j「どう言う事よ! 黒尾も入院してるなんて……こんなの聞いてない!」
病室に少女の怒鳴り声が響く。
「エドとアルに一言言ってくる!」
肩を怒らせくるっと向きを変えたウィンリィの腕を、黒尾が慌てて掴んだ。
「二人は何も悪くないよ。この怪我は、私が一人で勝手にやっただけだから」
「でも……」
セントラルへと来たウィンリィは、アームストロングに連れられて真っ直ぐにエドのいる病院へと来た。どうやらエドは、黒尾の入院を電話で伝えなかったらしい。エド自身の入院さえも。
黒尾はにっこりとウィンリィに笑いかける。
「本当。二人とも、私達に無茶させないよう十分に気遣ってくれてる。ウィンリィを二度と悲しませないように」
ウィンリィは俯く。青い瞳が揺れる。
「……治るんだよね?」
「治る治る。動かす事は出来るんだから。動かしたらまだちょっと痛いかなってだけで。でもそれも、大分引いてきたし」
「そっか……良かった」
黒尾が腕を放すと、扉へと歩いて行った。
「エドの所に行って来る」
「ウィンリィ」
「大丈夫。二人を責めたりなんてしない。仕事。エドの機械鎧直して来る」
ウィンリィはくしゃりと微笑うと、病室を出て行った。
その背を見やって、アームストロングは言う。
「随分と心配しておったぞ。エドワード・エルリックに黒尾、大切な人達が揃って入院していると知って」
「悪い事しちゃったな……」
黒尾が呟く。美沙は、傍らに立つアームストロングを見上げた。
「前に、私が大怪我をした事があるんです。戦闘になって……私達だけ逃げられるような状況でも無くて。その後、すっごくウィンリィに怒られて、泣かれて、旅するの反対されちゃって……最終的には認めてくれたんですけどね。
多分その時、エド達が約束したんだと思います。もう私達に怪我はさせない、って。守るって。本人達、全くそんな事口にしませんけど」
美沙は、黒尾へと視線を移す。
自分自身なのだから、よく解る。ウィンリィの心配する表情を見て、黒尾は自分の浅慮な行動を悔い反省しただろう。ウィンリィがどんなに美沙達を大切に思ってくれているかは、よく解っているつもりだ。またあんな思いをさせてしまうなんて。
「して、アルフォンス・エルリックは来ていないか? 先に部屋を出たから、こちらへ来たものだと思っていたのだが……」
アルは、美沙を避けていた。エドをも避けていた。
自分が作られた存在かも知れない。信じて来た記憶が、紛い物かも知れない。昔を知ると言う人々は、皆して自分を騙しているのかも知れない。それは、どんなに不安な事だろう。
しかし、同じ悩みを抱き、アルの過去を証明してやる事も出来ない美沙では、掛けよう言葉も無かった。
No.17
軍部に戻るアームストロングと別れてエドの病室へ戻る道すがら、美沙はヒューズに出会った。
「自分で歩いてるって事は、美沙の方だな?」
「はい。黒尾に御用ですか?」
「いや、後でいい。……出来れば、エドも同時に話を聞けるといいんだが」
「大丈夫だと思います。エドにしても黒尾にしても、車椅子を使えば動けるようですし。――あ。それって、あまり他の人はいない方が良かったりします?」
「そうだな。でも、美沙はいてくれて構わないよ。美沙とアルも、当事者なんだろう?」
「ええ、まあ。私達じゃなくて、今知り合いが来てまして。エドの幼馴染の女の子で、ウィンリィ・ロックベルって言うんですけど」
ヒューズは意外そうな顔をした。
「ほう。彼女見舞いに来させるとはやるな、あの坊主」
ぴたりと二人は足を止める。エドの病室。扉前に立つマリアが、ヒューズの姿に敬礼する。
ヒューズがその扉を大きく開いた。
「よう、エド! 病室に女連れ込んで色ボケてるって?」
美沙とマリアは揃って噴出す。エドは突然の冷やかしにベッドから転げ落ちていた。ウィンリィは唖然とした表情だ。
直ぐにエドが立ち直り、食って掛かる。
「ただの機械鎧整備師だって!」
「そうか。整備師をたらしこんだか。やるな、豆!」
豆と呼ばれた事すら気付かず、エドは頭を抱えて悶絶する。
「ほら、エド。また傷口開くよ」
美沙はエドに駆け寄り、手を貸そうとする。エドはそれをやんわりと払った。
「やめろよ。いつまでもガキじゃねぇんだから」
ベッドに座り直し、エドはウィンリィにヒューズを紹介する。それから、ヒューズに問うた。
「仕事抜け出してきていいのかよ」
「へっへっへ。今日は午後から非番だ!」
「へー! 軍法会議所は最近、多忙極めてて休み取れないって言ってなかったっけ?」
「心配御無用!!」
言って、ヒューズは胸を張る。
「シェスカに残業置いて来た!」
「あんた鬼か」
美沙は苦笑する。
シェスカと知り合って、マルコーの研究書を写してもらって。ほんの数日前の事なのに、遠い昔のようだった。
「非番ついでにお前さんの様子を見に来たってのもあるが、もう一つ。スカーの件も情報が入ってな」
美沙はハッとヒューズを仰ぎ見る。
ヒューズが持って来た報せは、間も無く警戒が解けるだろうと言う事だった。エドは護衛から解放されると顔を輝かせる。
その会話に、ウィンリィは目を瞬いた。
「護衛って……あんた、どんな危ない目にあってるのよ!」
エドはしどろもどろになりながらも誤魔化す。ウィンリィの目を盗み、美沙はヒューズに問う。
「スカー……捕まったんですか?」
ヒューズは小さく首を振った。
「いや。……ただ、東部で大規模な爆発があったそうでな。スカーの上着と見られる物が発見されたらしい。死体は見付かっていないが、その爆発に巻き込まれたなら無事ではないだろうって事だろう」
「爆発……」
美沙は小さく呟く。
彼は、死んでしまったのだろうか。美沙の命を助けた男。エドの命を狙う男。
護衛が解けると言う事は、例え生きているにしても暫くは襲って来れないと言う事。それについては、安堵して良いのかも知れない。
「じゃあ、また明日ね。あたしは今日の宿を探しに行くわ」
ウィンリィの言葉に、美沙は顔を上げる。彼女は、上着を着て身支度をしていた。
「軍の宿泊施設なら俺の名前で格安で泊まれるぞ。美沙もいるしさ」
な、とエドは美沙を仰ぎ見る。
「え。あ、うん。ツインだけど今黒尾が入院しちゃってるからさ、他空いてなくてもこっち入れるよ」
「えー? 軍のってなんかおカタそう――」
ウィンリィは口を尖らせる。
ぽんと、ヒューズが手を打った。
「そうだ! なんならうちに泊まってけよ!」
突然の申し出に、ウィンリィは尻込みする。
「でも初対面の人に迷惑かけるわけには……」
「気にすんなって! うちの家族も喜ぶしよ! よしそうしよう。それでいこう」
「え?あの……」
ヒューズは一人合点し、戸惑うウィンリィを引きずるように病室を出て行った。
美沙達は、呆然とそれを見送っていた。
翌朝も、美沙とアルは早朝からエド達の見舞いへと病院に赴いていた。
「アル……大丈夫?」
やや間があって、アルはハッとしたように美沙を見下ろした。
「……うん」
そしてまた、無言の間。
「……美沙は……あいつの言ってた話、聞いたんだよね?」
ゆっくりと、美沙は頷く。
「どう思う? アルフォンス・エルリックという人物は、本当にいたのかな……って、『元の頃』を知らない美沙には答えようがないか」
言って、アルは乾いた笑いを漏らす。
「……アル……ごめん……」
美沙は俯いてしまう。もっと早く、美沙が彼らと知り合っていれば。そうしたら、アルの不安も解消してやれたかも知れないのに。
ぐいと顔を上げ、美沙はアルを見据える。
「アルフォンス・エルリックが身体を持っていた頃を、私は知らない……。でも、でもね。これだけは言える。今のアルは確かに一人の人間で、私にとっても本当の弟のように大切な存在だよ」
作られた存在かも知れない。元の世界なんて物は、幻想かも知れない。それでも、少なくとも今は人格がある。感情がある。思考が出来る。一人の、人間だ。――そう美沙は自分に言い聞かせるしかなかった。
「……ありがとう」
呟くように言ったアルの声は、何処か寂しげだった。
エドは、病室で朝食を取っているところだった。美沙は素早く、その盆の上に目を留める。
「牛乳、今日こそ飲まなきゃ駄目だよ。ウィンリィにも言われたでしょ」
「むぅ〜……、今日も出やがったな、こんにゃろう!」
エドはぐだぐだと、管を巻く。何としても、飲みたくないようだ。
「俺の代わりに飲んでくれよ、アル〜……ってもその身体じゃ無理かぁ……」
美沙はぎょっとして、アルを見る。しかし、アルの声は静かなものだった。
「……せっかく兄さんは生身の身体があるんだから、飲まなきゃ駄目だよ」
「嫌いなものは嫌いなの! だいたい、牛乳飲まないくらいで死にゃしねえっつーの! だいたい、牛乳なんかで本当に伸びんのかよ。美沙がいた世界では九年間毎日学校で牛乳が出たって言ってたよな? それで、クラス全員でかかったのか?」
元の世界。
……本当にあったのか、今となっては判らない世界。
「それじゃ、いいの? そんな小さいままで」
「こう見えてもちゃんと伸びてんのによ。皆して小さい小さいいいやがって!
アルはいいよな。身体がでかくてさ」
美沙は息を呑む。
アルが、鎧を軋ませ席を立った。開く病室の扉。アルの怒声が、病室に響く。
「僕は好きでこんな身体になったんじゃない!!」
エドも、今し方部屋に入ってきたウィンリィも、その場で固まっていた。美沙は、ただ彼を見つめる事しか出来なかった。
アルは、震える拳をぎゅっと握り締める。
「……好きで……こんな身体になったんじゃない……」
「あ……悪かったよ」
エドは慌てて、謝罪の言葉を口にする。
「……そうだよな。こうなったのも俺のせいだもんな……。だから一日でも早くアルを元に戻してやりたいよ」
「本当に元の身体に戻れるって保証は?」
淡々とした声で、アルは問う。エドは安心させようと、笑顔を作ろうとする。
「絶対に戻してやるから俺を信じろよ!」
「『信じろ』って!!」
アルは叫ぶ。鎧の中に響く、彼の声。
「この空っぽの身体で何を信じろって言うんだ……!」
定義されている人間の三要素、記憶と言う名の情報。怪訝気にするエドに、アルは訴えかける。
エドは以前、アルに怖くて言えない事があると言っていた。
それは、アルの魂と記憶が作り物だと言う話の事ではないか、と。
アルフォンス・エルリックと言う人間が存在していた証明hは? ウィンリィもピナコも、グルになって騙しているのでは? ずっと溜め込んでいた疑惑と不安を、アルはぶつける。
ドン、とエドは両の拳を盆の上に叩き付けた。室内は、しんと静まり返る。
「……ずっと、それを溜め込んでたのか?」
「……」
「言いたい事はそれで全部か」
アルは、無言で頷く。
「――そうか」
言うと、エドは立ち上がった。手を貸そうとする美沙を見向きもせず、アル、そしてウィンリィ達の横をすり抜け去って行った。
「エドっ……!」
ウィンリィが戸口から外へと呼びかける。エドの返答は、無かった。
「エド……」
美沙は彼の去った戸口をじっと見つめる。ウィンリィが部屋へと戻って来る。
『――そうか』
頷いた時の、エドの寂しそうな表情。
ずっと、アルの身体を取り戻すのだと意気込んで手段を探して。二人で人体練成を試みたと聞いたが、エドは『自分のせいで』と責任を感じていて。
当のアルにも、否定されてしまった。
「バカ――――っ!!」
怒鳴り声と激しい金属音に、美沙はぎょっとしてそちらを見る。
尻餅を着いたアルの頭はまだ中で金属音が反響し、ウィンリィは大きなスパナを握り締めていた。
「いっ……いきなり何だよ!!」
キッとアルを睨みつけるウィンリィ。その瞳から、ぼろぼろと雫が溢れ出す。
ぎょっとアルは身を竦ませた。慌てるアルに、再度スパナが振り下ろされる。
「アルのバカちん!! エドの気持ちも知らないで!
エドが怖くて言えなかった事ってのはね……アルがエドを恨んでるんじゃないかって事よ!!」
ウィンリィはぽかぽかとアルを殴る。アルは呆然と、ウィンリィを見つめていた。
涙声で語られる真実。機械鎧の手術に苦しみながら、痛みではなくその恐怖で毎晩泣いていた。幼馴染だから、機械鎧技師だから、ウィンリィはその姿を見続けてきた。
「それを……それなのにあんたはっ……自分の命を捨てる覚悟で偽者の弟を作るバカがどこの世界にいるって言うのよ!」
ウィンリィは、手の甲で涙を拭う。
「あんた達、たった二人の兄弟じゃないの」
呆然とするアルに、ウィンリィはびしっと廊下を指差す。
「追っ駆けなさい!」
「あ……」
頷いて、アルは立ち上がった。病室を出て行くアルの背に、ウィンリィは叱咤する。
「駆け足!」
「はいっ!!」
アルは慌てて、エドの去った後を駆けて行った。
エドとアルは、屋上で組み手をやっていた。エドが干してあったシーツで目くらましをし、アルを蹴り倒す。
語り合う二人の様子を、美沙、ウィンリィ、ヒューズは屋上への戸口から覗いていた。屋上に寝転がり、幼い頃の思い出を語り合う二人。美沙は、ふっと笑みを零す。
「……いいね、兄弟って」
「うん」
ウィンリィは頷く。そして、ヒューズを見上げた。
「ヒューズさん、やっぱり、口で言わなきゃ伝わらない事もありますよね」
「そうだな」
穏やかな表情で二人を見守る青い瞳。兄弟、そして幼馴染。彼女がいたからこそ、二人の間のわだかまりは解かされた。彼らにとって、彼女は必要な存在なのだ。
きっと、これから先の未来にも。
2011/11/12