神社の方に立ち上る黒煙。
 綱吉とラルが向かう頃にはもう、γガンマとの戦いは終局を迎えていた。
「遅過ぎるよ、君達」
 短くそう言って駆け抜けて行ったのは、黒い髪の長身の男。
 宙に浮かぶ球体。その球体の針に刺され磔になったγガンマへと、彼は炎を纏わせたトンファーを振り下ろす。
 遭遇を避けろとまで言われていた敵の隊長は、白目を向いて地面に伏せっていた。彼を屠った当の本人は、息一つ乱れず涼しい顔で振り返る。
「何してたんだい? 沢田綱吉」
「雲雀さん!!」
 間違いない。綱吉が知るよりもずっと背も伸びて顔立ちも大人びているが、面影がある。何より、その強さこそが彼が雲雀恭弥たる証拠だ。
 雲雀は無言で背を向けると、林の方へと入って行く。
 後を追って向かったそこには、無惨な姿で横たわる山本と獄寺の姿があった。
「獄寺君!! 山本!!」
「大丈夫、命に別状はありません」
 傍らに膝をつき容体を確かめていた草壁哲矢が言う。学生ではなくなった今も、雲雀恭弥の部下をしているらしい。
 彼は、綱吉が知る姿とほとんど変わりなかった。ただ、その服装が学ランからスーツに変わっているだけで。
「弥生」
 静かに告げられた声に、綱吉は振り返る。獄寺の傍らに同じく膝をつき項垂れている弥生に、雲雀は手を差し出した。
「他に持ってるリング、全部出して」
「私が使おうとしたリングは、さっき拾ってたでしょ。あれだけだよ」
 弥生は少し顔を上げ、横目で雲雀を見上げながら答える。
 雲雀は動かず、無言のまま手を差し出し続ける。――折れたのは、弥生だった。
 懐から二つのリングが出され、差し出された手の平に乗せられる。
 綱吉は目を瞬く。弥生は、リングを持っていない。そういう話だった。もっとも、獄寺は疑っていたが。
 いったいどうして、隠していたのだろう。
「まだあるよね?」
「……」
 観念したように、弥生はもう一つ、前の二つよりも少し大きいリングを兄へと手渡す。雲雀は、ようやく手を引いた。
 用は済んだとばかりに、雲雀は林を出る。弥生は唇を噛みうつむいていた。
 綱吉は何が起こったのか分からず、おろおろと兄妹を交互に見るばかりだった。





No.37





 話し声が聞こえる。静かに話す声の合間に一人、がなり散らす声。なんとなく、綱吉、山本、獄寺の三人の様子に似ている気がするが、獄寺でもここまでずっと怒鳴ってはいないだろうし、あの三人と比較するならあとの二人が静か過ぎる。そもそも声が違うし、一人は女の子の声だ。
 この声は――
「あ、起きた」
「なっ……」
 クロームが弥生の顔をのぞき込んでいた。
 上体を起こし、周りを見回す。弥生は古びたソファに寝かされていて、犬が慌てた様子で離れて行くところだった。
「急に起きんな!! びっくりするびょん!!」
 怒鳴る犬に、千種がため息を吐く。
「別に逃げなくても……」
「うるへー! 逃げた訳じゃねーびょん!」
「大丈夫?」
 心配そうに尋ねるクロームに、弥生はうなずいた。
「うん。ごめん、迷惑かけて。この毛布、君の? ありが――」
 かけられていた毛布をめくり、弥生は固まる。
 着ているのは、借りようとしていた男子用の学生服。気絶する前の状況が、思い起こされる。弥生は着替えの途中だった。倒れた弥生に、クロームは慌てて――
「あ……クローム……? その、服……」
 クロームはハッと気がついたように、部屋の隅を指し示す。
「弥生の着てた服なら、そっちに干してる……乾燥機なくて……コインランドリーは、銭湯の方まで行かないと無いから……」
「そっ、そうじゃなくて……」
 言葉にもし難くて、泣きたくなってくる。
 遠巻きに眺めていた千種がため息を吐き、言った。
「心配しなくても、着替えさせたのはクローム。その後、三人で運んだ」
「嘘つくな! お前ら命令してくるばかりで、運んだのは俺だびょん!」
「犬が濡れてる床に転がそうとしたり、雑巾かけようとしたりするから」
「雑巾じゃねーびょん!!」
「そうなんだ。ありがと」
 バツが悪いながらも助けられてしまった事には違いないので礼を言えば、犬はビクンと過剰に飛び跳ねた。
「はあっ!? 別にお前のためじゃねーし!! 勘違いすんら!!」
「何なの君……」
「犬は照れてるだけ……」
「適当な事言うなブス女!」
「クローム、六道骸に助けを求めてたみたいだったから……交代しちゃったかと思った」
 喚く犬を無視して言えば、クロームはしゅんとうなだれた。
「交代……しようとしたけど、骸様に怒られた……。そんなくだらない事で力を貸す気は無いって……」
「言い方は腹立つけど良かったよ、彼が出て来なくて……着替え中だったし……」
「あ……!」
 クロームは言われて気づいたように声を上げる。
「ごめん……慌てちゃって……」
 クロームはうつむきつつも、様子を伺うように弥生を見上げる。何か言いたげなその様子に、弥生は小首を傾げる。
「どうしたの」
「えっと……その……骸様たちから聞いて……。弥生、男性恐怖症なの……?」
 弥生は一瞬、言葉に詰まる。
 目の前で、それも思い出しただけで倒れてしまったのだから最早隠しようもないが、それでもクロームはともかく六道骸や犬や千種にまで知られているというのは忌々しさが拭えなかった。
 しかも彼らから聞いたという事は恐らく、並中生襲撃の時に敵として集めた情報の一つだったのだろう。
「まあ……そう。だから君達二人、半径一メートル以内に近付いたら叩き潰すからね」
「はあっ!? それが助けてやった相手への態度かよ! だいたい、前に戦った時は気絶しなかったのに……」
「それは君を動物だと思っていたから」
「骸様の予想してた通り……」
「というか本当に人間なの? なんだかケモノ臭いんだけど……」
「ほら。だからたまにはシャワーぐらい浴びた方がいいって……」
「うるへーメガネ!」
「えっ……お風呂入ってないの……?」
「うるへー!! そもそも、お前はいったい何しに来たんら!! さっさと用事終わらせて帰れ!」
「……そうだね」
 弥生は我に返り、神妙にうなずく。
 畳んだ毛布をソファの隅へと置くと、三人に向き直った。
「――沢田達が、行方不明になった」

 まずはリボーンと綱吉と獄寺、それから数日後に山本とランボと周辺の親しい者達がいなくなった事。風紀委員や警察、更にはボンゴレも動いてはいるが、手がかりは掴めていない事。
 これまでの経緯を、かいつまんで弥生は説明した。
「六道骸も一応は守護者だから、ひとまずの状況報告と、何か知らないか聞ければと思って」
『僕もクロームも彼らの失踪は初耳ですね。クローム、最近、何か変わった事はありましたか』
「私たちの方は、特に変わった事は、何も……」
「ボンゴレの問題だろ? マフィア内の事なら俺たちは関係ないびょん」
「ボンゴレだけじゃない。沢田と親しいだけで、戦う事もできない無関係の一般人もいなくなってる」
 笹川京子、三浦ハル。彼女達は、マフィアとは何も関係無い普通の女の子だ。彼女達は今、どういう状況にあるのだろうか。無事だろうか。せめて綱吉達と一緒にいれば良いのだが、もしこれが何者かによる拉致であれば、程の良い人質となる彼女達をボンゴレ十代目やその仲間と会わせはしないだろう。
 そもそも、彼女達は――京子とハルだけではない、失踪してしまった者達全員、果たしてまだこの世にいるのだろうか。
『彼らは今、この地球上に存在しない』
 ヴァリアーとの会談で聞いた赤ん坊の言葉が、脳内で反芻される。
 彼らの居場所を探る方法。弥生にも一つだけ、心当たりがあった。
「……ねえ、六道。君は……君が人を乗っ取るのは、距離とかの制約はあるの」
 できれば使いたくない手だ。
 この建物の上階での戦いが、昨日のことのように思い起こされる。思い出すだけでも、虫唾が走る。嫌悪感と妙な苛立ちに襲われて、手当たり次第暴れ回りたくなる。
『現在、僕の身体は水牢の中です。解放されれば、全力を出す事もできるでしょうが――』
「答えて。君が言う『契約』を既にしている相手なら、君は乗っ取る事ができる?」
 骸は押し黙る。やがて、クッと喉を鳴らした。
『面白い事を言いますね。あれほど嫌悪していた獄寺隼人への乗っ取りを、まさか君から持ちかけてこようとは』
「できるの、できないの」
 六道骸の表情は、獄寺の普段のそれとはあまりにもかけ離れていた。冷たい視線、嘲るような薄い笑み。あれを獄寺の顔で見たくない。
 獄寺隼人の意志はそこに存在していないのだと、六道骸に書き変わってしまったのだと、そう突きつけられるかのようだった。
『現在の僕は、力を封じられています。六道輪廻の力を使えるのは、クロームの身体を借りた場合のみ。獄寺隼人を乗っ取っても、人並みに動いて話すのがやっとでしょう』
「様子を見られれば事足りる。……試してもらえる? 交換条件があるなら、私に可能な事なら応じる」
『おや、君から取引を持ちかけますか』
「あの剣で沢田を刺せとか、そう言うのは聞けないけど」
 居住まいを正しながら、弥生は答える。
 ヴァリアーとの戦いでは協力してくれたとは言え、相手は六道骸だ。非道な頼みは聞けないが、それでもある程度はこちらも譲歩する必要が生じるだろう。
 ……そう思っていたのだが。
『可能かつ大いに利となる条件を潰して、一介の中学生が他に何を提示できると?』
 弥生は言葉を詰まらせる。
「並盛内に限られるけど……住居を用意できないか口利きとか……」
『自信の無さそうな言い方ですね』
 曖昧な言い回しは、当然ながら骸に看破されていた。
 雲雀家の者として、それ以上に雲雀恭弥の妹として、町内の伝手は多い。警察にも病院にも顔が利く。今住んでいる家にしても、親戚の伝手だ。とは言えそれは弥生自身が住むからであって、果たして弥生の知り合いだからと言って、身元も示せるか怪しい、何なら襲撃事件の犯人である彼らを住まわせてくれるだろうかと言うと厳しいだろう。彼らとの事に、無関係の親戚を巻き込んでしまって良いのかと言う抵抗もある。
『出来もしない取引を持ち出すのは、かえって軽薄に聞こえますよ』
 返す言葉も無い。
 弥生が何を提示できるのか。改めて考えると、何もかも誰かを巻き込まねば成り立たない。誰かの助けを借りなければ、弥生単独では何もできないのだ。
 骸は呆れたように溜息を吐く。
『まあ、ボンゴレ十代目の居場所については、僕も把握しておきたい。何者かが横取りしようとしている可能性があるのであれば、なおさらです。彼は、僕の獲物なのですから』
「……今じゃなくても」
 ぽつりと弥生はつぶやくように言った。
「今の私じゃ、何もできなくても……私で力になれそうな事があれば、言って。私単独なら、命でも身体でも張ってやるから」
『こちらの目的にも繋がるから不要だと言っているのに、強情ですね君も。利子がつくと高くなるかもしれませんよ』
「君に情けをかけられるのは嫌だから」
『そんなもの掛けているつもりはありませんが……良いでしょう。そこまで言うなら、これは貸しにしておきます』
 六道骸は、綱吉の守護者となった。
 ヴァリアーとの戦いにおいては仲間だったし、今後も守護者として共闘する事も増えるだろう。
 いつまでも認めないと言い続けるつもりはない。今回の件だって、言ってしまえば守護者としても必要な協力かもしれない。骸自身としても、標的として探索に加わる事を良しとしている。
 それでも、ただ甘えるだけになるのは避けたかった。今の自分には何も返せるものがないと気付いてしまったから、なおのこと。
「……ねぇ。試す前に、一つだけ教えて」
『何ですか』
「君が憑依している時って……乗っ取られた身体の持ち主の意識は、どうなってるの?」
『試してみますか?』
「試さない。クロームも剣用意しなくていい」
 いそいそと鞄から三叉槍をのぞかせるクロームに、弥生はぴしゃりと言い放つ。
『僕は憑依する側であって憑依される事はないので正確には解りませんが』
 骸の声がして、弥生は彼の話に集中する。
『眠っているようなものだろうと、僕は捉えています。痛みも苦しみも無い。何が起こっているかも分からない……』
 本人は、眠っているような状態。
 実際、気を失っていた恭弥のような場合はそうなのかもしれない。意識が無い間に、勝手に身体を動かされているだけ。
『何を気にしているのか不可解ですが、憑依される側の感覚なら目の前の犬や千種に聞いた方が早いと思いますよ』
「あ、そっか。この二人も乗っ取られてたっけ……」
 自分達に視線が集まり、二人は目を瞬く。きょとんとしている二人に、クロームが解説した。
「えっと……骸様が嵐の人に憑依して様子を見てみようって事になって……。骸様も、ボスの様子は確認したいから了承して……。それで、試す前に弥生が……」
「急に身体を乗っ取られた時って、どういう感じなの」
「はあ? 別にどうもしないびょん」
「急に身体の主導権は六道骸になる訳でしょ。その時、本人の意識ってどこにあるの。消えちゃってるの?」
「骸様が憑依をやめれば戻るのだから、消えてはないと思うけど……」
 千種もやはり、骸や犬と同じく困惑気味だったが、彼なりに弥生の不安を推察したようだった。
「憑依される仲間の心配なら要らない。憑依自体は、痛みも何も感じないから」
「そんな事より!!」
 犬はドスドスと大股で歩いてきて、ビッと弥生を指で突き指す。
「なんでお前が骸様と話せるんら!!」
 眼前の指を、弥生は鉄パイプで払う。
「ァダっ……何するんら!」
「半径一メートル以内に近付くなって言ったよね」
「こいつ……っ!!」
「何? 六道は、君達には話しかけてなかったの? それでクロームが解説してたんだ。女子にだけ話しかけるって、何その区別……」
『不名誉な誤解はやめていただきたい。僕の声が聞こえる方が、珍しいんですよ。犬も千種も、どんなに話しかけても僕の声は届かない』
 振り返らない仲間へと必死に話しかける骸が脳裏に浮かび、弥生はその想像を振り払う。六道骸に限って、そんな健気な絵面は無いだろう。
「そっちがその気なら、やってやるびょん!!」
 弥生にあしらわれた犬は額に青筋を立てていた。腕をまくり、戦いの構えだ。
「け、犬……!」
「今、君と遊んでる場合じゃないんだけど」
「面倒臭い……」
 クロームも千種も強く引き留められるタイプではない。弥生は溜息を吐くと、鉄パイプを両手で握る。これは無視をしても襲いかかって来そうだ。
「行くびょん!!」
 犬は腕を大きく振りかぶり、弥生へと飛びかかる。
 迎え打とうと、弥生は鉄パイプを構える。飛び込んでくるのに合わせて振り払おうとした矢先、相手の勢いが弱まった。
 急ブレーキを掛けふらりと傾きながらも、タイミングがずれて弱まった弥生の鉄パイプをいなして支え代わりにし、持ち直す。
 犬は急激に闘志を失っていた。立ち尽くし、自分の手を開いたり閉じたりしながら見つめている。
「……ふむ。犬の方は問題ありませんね」
「……もしかして、六道?」
 犬は笑みを浮かべる。弥生の嫌いなあの笑みだった。
「正解です。千種、犬にシャワーだけでも浴びるよう言っておいてください」
「言ってます……」
「何してるの。獄寺の前に練習?」
「獄寺隼人は見つかりませんでした」
 急激に、外の雨の音が小さくなる。
 まるで広い空洞にでもいるかのように、六道骸の声が響いて聞こえる。
「……何……言って――」
「言葉の通りの意味です。憑依しようとしましたが、その対象を掴む事ができなかった。まるでこの世に――」
「やめてよ!!」
 ――彼らは今、この地球上に存在しない。
 再びあの声が蘇る。チカチカと世界が明滅する。
 弥生の怒鳴り声に、クロームも千種も驚いたように弥生を見つめ、骸ですらも黙り込んでいた。
「やめてよ……あいつらは、生きてる……どこにいるか、分からないだけ……」
 声が震える。
 ――駄目だ、ここでは。彼らの前では。
 弥生は部屋の隅へと足速に向かい、干されている服を外す。
「あ……まだ、乾いて……」
「家で干す。この制服、また今度返しに来るね。平日は皆探すので手一杯だから、黒曜まで来られるのは週末になると思う」
「それは大丈夫だけど……弥生は……」
「ごめんね、今日の約束。こういう状況だから」
「あ、うん……大丈夫……でも、弥生……」
 着て来た服をどうにか鞄に詰め込み、その拍子に思い出してカバンから携帯電話を取り出す。
 戸惑うクロームの手に、取り出した携帯電話を握らせる。
「これ、連絡用。ここに電話無いみたいだから。私の番号と、草壁の番号が登録してある。基本的には私との連絡で良いけど、緊急で私に繋がらない場合は草壁に掛けてみて。インターネットは使えないようにしてあるらしいけど、一応、犬に遊ばれたりしないよう気をつけて」
 一息に告げて、弥生は背を向ける。
「じゃあ、また連絡するね」
「弥生!」
 立ち去ろうとした間際、クロームが叫んだ。思わず立ち止まり、振り返る。クロームは泣きそうな顔をしていた。
「弥生……大丈夫?」
 そう問われて、自分はどんな顔をしていただろう。
 笑顔を作ろうにも、顔の筋肉が強張ったように動かなかった。口を開くと、唇が震えた。
「……大丈夫」
 どうにかそう返して、弥生は彼らのアジトを立ち去った。
 外はまだ雨が降り続けていたが、構わず駅へと走って行った。いつもより薄暗くて、音も雨にかき消されて、本当に駅に向かっているかも分からなかった。


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2022/08/27