず、弥生の意識は闇の中へと落ちていった。





No.36





 バチバチという音と共に、全身に痛みが走る。音が聞こえなくなってもヒリヒリとした痛みは持続して、今、攻撃を喰らっているのかどうか、痛みが感電のものなのか出血のものなのかも分からなかった。
 γガンマは、急拵えのコンビで太刀打ちできるような相手ではなかった。
 山本との協力を拒否して突っ走って、一人では歯が立たなくて。もし一人だったなら、生きていなかった。その事に気付いて手を組んで、それでも致命的ダメージを与える事はできなくて。
(……何が、右腕だ。何が、守護者のリーダーだ)
 気付くのに遅れて、連携した作戦も成功させられず返り討ちにあって。獄寺の作戦の失敗のせいで、山本がやられてしまって。既に瀕死だろうに、獄寺を守ろうとして止めを刺されて。
 山本の言う通り、自分には、右腕を名乗る資格なんてない。
「強情なのは賢いとは言えないぞ。ボンゴレ十代目が生きているとは、どう言う事だ?」
 彼の持っていたキューだろう。ドス、と胸元を突かれ、一瞬、息が止まる。
 どんなに惨めに痛めつけられようとも、十代目の情報だけは渡すものか。彼を殺したこいつらには、決して。
「まだ味わい足りないようだな」
 グッと、キューが強く押しつけられる。
 もう何度目かの電撃が襲う事を覚悟し身構えたが、音も強い痛みも生じなかった。
 代わりに聞こえたのは、鋭い銃声。
「……まだウサギが残ってたか」
 γガンマの視線の先を追い、獄寺は木々の間へと目を向ける。そこには、右手に薙刀を握り、左手で銃を構えた弥生が佇んでいた。
「危ないなあ。キツネがいなけりゃ、怪我じゃすまなかったぜ」
「……彼を離して」
「そうはいかないな。嵐の守護者には聞かなきゃならない事があるんでね」
「そう。それじゃ――」
 ふっと弥生の姿が掻き消えた。獄寺は目を見開く。確かに、そこにいたはずなのに。
「――死んでもらう」
 獄寺は目を瞬く。いつの間にか、弥生はγガンマと獄寺の傍にいた。繰り出した薙刀は、γガンマのキューに受け止められる。
「おい、バっ……」
 叫ぼうとした声は最後まで続かず、痛みにのたうつ。
 このままでは山本の二の舞だ。また、獄寺を守ろうとして――
 電流が走る。――しかし、そこに弥生はいなかった。
(な……!?)
 弥生はγガンマの背後にいた。銃が撃たれる。彼のボックス武器であるキツネが防御する。
「なるほど。――あんたか、ボンゴレのヴァポーレってのは」
「そう呼ぶ人もいるみたいだね。どうでも良いけど」
 弥生は涼やかに答える。
 vapore――イタリア語で、蒸気。現れてはふと消え、そしてまた現れるその様は、確かに水が蒸気と化す様に似ているかもしれない。
 γガンマの意識は、完全に弥生へと向いていた。今の内に、γガンマの手の内から離れられれば。そして、山本も――
 思いながら視線を横に向けるも、山本の姿が見当たらない。確かに、ここで倒れていたはずなのに。
 不意に手を踏みつけられ、獄寺は短く呻き声を上げる。
「おいおい、逃げられるとでも? 言ったろう、お前には聞かなきゃならない事ができたって」
 銃声と共に、キツネのシールドが獄寺の手を踏む彼の足の横に現れる。
 γガンマは呆れ果てていた。
「……舐められたもんだな。そんなおもちゃでやり合えると思ってるのかい、お嬢ちゃん」
「……」
 電撃が彼女を襲うも、弥生はスッと横に動いてそれを交わす。連続した攻撃にも、彼女が怯む様子はなかった。相手の攻撃を巧みに交わすその素早さは、まるで兄の雲雀恭弥のよう。
 電流を交わしながら、時に攻撃に転じ銃弾や薙刀を繰り出す。十年前の彼女に比べ、きっと力も強くなっている。銃の狙いも正確だ。
 だが、炎の前では全て無と化す。
「参ったな……女をいたぶるのは趣味じゃないんだが」
 γガンマは余裕に満ちていた。弥生はγガンマの攻撃を見切って回避している。だが、彼女の攻撃はγガンマに傷一つすらつける事ができない。
「相手に気取られずに近付き、その場にある物で任務を遂行する。時に諜報、時に暗殺。リングの無い相手なら、それでどうにかなってきたのかもしれないが、最初の一撃で仕留められなかったのがあんたの敗因だ」
 獄寺は息を呑む。γガンマが取ったのは、さっきも見た構えだった。
「弥生! 離れ――」
雷狐エレットロ・ヴォールピ
「ぐあああああああああ!!!」
 γガンマの足元から逃れる術もなく、彼の電流シールドが獄寺を襲う。
 どさりと音がして、弥生も電撃を諸に食らったのが分かった。
「さて、続きと行こうか」
 ふっと陰が獄寺を覆った。
 いつの間に動いたのか、弥生はγガンマと獄寺との間に入り、γガンマに背を向けるようにして獄寺を抱き抱えていた。荒い息遣いが頭の上で聞こえる。
「させない……」
 絞り出すような彼女の声は、怒りと悲しみに震えていた。
「これ以上、君達に奪わせはしない……っ」
 叫びも虚しく、振り下ろされたキューに弥生は殴り飛ばされる。
 それでもなお、這うようにして獄寺へと手を伸ばす。獄寺の頬へと触れた手は、次の瞬間には蹴り飛ばされた。
「諦めるんだな。どんなに威勢と根性ばかりがあっても、リングも匣も無いんじゃ、話にならない。雨の守護者はあんたがどこかへ退避させたんだろうが、その時にそのまま連れて逃げるんだったな。どうせその辺の木陰に移動させただけだろう。ボンゴレ十代目について聞き出した後に、仲良く楽にしてやる。お前らをうちの白い連中にくれてやるつもりは無いんでね」
「リング……」
 弥生は掠れた声でつぶやく。
 γガンマは獄寺へと向き直った。彼の足が、獄寺の頭を踏みつける。
「……っ」
「さて、待たせちまったな。ボンゴレ十代目はどこにいる? どうして生きている?」
 抗うように顔を上げ、弥生が視界に入った。
 弥生は懐へと手を入れていた。そして出された彼女の手にあったのは、一つの小さな指輪だった。
(やっぱり持ってるんじゃねぇか……!)
 リングを持たない。だから戦えない。そう、彼女は言っていた。
 彼女の瞳が、獄寺の方へと向けられる。満身創痍ながらも、闘志に満ちた目。まだ、彼女は諦めていない。
 弥生が指にはめようとしたリングは、飛んで来た石に弾き飛ばされた。
 続けて、凄まじい威力の攻撃がγガンマを襲う。激しい轟音が響き渡り、白煙が立ち込める。γガンマも防御に全力を割かねばならず、獄寺を離していた。
「君の知りたい事のヒントをあげよう。彼らは過去から来たのさ」
 放った何かを匣へとしまいながら、彼は話す。
 黒い髪、黒いスーツ。肩へと舞い降りる小鳥。妹とよく似た吊り目が、彼女へと向けられる。
「……君がリングを使う必要はない」
 思わぬ登場に驚き目を見張っていた弥生は、唇を噛みうつむく。
「彼は、僕が咬み殺す」
 雲雀恭弥は、匣を片手に静かに言い放った。


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2022/05/05