黒尾は、石の壁に張り付いて表の様子を伺う。正門の前には、兵士が二人。使わなくなったはずの研究所を警備するその影。
建物は高い塀に取り囲まれている。アル二人分はありそうな高さ。足掛かりになるような物も無い。正面を見たところ崩れ落ち穴の開いている部分もあるようだ。しかしぐるりと一周してみても、他に穴の開いた箇所は見付けられなかった。
――正面は警備があるから、廃墟を装ってるって訳ね……。
再び正面を覗く位置に戻って来て、黒尾は携帯電話を取り出した。
「十分後ぐらいで良いかな……音量、バイブ、共にオフ。繰り返し無し、っと」
十分後、兵士の左手の薄暗がりが青く明滅した。まるで、錬成反応のような光。
兵士が動く。彼が角を曲がった途端、黒尾は物陰を飛び出した。目をつけていた塀の割れ目に、素早く潜り込む。
足音を忍ばすようにして、兵士を誘導したのとは反対方向へと遠ざかる。建物伝いに歩くと、都合の良い事に蓋のぐらついている通風孔が見つかった。当然、潜り込まない手は無い。
狭い穴の中を、黒尾は匍匐前進で進んで行く。
……賢者の石の材料は、生きた人間。
エドとアルが解き明かした、暗号の真実。そしてその真実の奥には、更なる真実が潜んでいた。
第五研究所。隣には、刑務所。軍上層部が関わっている可能性。
それらを指し示す道標となった、マルコーの研究書。それを隠滅しようとしたラスト。
彼女は一体、何に関わっているのか。何をしようとしているのか。
分からない。分からないけれど、動かずにはいられなかった。彼女を、止めなくては。何が起こっているのか、知らなくては。
――全部隠されたままなんて、嫌だよ、ラスト……!
No.15
通風孔の出口は、薄暗い廊下にあった。恐らく、研究所内。使われていないはずの研究所。しかしその足元には、必要最低限の灯りが点けられている。
「凄いや、エド。どんぴしゃ」
黒尾はすとんと廊下に飛び降り、左右をきょろきょろと見回す。さて、どちらへ進んだものか。
足を踏み出そうとしたその時、辺りに声が響いた。
「――あなたですか、黒尾という人間は」
ぴたりと、その場で停止する。押し寄せるプレッシャー。身体中を包み込むような、殺気。前から――後ろから――どちらにも、気配はあった。挟み込まれたか。
「ラストが気にかけているからどんな逸物かと思えば……身のこなしは軽いようですが、達人というわけではない。特に頭が切れるという訳でもない。人柱どころか、錬金術師でさえない。
取るに足らない人間です」
「……随分と言ってくれるじゃないの。あんた、一体何者? ラストを知っているの? 姿ぐらい見せたら?」
「そうですね……」
ぞわりと、全身の毛が逆立つ。黒尾を包み込むように四方を囲んでいた殺気は、より強いものとなっていた。
左右に目を凝らすが、そこにあるのは冷たい石の壁ばかり。人影なんて、何処にも無い。
ふと、闇が濃くなった気がした。
次いで目の前に現れたのは、影。鋭く尖ったその先端が、黒尾へと迫る。
「な……っ!?」
影は、黒尾の身体を通り抜けた。
「……え?」
黒尾はきょとんと背後を振り返る。殺気。そして再び陰が黒尾を貫こうとしたが、影は影。ただ通り抜けるだけだった。
黒尾は首を傾げる。
「えーと……?」
何がしたいの、と問おうとしてその言葉を飲み込む。あまり刺激しない方が良い。
黒尾はぎょっと身を竦ませた。
突如影の中に現れた、幾多の赤い瞳。鋭い歯。
「……随分と変わったなりしてるんだね」
「あなたほどではありませんよ」
「?」
黒尾は目を瞬く。
響くような声は、続けて言った。
「私の名はプライド。ラストは私の妹ですよ」
「妹!? ラスト、お兄さんいたの!?」
「ええ。兄も、弟もいるわ。皆、お父様から生まれた存在」
コツン、とヒールの音がして二つの人影が廊下の角から現れた。
姿を現したのは、ラストとエンヴィー。
「あんた達……あっ。若しかして、その子が弟?」
「まーね。他にもいるから、このエンヴィーが一番下って訳じゃないけど」
「へぇ。大家族なんだ」
「暢気に話している場合じゃありませんよ。――鋼の錬金術師が、間も無くここへ来ます」
黒尾はパッとエンヴィーから視線を動かした。しかし何処を向いて良いか分からず、天井辺りの影を見つめる。
「エドが……?」
エドとアルは、美沙が見張っているのではなかったのか。もう一人の自分は一体何をしているのだ。
「彼女の扱いはどうするの?」
ラストが、プライドに問うた。
「グラトニーが飲み込めない。私の影では、触れられない。――ラスト、あなたの予想していた通りです。彼女と真理の扉との間には、反発がある。
――使える駒を残しておく装置になり得るでしょう」
「何の話……?」
「長居は無用です。エンヴィー、足止めを」
「はいはい」
ぞる……と影が揺らぎ、殺気は引いて行った。
ゆっくりとエンヴィーが歩み寄って来る。かと思うと、重い拳が腹にめり込んだ。吹っ飛んだ黒尾は背後の壁に背中を強打し、その場に崩れ落ちる。
「……っつ」
「あれれーもう終わり? そんな弱っちくて、よくこれまで鋼のおチビさん達と一緒に行動出来たもんだね」
言いながら、エンヴィーは余裕綽々と歩み寄る。
「殺しては駄目よ、エンヴィー」
「分かってるって」
――逃げなければ。
痛みを堪え立ち上がったが、駆け出す間も無くエンヴィーに腕を掴まれた。そのまま、正面から床に倒れ伏す。
エンヴィーは黒尾の両腕を背中の所で掴み、膝裏に足を乗せた。異常なほどの重みに、メキメキと黒尾の骨が悲鳴を上げる。
「嫌……やめてやめてやめ――!!」
足を襲った激痛に、黒尾は悲鳴を上げた。
エンヴィーは足を退かし、黒尾の腕からも手を離す。開放されても、黒尾は動く事が出来なかった。だらりと地面に横たわる黒尾の両足。
「く……う゛……ッ」
「命を取られないだけ、ラッキーだと思いなよ。お前みたいな人間なんて、邪魔となればこっちは直ぐに消しちゃえるんだから」
痛みに涙が流れ、視界は霞む。ラストとエンヴィーは、その場を立ち去って行った。
拳を握り締め、床に突っ伏して痛みに耐える。やがて、足元の方で誰かが通風孔の穴から降りて来る音がした。
「黒尾!!」
エドだ。
倒れ伏した黒尾に、エドは駆け寄る。とりあえず生きているのを確認し、彼は安堵の息を漏らした。助け起こそうとし、黒尾は足の痛みに声にならない悲鳴を上げる。そこで初めて、エドは黒尾の足の怪我に気付いた。
「馬鹿野郎! なんで一人でこんな無茶な事……!」
「……それ、同じようにここに忍び込んだあんたが言うの?」
「……」
エドは決まり悪げに視線を逸らす。
無言のまま、黒尾が起き上がろうとするのに手を貸してくれた。黒尾はエドの手にすがりつつ、上体を起こして廊下の壁に寄りかかる。
立ち上がる事は、出来ない。
痛みに慣れてしまったのか、感覚が麻痺してきたのか、骨を折られた瞬間に比べて痛みは引いていた。
「……誰にやられた?」
「誰にも。私も、あんたと同じ穴から飛び降りたの……着地……失敗、しちゃって」
「……」
納得していないのがありありと伝わって来る。しかし黒尾も、それ以上話す気は無かった。
「……エド。今直ぐ、帰って。ロス少尉とブロッシュ軍曹、呼んで来てくれる?」
エドは無言のまま、立ち上がる。そして、背を向けた。
「お前が言わないつもりなら……俺が自分で、確かめるだけだ」
「エド……? 駄目! 帰るの! 今直ぐに!!」
黒尾の制止も聞かず、エドは廊下を進んで行ってしまう。
「エド!!」
身を乗り出し、足の痛みに黒尾は言葉を詰まらせる。動かない足は枷となり、黒尾はバランスを崩しその場に倒れた。
「エド……!」
駄目だ。行ってはいけない。しかし、黒尾の声は届かない。追い駆けて、引き止める事も出来ない。
ただ、その場で痛みに耐えているしかなかった。
マリアとブロッシュは、廊下に出て直ぐの所で待機していた。部屋を飛び出して来た美沙に、目を丸くする。
「どうしました、美沙さん!?」
「エルリック兄弟は――」
「二人とも、脱走しました! 黒尾まで!」
「え? 黒尾さんは買い物に行ったんじゃ……」
ブロッシュの言葉を皆まで聞かず、美沙は廊下を駆け抜けて行く。狼狽したように呼び止めるマリアの声が聞こえていた。
目指すはもちろん、第五研究所。暗い夜道を、一人駆けて行く。
賢者の石の手掛かり。けれどもそれは、危険が伴うもの。政府や軍上層部が関わっている可能性もある。美沙のような一般人やエドやアルのような子供だけで太刀打ち出来る問題ではない。
「あの馬鹿共……っ!」
現在使われていないはずの第五研究所の前には、警備の兵士が立っていた。兵士の左側の角から覗いていた黒尾は、コツンと足元の何かを蹴る。一瞬石かと思ったそれは、引きずるような音を立てて地面を滑った。転がらないような石の割には、軽い。
足元を見れば、そこに転がっているのはストラップの無い携帯電話。
黒尾の物だ。この世界で携帯電話を持っているなんて、美沙と黒尾ぐらいしかいない。機種も、美沙と同じ物。待受画面には、リゼンブールでエド、アル、ウィンリィ、デンと撮った写真。写真の中のエド達は、今より幾分か幼い。
――やっぱり、私なんだなあ……。
それは、美沙の携帯電話と同じ待受画面だった。エドが国家錬金術師試験に合格し、リゼンブールの家を燃やす前日に撮った写真。あれからもう、四年も経ってしまった。
四年が経ち、漸く掴んだ手掛かり。
「気持ちが急くのは解るけど……」
美沙は拾った携帯電話をしまい、塀の陰を出る。真っ直ぐに、兵士の元へと歩いて行った。
「……こんばんは」
ぺこりと、頭を下げる。兵士は、怪訝気な視線をこちらに向けた。
「あの、小さい少年と大きな鎧の二人連れ、見ませんでしたか? それか、私と全く同じ顔の女。若しかしたら、三人一緒か一人一人別かも知れないんですけど」
「見てないが……」
予想はしていた。黒尾にしても、エドとアルにしても、正面から堂々と入りに行く訳が無い。入れる訳が無い。
「あの。でも、彼ら中に入っちゃったみたいなんです。探していいですか?」
「ここは一般人は立入禁止だ。この扉は誰も通っていないし、他の場所も塀と鉄線で女子供が入れる訳が無い。安心しなさい」
「でも――」
「ギャーッ!」という叫び声が、美沙の言葉を遮った。美沙と兵士はパッと振り返る。声は、中から。気のせいなどでは無かった。悲鳴に続けて、何やら喚く声も聞こえる。
「馬鹿な……っ」
兵士は扉を開け、中に駆け込んで行った。間を空けて、美沙も後に続く。叫び声は、男の物。当然黒尾ではないし、エドやアルにしても低過ぎる。だとしても、何か危険がここにある事は事実。どうか……どうか、無事でいて。
前を行く兵士は拳銃に弾を込め、下に向けた状態で走る。声は、徐々に近付いて来た。それは、三人の誰でもない男の声。アルと同じように、若干金属に響いているような。
「――その人格も記憶も、兄貴の手によって人工的に造られた物だとしたらどうする?」
――え?
美沙は思わず、足を緩めていた。
聞こえて来るのは、アルの反論する声。
「そんな事があってたまるか! 僕は間違いなく、アルフォンス・エルリックという人間だ!!」
「げはははははは!! 『魂』なんて目に見えない不確かな物で、どうやってそれを証明する!? 兄貴も周りの人間も皆しておめェを騙してるかも知れないんだぜ!? そうだ! おめェという人間が確かに存在していた証は!? 肉体は!?」
美沙は動けない。動く事が出来ない。
本当に、アルフォンス・エルリックなんて人間は存在したのか? その疑惑は、美沙にも当てはまるものだった。
黒尾美沙なんて人物は、本当に存在したのか。元々いたと思っているその世界は、本当に存在していた物なのか。ただ一つ携帯電話があるだけで、それが何の証拠になる? 電話と認識しているそれは、同じ携帯電話同士でしか繋がらない。この世界の固定電話にかける事も出来なければ、メールやインターネットも出来ない。そんな物体が、一体何の証拠になる?
美沙がこの世界に現れたのは、エド達が扉を開いた日。美沙の存在を立証する物は、この世界の何処にも無い。その日以前に出会った知り合いも、この世界の何処にもいない。
美沙の人間としての存在を立証するものなど、何も無いのだ。
ただ呆然と立ち尽くす美沙。兵士は銃を構え、物陰から飛び出していた。
「そこの者、動くな! ここは立入禁止になっている!! 速やかに退――」
叫んだ兵士の横っ面に、斧が深々と刺さる。
「うるせェよ」
兵士の顔の上半分が吹っ飛び、身体はその場に崩れ落ちる。
「『じゃああんたはどうなんだ』だと? 簡単な事だ!
俺は生きた人間の肉をぶった斬るのが大好きだ! 殺しが好きで好きでたまんねェ!! 我殺す故に我在り!! 俺が俺である証明なんざ、それだけで十分さァ!!」
兵士を斬ったのは、鎧姿の男。顔には、動物のシャレコウベのような仮面を付けている。空洞になった真っ暗な目が、美沙の方を向いた。
「――おおっ。こりゃあ斬り心地の良さそうな肉だ!」
美沙はハッと我に返る。
間一髪、美沙はその刃先を避けた。尚も斬りかかる鎧。速い。リオールの教祖の下で動いていたような、雑魚どもとは違う。足止めだの何だの甘い事は考えず、ただ斬りに来る。殺しに。そして何より、そのパワー。兵士の顔を一瞬にして一刀両断にしたその力。その白刃が僅かなりとも当たれば、アウトだ。
転げるようにして、斧を逃れる。アルやエドに多少の体術を習ったにしても、あれを素手で倒せるほどの力は美沙には無い。
――不味い。
正面に回り込まれた。背後は塀。月明かりに、白い刃が光る。逆光を浴びる骸骨のような鎧。
「きゃあああっ!!」
美沙は、固く目を瞑った。
衝撃は無く、美沙は恐々と目を開ける。思わず顔を覆った腕の向こうには、別の鎧の大きな背中があった。
「アル……」
「なんで来たんだ!」
アルは腕で受け止めた刃を押し返し、背中越しに叫んだ。
「何でって……それはこっちの台詞だよ……! 勝手に抜け出したりして……!」
二人の会話にも構わず、骸骨のような鎧はアルに斬りかかる。
アルは何とか、腕でそれを食い止めた。
「……美沙は、下がってて」
「……」
美沙は塀伝いに、若干の距離を取る。アルが把握でき、守りやすい位置に。
ガキンと、金属のぶつかり合う音が響く。
「女なんて庇ってる場合かァ!? 急に動きが悪くなったぜェ!! げはははははは!! 人工的に造られた魂っつっても、完璧じゃねェと見える! これ位の揺さぶりで動揺するんだもんなァ!!」
アルは、人間だ。
そう言える確証を、美沙は持たない。美沙が出会った時には既に、鎧の姿だったのだから。
そして、自分自身についても。
「う……五月蝿い! 僕は……」
斧を持った腕と、アルの腕がぶつかり合った。骸骨のような鎧は、ずいとアルに顔を近づける。
「認めちまえよ。楽になるぜ?」
アルが怯んだその一瞬。彼は、アルの腹に肘を叩き込んだ。アルはバランスを崩し、膝を突いた。奴は既に、斧を振り上げている。美沙は駆け出していた。茫然自失としているアルの頭を抱きかかえ、ぎゅっと目を瞑る。衝撃が来るのは、肩か。背中か。下劣な笑い声が、背後に響く。
「スキだらけだぜデカブツ!! 良かったな! 女と二人まとめてミンチにしてやんよ!!」
二発の銃声が、響き渡った。
どすっという重い音に、振り返る。彼が手にした斧は、美沙の背後で地面に突き刺さっていた。
彼は間抜けな声を上げて、穴の開いた手を見つめる。
「動かないで!」
鋭い声が掛かった。美沙は、骸骨のような鎧の向こうを仰ぎ見る。
そこにいるのは、マリア・ロスとデニー・ブロッシュ。銃を突きつけたまま、マリアは言った。
「次は頭を狙います。大人しく大きい鎧の人とその女性をこちらへ渡してください」
「何だおめェら」
「その人達の護衛を任されている者です」
「ああくそっ。護衛風情がいい所で邪魔しやがってよ! 門番の野郎、何やって……ああ、俺がぶった斬っちまったんだっけかァ。失敗失敗」
彼は鼻を鳴らし、マリアとブロッシュを見据える。美沙は腰を抜かして、アルの前に座り込んでいた。
一触即発。緊張した空気が流れる場で、彼はぼそりと呟く。
「面倒な事になっちまったな……」
ふと、その場の誰もが困惑顔で研究所の建物を見上げた。幽かに聞こえる、低い音。
「何の音だ……?」
ブロッシュが呟く。
途端、ズドンという爆発音が鳴った。続いて響き渡る轟音。ガラガラと外壁が崩れ出す。落下して来た瓦礫に、美沙は飛び退いた。
「軍曹! 退避よ!!」
マリアが号令を掛ける。アルは呆然と建物を見つめていた。
「何してるの! 逃げるのよ!!」
「兄さんが!」
美沙の顔から血の気が無くなる。――では、エドはこの中に。
動こうとしたアルの腕を、マリアは掴み引き止めた。
「何処へ行くの!?」
「兄さんがまだ中にいるんだ! 放してよ!」
「馬鹿な事言わないで! 巻き込まれるわ!!」
マリアの隙を見て美沙も駆け出すが、ブロッシュに捕まった。
「エド!」
「駄目です、美沙さん! あ……待て!!」
マリアとブロッシュが手一杯なのを見て、鎧の男は逃げ出した。逃げ去りながら、大声で叫ぶ。
「おめーらも早く逃げねェと巻き込まれるぜェ!! げひゃひゃひゃひゃ!!」
エドがこの中にいる。この、爆発の中に。置いて逃げるなんて、出来る訳が無い。
「……失礼っ!」
ぐいっと、美沙の体が浮き上がった。ブロッシュは美沙を小脇に抱えて、建物を離れる。
「待って……! 放して!! エドが……エドーッ!!」
ふと、土煙の中に人影が見えた。こちらへ歩いてくる、小さな少年の影。
「エ、ド……?」
ブロッシュに抱えられたまま、美沙はその人影に目を凝らす。
崩れ落ちる建物の中から現れたのは、黒髪の少年だった。その両肩には、それぞれ人を抱えている。アルとマリアが押し問答する脇に下ろされたのは、エドと黒尾。
少年が何かを話しているが、ここからでは聞こえない。ブロッシュは美沙を安全な場に下ろすなり、彼らの方へと駆け戻って行った。
「ロス少尉、何してるんですか早く!!」
マリアはブロッシュを振り返る。黒髪の少年は、土煙の中に消え入るようにしてその場を立ち去って行った。
誰だか分からない少年。立ち去る一瞬、彼がこちらへ目を向けた気がした。
2011/07/29