早朝の地下アジト内は、静まり返っている。中学生の頃、朝練のある生徒よりも早く登校している事が多かったらしい弥生は今も変わらず早起きのようで、まだ誰もいない厨房で割烹着に身を包み朝食の支度を始めていた。
 扉の開く音に弥生は振り返り、目を瞬いた。
「隼人。どうかしたの? まだ、無理に歩かない方が――」
「うるせぇ。ずっと寝ててもナマっちまうだろ。リハビリだ、リハビリ」
 杖をつきながら、獄寺は部屋の中へと入る。
 風呂やトイレこそ一人でどうにかなるものの、まだ身体を動かす度に痛みは走る。正直なところ、必要以上に歩き回るのは辛い。食事もまだベッドへ運んでもらっていた。ビアンキが訪れる確率が非常に高く、その度に意識を飛ばす羽目になってはいたが。
 しかし、その事もあってか、弥生はそれ以上言い咎めはしなかった。食卓の方へと向かい、戸口から一番近い椅子を引いて開ける。
「立ってるの辛いでしょ。朝ご飯はもう少しかかるよ。そろそろ、ビアンキさん達も起きて来て――」
「……お前、毎日様子見に来てたよな」
 引かれた椅子には座らないまま、獄寺は問う。
 弥生は一瞬、動きを止める。それから、何事も無かったかのように朝食の準備へと戻った。
「……ごめんね、起こしちゃってた?」
「元々、あんな早い時間に寝てねーよ。昼間もずっと寝るしかない生活だったし……。その時に話せれば良かったんだけど、お前、いつも部屋には入って来ずに直ぐ行っちまうから……」
 弥生は手を止め、振り返る。
 彼女の視線から逃れるように、獄寺は視線をそらした。
「その……悪かった。疑っちまった事。裏切り者だって問い詰めた事。リボーンさんから、話を聞いて……俺が会ったのはお前じゃなくて、別の未来だったみてーだから」
 一時の沈黙が流れる。
「――ありがとう」
 思いもよらない言葉に、獄寺は視線を弥生に向ける。
 彼女は、微笑んでいた。
「……嬉しい」
「えっ、なっ……」
 全く想像だにしていない返しだった。獄寺は狼狽しながら叫ぶ。
「な、なんでお前が礼を言うんだよ! 感謝されるような事はしてないだろ! ただ、ケジメはつけておかないとと思って――」
「うん。でも、なんだか嬉しくなったんだ。今も昔も変わらないなって。君のそう言うところが、好きになったんだなって」
「なっ……ス……スススス……っ!!?」
 あまりにもさらりと放たれた言葉に、獄寺は言葉を失い硬直する。顔が熱い。
 弥生はクスクスと笑っていた。中学生の弥生は、見せることのない表情。「よく分からない弥生」の表情なのに、そこに猜疑心や嫌悪感は沸かず、目を離せなくなる。
「か……っ、からかってんじゃねぇ!」
「からかってないよ。本当の事を言ってるだけ」
 弥生は涼やかに微笑むと、背を向け食事の支度に戻る。
 獄寺は大人しく席につき、杖を机に立てかけると、他にする事もなくただ弥生の後ろ姿を見つめていた。
 ……十年後の彼女の態度は、どうにも調子が狂う。





No.38





「雲雀ちゃーん!」
 ホームルームが終わるなり叫ばれた全く身に覚えのない呼び方に、弥生は怪訝な顔で振り返った。
 クラスメイト達が騒つく中、一人の男子生徒が駆け寄って来る。確か、名前は内藤と言ったか。学級委員の彼は、綱吉達同様、ここ最近休み続きだった。もっとも彼の場合、綱吉達より前から休みが続いていたのだが。そのため彼らの行方不明と関わりがあるとは思えなかったし、実際、こうして登校して来ているという事は何も関係が無いのだろう。
「……私、君にそんな風に呼ばれる仲ではないと思うのだけど」
「またまーたぁ! 雲雀ちゃんキビシー!」
 ……何だ、こいつは。
 弥生はふいと背を向ける。クラスメイトに構っている暇など無い。ずっと休んでいた彼には、聞くべき事も無いだろう。
「あーっ! 待って待って! 雲雀ちゃん、沢田ちゃん達ってどうしてるか知ってる? 皆に聞いたら、行方不明とか何とか噂があって、雲雀ちゃんが一番知ってるだろうって」
 弥生はジロリとロンシャンに目を向ける。
 教室内は静まり返り、誰もが固唾を飲んで弥生達のやり取りを見守っていた。
「知らない。それを今、調べているところ。
 ――君、最近ずっと休んでいたけど、町中で爆発音とか聞いた事はある?」
 望みは薄いが、念のため聞いてみる。弥生の周りは、授業のある時間は学校にいた者ばかりだ。休んでいた間並盛にいたかどうかにもよるが、参考にはなるかも知れない。
「爆発? そんなの日常茶飯事! うち、ここ最近ずっと内戦してたからさー! 新しいアジト決まったと思ったらモメちゃって……あっ、それで最近休んでたんだけど」
 ちょっと何を言っているのか分からない。ふざけているのだろうか。
「君の訳の分からない冗談に付き合っている暇は――」
 携帯電話の振動が、弥生の言葉を遮った。弥生は素早く携帯電話を取り出し、ディスプレイを確認する。
 そこにある文字は、クローム髑髏。
 通話ボタンを押した途端、弥生の言葉を待つ事なくクロームの声が電話口から流れて来た。
『弥生――助けて!』
「あっ」という言葉と床にでも落ちたかのような衝撃音を最後に、彼女の声は聞こえなくなった。電話の向こうが何やら騒々しいのは分かるが、誰が何を話しているかまでは分からない。
「クローム! クローム!? 何かあったの!?」
 応答は無い。弥生は、こちらを遠巻きに眺めていた花の方を振り返る。
「黒川さん! 携帯貸して!」
「えっ……うん……良いけど……」
 この状況でクロームとの通話を切りたくはない。差し出された携帯電話で、弥生は忘れようのない番号を押す。
 そろそろ、守護者とヴァリアーの会合が始まる時間だ。弥生のクラスのようにホームルームが長引いたりでもしていなければ、クロームも、恭弥も、もう集合場所にいるはず。
 コール音が1回、2回、3回――おかしい。いつもなら、例え喧嘩中でも2回で出るはずなのに。弥生は直ぐに切り、続けて別の番号へと電話を掛けた。
「草壁! お兄ちゃん達の集合場所へ送って。校門で合流。――ありがとう、黒川さん」
「あ、うん……」
「何、何ー? 沢田ちゃん達の話?」
 花に携帯電話を返すと、弥生は教室を飛び出す。クロームと繋がったままの弥生の携帯電話は、まだ雑音を聞かせるばかりだ。
(クローム……お願い、無事でいて……!)





 草壁に連れられて向かったのは、先日もヴァリアーに連れられて来たホテルだった。先日と同じく、最上階のスイートルームで会合は行われているはずだ。
「草壁はここで待機。何かあったら連絡する」
「承知しました。くれぐれもお気をつけてください」
 ホテルの外に草壁を残し、入って正面の窓口前に立つ従業員へと声を掛ける。
「お兄ちゃん、来てるよね? 最上階行きたいんだけど」
「ただいまご案内致します」
「入口開けてくれれば、戻っていいから」
 彼らが泊まっているのが、並盛のホテルで良かった。他では、こうはいかないだろう。
 もっとも、マフィアである彼らが泊まれるなんて、ボンゴレの息が掛かっているのかもしれないが。融通を効かせてもらえるのは、雲雀の名ではなく雲の守護者の関係者としてなのかもしれない。
 いずれにせよ、何も聞かずに通してもらえるならそれで良い。
 ホテルは一見、何事も無い様子だった。しかし彼らには、幻術がある。一般人のいる表向きだけ、いつも通りに見せている可能性だってある。
「さっきも確認したけど、お兄ちゃんは来てるんだよね? 今日は他にも来客があったと思うけど、その中に黒曜の制服を着た女の子はいた?」
 エレベーターで最上階へと登りながら、弥生は尋ねる。従業員はうなずいた。
「ええ、お兄様も、学校までは確認できておりませんが弥生様と同じ年頃の制服の女の子もいらっしゃいましたよ。スイートルームに泊まられているお客様とご一緒でした」
「皆まだ、上に?」
「外出は確認していませんので、いらっしゃるかと思います」
 エレベーターが最上階に止まり、足早に降りる。従業員は入口をカードキーで開けた後、言われた通りにエレベーターへと戻って行った。

 従業員の乗ったエレベーターの扉が閉まり、下へと下り始めると同時に、がシャンと大きな音が奥の方で響いた。続けて、激しい物音が響き渡る。
 弥生は息をのみ、奥へと駆ける。
 一つ目に開けた扉は、広い洗面所だった。
 次に開けた扉はクローゼットで、黒いコートがヴァリアーの人数より多く掛けられていた。予備だろうか。
 扉を開ける必要などなく、更に奥へ進むと開けた部屋へと出た。低いテーブルがあり、テーブルを囲むようにソファが置かれている。壁にはまだ使用するには磁気の早い暖炉があり、そのそばにも肘掛け椅子。
 それら椅子やソファはどれもズタズタに引き裂かれ、ひっくり返されてしまっていた。
「な――」
「おや、もしかして彼女が電話していた相手は君かな」
 ひっくり返ったソファの片隅に、マーモンが腰掛けていた。部屋の有り様とは裏腹に、一見、彼に大きな怪我は見られない。
「何があったの。クロームはどこ」
「彼女なら、奥で健気に止めようと頑張ってるよ。誰も聞く耳を持たないないけどね」
「弥生!」
 奥の部屋から、クロームが駆け出て来た。弥生はホッと息を吐く。彼女も、怪我は無さそうだ。
「無事で良かった。いったい何があったの」
「皆で集まった途端、雲の人と、あちらの嵐の人が戦い始めちゃって……弥生に電話してる時に巻き込まれそうになって、電話を落としちゃって……」
 雲の人は雲雀恭弥、あちらの嵐の人はベルフェゴールの事だろう。
「う゛ぉおおおい!! いい加減にしろォ!! 話が進まねぇぞぉ!!」
 微細な振動に、弥生は咄嗟にクロームの腕を引く。ドォンと激しい音がして、そばの壁が崩壊した。瓦礫からクロームを庇いつつ、振り返る。壁に開いた大穴から飛び出して来たのは、スクアーロ。後を追うようにして、トンファーを構えた恭弥が飛び出して来た。
「げ……こっち来た」
 マーモンがふよふよとソファから移動する。
 マーモンが去った直後、スクアーロがソファの上に着地し、待ち構えるように剣を振るう。恭弥はトンファーで受け止め、空中で一回転して着地する。一瞬の隙もなく姿勢を転じ、身を低くして相手の懐へと潜り込む。
 目の前で繰り広げられる戦いに、弥生は拳を握り、目を輝かせた。
「お兄ちゃん、頑張れー!」
「え、ええぇ……っ!?」
『だから言ったでしょう。弥生に助けを求めても無駄だと』
 骸が呆れたように溜め息を吐く音が、脳内に聞こえた。





 一通り暴れ回り、満足して雲雀恭弥は帰って行った。
「何しに来たんだあ、アイツは!!!」
「喧嘩しに来たんだと思う」
「んな事は分かってんだぁ!!」
 答えてやった弥生の言葉は、怒鳴り返される。
「ベル、生きてるかい」
 壁の大穴を覗き込み、マーモンが声を掛ける。隣の部屋で何を言っているかまでは分からないが、笑い声まじりに応答するような声が聞こえた。嵐の守護者戦で見た危険な状態になっていそうだが、恭弥の事だ。直ぐに動けない程度には咬み殺してあるだろう。
「いや、その状態では無理だよ。今日はあの寿司屋は諦めるんだね」
「お! 弥生も来たのか。雲雀はどこに行った?」
 きちんと扉の方を通って、了平、それから名前を聞かないままになっている男二人が隣の部屋から出て来る。彼らもまた、満身創痍だった。
「まあ、いい。俺はイタリアに行って来るぞ!」
「待って、話が見えない。そしてヴァリアーはともかく、どうして君までボロボロになってるの」
「俺達も極限に拳を交えていたからだ!!」
「なんで」
 細かい経緯は不明だが、何となく状況は見えて来た。
 群れている様子に腹を立てたか、その他の理由か、ただ戦いたかったのか分からないが、恭弥とベルフェゴールの戦いが勃発した。止めようとしたスクアーロや大男も巻き込まれ、マーモンは渦中から逃げた。その傍らで、了平もまた別途ヴァリアーの男と闘い始めた。クロームは止めようとするも誰にも聞いてもらえず、弥生に電話を掛けて来たのだろう。
「まあ、お兄ちゃんの前でこれだけ群れてたら仕方ないよね」
「ふざけるなあ!! 何も仕方なくねぇぞお!!」
「や、弥生……?」
『雲雀恭弥に関しては弥生に何を言っても無駄ですよ、クローム。よく覚えておきなさい、これがブラコンというものです』
「六道、うるさい。こっちにまで話しかけて来ないで」
『おやおや。昨日、あんなに意気消沈していたとは思えない威勢の良さですね』
 弥生は言葉を詰まらせる。
 骸に協力を要請し、乗っ取る事ができない、見つからないと言われて取り乱したのは、つい昨日の事だ。彼らの前で涙は流したくなくて、どうにか耐えて立ち去ったが、動揺は勘付かれていただろう。
「……昨日の事は……怒鳴っちゃったのは……ごめん……」
 バツが悪く思いながらも、弥生はぼそりと呟く。
「あ……えっと……」
 どう答えて良いか言葉を探し続けるクロームを代弁するかのように、骸が答えた。
『別に君が取り乱そうと僕らは気にしていませんよ。もちろん、クロームもです。君と彼らの関係は理解していますから。
 むしろ、たった一日でここまで持ち直している事に驚いたくらいです』
「お兄ちゃんのおかげ。――そう、それで今日の会合で確認しようと……お兄ちゃんから話はあった?」
「雲雀恭弥は何も話してないよ。レヴィが彼とクローム髑髏を迎えに降りて、来るなり『どれがベルフェゴール?』で、これだったからね」
 マーモンの話を聞きながら、弥生は了平へと目を向ける。応じるように、彼は補足した。
「俺は少し遅れて来たんだ。そしたら雲雀が喧嘩していたので、俺達も闘う事にした!」
 何度聞いても「ので」の前後の繋がりがよく分からないが、今は置いておこう。
「それじゃあ、元の予定に戻して私がお兄ちゃんの代理で混ざるね。
 ――まずは、六道骸とマーモン。君達に改めて確認したい事がある」

 六道骸による憑依。マーモンによる粘写。
 いずれの方法でも、綱吉達の居場所は掴めなかった。では、掴めないケースとは?
『僕の身体は水牢の中ですからね。それなりの力を持つ者によって何かしらの妨害がされているのであれば、干渉できないと言う事もあるでしょう』
「――って、骸様は言ってる」
 六道骸の声が聞こえない了平やヴァリアーの面々のために、クロームが彼の言葉を代弁する。
「僕も、霧の守護者を特定しようと試みたができなかったという例がある。だけど、その時の結果と、今回の結果は違った。今回は、『いない』という結果なんだ。――もっとも、それもそれで、通常の死亡ケースとは異なるけどね。死体ですら『無い』と言う事だから。本当に、跡形もなく消滅したみたいな結果だよ」
「『地球上に存在しない』と言っていたけど、宇宙の場合は?」
「さあ、どうだろうね。やってみた事がないから分からないな」
「なるほど、宇宙か! では、宇宙を探しに行くぞ!」
「うーん……流石に直ぐに手配できるとは言えないわねぇ……」
「そんなに大所帯で宇宙になんて行けるのか不可解だけどね。……でも、考え方は正しいかもしれない。三次元に囚われずに考える必要があるかもね」
「どう言う事?」
「例えば、君達二人には六道骸の声が聞こえているようだけど、この場に六道骸はいない。君達にとって、六道骸はどこにいる?」
 尚更不可解な話になった気がする。弥生は眉根を寄せながら答える。
「水牢でしょ」
「……あ」
 クロームの方は弥生の回答とは異なり、何かに思い当たったかのように小さく声を上げた。
「精神世界……」
「何、それ」
「えっと……」
 クロームは、言葉を探すように目を泳がせる。
『人はそれぞれ、精神世界を持っています。僕はそれを覗く事ができる。通常、僕の存在を察知する事はできないのですが、そんな中で声を聞く事ができたのが君とクロームなんですよ。
 そうですね、今の話の文脈に沿うなら、夢の中の世界とでも思っていただければ近いです』
 骸の説明を、クロームが了平やヴァリアーへと伝える。
 思い起こせば、骸と初めて会ったのも夢の中だったか。
「待って……夢の中の世界って……それってつまり、黒曜へ誘い出すために幻術か何かで脳に作用して夢を見せたとかじゃなくて、あれは私の夢の中に入って来てたって事? 何それ、気持ち悪い!」
「え……そんなに嫌……?」
「嫌だよ!」
「君の六道骸に対する個人的な感想はおいといて、要するにそう言った亜空間、あるいは別軸による四次元的な位置にいるならば、位置情報『無し』という結果もあるかもしれないと言う事さ」
「う゛ぉおい、マーモン」
 スクアーロが口を挟んだ。
「さっきから随分と意味ありげな言い方をするじゃねぇか。お前、もしかして何か思い当たってる事でもあるんじゃねぇかあ?」
「もしかしたらと思っている事はある。だけどその仮説を成り立たせるには、疑問点が残る。それに」
 言いながら、マーモンは弥生を一瞥した。
「この場で話して良い事なのか判断がつかない。それが正解なら話さざるを得ないけど、見当違いなら不必要に秘密を明かす事になってしまう」
「……何、それ。私がいると話せないって言うの。確かに守護者ではないけれど、私だって沢田達の仲間だし、今は守護者の代理としてここにいるんだけど」
「仲間内でも、重要機密というものはある。君もマフィアを名乗る気があるなら、覚えておくんだね」
 弥生は黙り込む。弥生は、マフィアや裏社会の事情には明るくない。そこでの常識だと言い諭されてしまったら、何も言葉を返す事ができない。
「話せない分、そちらについてはこっちで調べておくよ。君達は、周囲に気をつけてくれ。
 行方不明になっているのは、沢田綱吉の周囲の人物ばかりだ。次は、君達の番かもしれないからね――」
 了平はヴァリアーの助力で海外へも捜索に向かう事となり、雲雀恭弥へはホテルへの出入禁止が言い渡され、その日の会合は終了した。





 ――そして週末、クローム髑髏が姿を消した。


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2023/09/10