後方から追う者達は美沙が食い止め、前方に現れた者達はあっさりと薙ぎ倒し、すっかり人のいなくなった廊下をエドとアルは走っていた。ロゼは、アルが抱きかかえている。
ふと、前方に教団の服を着た者が現れた。まだこんな所にもいたのか。一瞬構えかけたが、それが見知った顔だと分かり、二人はスピードを緩める。
「もう来たんだね。それとも、別の方?」
「ああ、会ったの? 戦ってるのは美沙の方。私は黒尾だよ」
言って、黒尾は手に持った鍵の束を見せる。
「全部の部屋を開け放して来た。何処からでも逃げれるよ。
でもその前に、面白そうな部屋見つけてさ」
黒尾は部屋の中を示す。広い部屋の窓際に、机が一つ置かれている。その上にはマイク。
「この部屋は……?」
「放送室よ」
エドの問いに答えたのは、ロゼだった。
「教主様がラジオで教義をするのが、この部屋なの」
「ほほーう……」
そう言ったエドの顔は、何やら面白そうにニヤついていた。
「皆、お待たせーっ」
棒を片手に、美沙が追いついてきた。
エドが美沙の前髪を無造作にかき上げる。
「美沙、お前こぶ出来てっぞ」
「ちょっとポカした。後で冷やしとけば治るでしょ」
「頼んだのに言うのも変だけど、あんまり無茶はすんなよ。お前が怪我したら、俺がウィンリィに殺される」
「あはは。私の方が年上なのにねぇ。
で、何してる所? 何、この部屋」
「放送室」
答えたのは黒尾。その一言で、美沙も黒尾と同じ考えに行き着いたらしい。
ニヤリと面白そうに笑みを浮かべた。
No.2
六時を過ぎても、教会の鐘は鳴らなかった。つこうにも、鐘が無くなっていたのだ。
紛失した鐘は、アルが抱えていた。人気の無い見晴らしの良い屋上で、アルはこっそり拝借してきた鐘を下ろす。
「さっきの話だけど、まだ信じられない。そうまでしないと、錬成出来ないなんて……」
「ロゼに話したの? あんた達の身体の事」
「うん。
言ったろ、錬金術の基本は『等価交換』って。何かを得ようとするなら、それなりの代価を払わなければいけない。
兄さんも『天才』だなんて言われてるけど、『努力』という代価を払ったからこそ、今の兄さんがあるんだ」
「でも、そこまでの犠牲を払ったからには、お母さんはちゃんと……」
「人の形をしていなかった」
ロゼは息を呑む。
美沙達は手摺りに腕をつき、遠くを眺めていた。美沙達が二人と会った時には、エドは機械鎧のリハビリをしていて、アルも元に戻る為の手掛かりを探していた。目的を胸に強い目をしていたが、人体錬成に失敗して間もない頃の二人は、絶望に包まれ再起不能と思われる様子だったと聞いている。
「人体錬成は諦めたけど、それでも兄さんは僕の身体だけでも元に戻そうとしてくれてる。僕だって、兄さんを元に戻してやりたい。でもそのリスクが大きいのは、さっき話した通り……。報いを受け、命を落とすかもしれない。僕達が選んだのは、そう言う業の道だ。
だから、ロゼ。君はこっちに来ちゃいけない」
「……」
ロゼは俯き、黙り込む。
美沙達は同時に振り返る。アルは、美沙達が引っ張ってきたコードを鐘に繋いでいた。
「……それにしても、本当にそっくりなのね貴方達。双子?」
全く同じようにアルの作業を覗き込む美沙達を見て、ロゼは問うた。二人して教団の服を着ている為、違いと言えば額のこぶしか無い。
二人は苦笑する。
「違うよ。同一人物」
答えたのは、こぶが無い方。
「同一人物……?」
「そう。こんな事言うと唐突で信じられないかも知れないけど……私ね、元々はこの世界の人じゃないんだ。こことは違った、簡単な違いを言えば例えば錬金術なんて無い世界にいたんだよ。事故でこの世界に来ちゃって……」
「気がついたら、もう一人私がいた」
もう片方が続きを話す。
「その時にね、扉を見たの。エドの話じゃ、それは真理の入口だって。よく分からないけど、錬金術と関係しているみたいなんだよね。だから、この子達と一緒に旅している。元の世界に戻る為に。元の一人に戻る為に」
ロゼは唖然としていた。
二人は肩を竦めて笑い、アルを仰ぎ見る。
「そろそろじゃない?」
「うん」
アルは頷くと、スピーカーに錬成した鐘を抱え上げる。
ちょうど、コーネロとエドの話し声が流れ出した。
「半端物?」
半壊した教会の上で、アルはエドの言葉を繰り返して尋ねた。
エドは頷く。
「ああ。とんだ無駄足だ。やっと、お前の身体を元に戻せるかと思ったのにな……」
「僕より兄さんの方が先だろ。機械鎧は色々大変なんだからさぁ」
美沙は二人を微笑ましく思いながら見ていた。いつか賢者の石が手に入った時、この二人はきっと互いを先にと譲り合うのだろう。
エドは残念がりながらも、立ち上がる。
「しょうがない。また、次探すか……」
「そんな……」
聞こえたのは、絶望に打ちひしがれた声。
ロゼが膝をつき、ぼんやりと教会を眺めていた。
「嘘よ……。だって……生き返るって言ったもの……」
「諦めな、ロゼ。元から――」
「なんて事してくれたのよ……。
これからあたしは! 何にすがって生きていけばいいのよ!!」
エドの言葉を遮り、ロゼは叫ぶ。その目からは、涙が溢れていた。
「教えてよ!! ねえ!!」
美沙達は俯くしかなかった。
過去に、自分は折れた。負けた。その自分が何かを言える立場ではない。
「そんな事、自分で考えろ」
エドが放ったのは、突き放すとも思える言葉。
「立って歩け。前へ進め。あんたには、立派な足がついてるじゃないか」
エドは振り返る事も無く、前へと進んで行く。
アルと美沙達はそっと背後を振り返る。うなだれたロゼの背中が、夕日に赤く照らされていた。
外では、民衆がいきり立っていた。コーネロの嘘が露見し、騙された人々が教会へと詰め掛けている。
四人は人のいない裏から出て、駅へと向かっていた。街中まで来れば人に会おうと、教団の者以外は美沙達の姿を見ていない。ただ人々の流れに逆らい、駅へ向かう。
ふと、黒尾が足を止めた。
「ん? どうした?」
エドが立ち止まり、振り返る。
黒尾はじっと教会の方を見つめていた。
「ごめん、私ちょっと忘れ物。先に駅行ってて。確か次の汽車って、七時半だよね。それまでには行くから」
片手を軽く挙げると、黒尾は教会の方へと駆けて行った。
アルは、隣に立つ美沙を見下ろす。彼女の表情から、これは黒尾のみの意思だと分かった。美沙には用が無いのだ。
走り去るもう一人の自分の背中を、美沙はずっと見つめていた。
――例え双子でも、環境が違えば全く違った性格になると言う。
エド達が去った後、目が覚めたコーネロは肩をいからせ、自室へと戻っていった。教会の前では、騙された人々が殆ど暴動となっている。
「……くそ!! あんな小僧に私の野望を……。冗談じゃないぞ。これまで、どれだけの投資をしたと……」
「ほーんと。せっかく良い所まで行ったのに、台無しだわ」
部屋にいた合成獣は死んでいた。
中にいるのは、妖艶な女性と丸々と太った男。男が噛み砕いているのは、合成獣の腕ではないだろうか。
「久しぶりに来てみれば、何この騒ぎ。困った教主様ねぇ」
コーネロは負けじと食い下がる。
「あ……あんた達どういう事だ!! あんたがくれた賢者の石! 壊れてしまったじゃないか!! あんな半端物掴ませおって!!」
「いやぁね。貴方みたいなのに、本物渡す訳無いじゃないの」
「ぐ……っ。この石を使えば、国を取れると言ったではないか!!」
「んー、そんな事も言ったかしら? こっちとしては、この地でちょっと混乱を起こしてくれるだけで良かったのよね。
それとも何? 貴方みたいな三流が一国の主になれると、本気で思ってた訳? あはははは!! ほんっとおめでたいわぁ、貴方!」
「ねぇ、ラスト。このおっさん食べていい? 食べていい?」
腕を殆ど食べ終わった男が、コーネロを指差して尋ねる。
「だめよ、グラトニー。こんなの食べたら、お腹壊すわよぉ。こんな三流……いえ、四流野郎なんか食べたらね」
「ぬああああ!! どいつもこいつも、私を馬鹿に……」
コーネロの言葉は途切れた。
彼の禿げた頭には、長い鋭利な爪が刺さり突き抜けていた。その爪は、ラストと呼ばれた女性の物。
「貴方、もう用済みよ」
ラストは笑み、爪を抜く。血を払うようにして腕を下ろし、次の瞬間には元の長さへと戻っていた。
「あーあ、せっかくここまで盛り上がったのに、また一からやり直しね。お父様に怒られちゃうわ。さて、次はどんな手を使おうか……。
おや、食べちゃいけないったら」
ごきん、と骨を噛み砕く音が部屋に響く。
ぼり、がり、と無残な音が響く中、かつんと足音のような高い音が部屋に響いた。ラストはゆっくりと階段の上を見上げる。階段上の部屋から、黒尾が出てきたところだった。
黒尾は、その光景に我が目を疑った。頭の無い人の身体。その服と体系は、コーネロの物。それを今も喰らい続けている男。そしてその傍らで、何の感情も持たない瞳をこちらに向けている女性――ここ二、三年、ずっと探していた人物。
「ソラリス……ソラリスだよね……?」
中央へ行った時に出会った友人。
エドやアルとの旅が始まり、それからもたまに出会う事があった。偶然にしては多すぎる回数、そして出会うタイミング。それに気付いたのは、一年以上経った頃。
――例え双子でも、環境が違えば全く違った性格になると言う。
「どういう事……? そいつが食べてるのって……」
「私は食べちゃいけないって言ったのよぉ。お腹壊したら大変だもの」
そう言う彼女は、黒尾の知るソラリスではなかった。
「なんで……」
「貴女には関係の無い事よ。馬鹿な子……あの子達と一緒に駅まで行ってしまえば、死ぬ事なんて無かったのに」
「ラスト、あの女の子食べていい?」
「ちょっと待ちなさい」
ラストはゆっくりと階段を上がって来る。黒尾は氷漬けにされたかのように、ずっとその場に立ち尽くしていた。
やがて、ラストは階段の上、つまりは黒尾の目の前まで来た。
「あらぁ、逃げないのね。それとも、恐怖で動く事も出来ないのかしら?」
「ラスト……って言うの? それが本当の名前?」
「そうね。ソラリスは偽名。お友達なんて思ってたの、貴女だけなのよ。私は貴女を友達なんて思った事一度も無いし、名前さえ明かすつもりも無かった。
貴女、何処から入ってきたの?」
黒尾が取り出したのは、鍵の束。その中には、ここの物もあった。
「借りっ放しだったもんでね。これを返しに来たの。窓も扉も全部開け放してたもんだから、ここに入るのは造作も無かったよ」
「ふぅん……」
ラストはそれを眺め、階段下の男を振り返る。
「グラトニー。残したりせず、綺麗に食べるのよ」
そう言うと、黒尾が今出てきた部屋へと入って行った。
それを見送る間も無く、大きな足音を響かせてグラトニーが駆け上がって来る。巨体の割りに素早く、黒尾は間一髪の所で身をかわす。しかし体勢を崩し、階段を落下していった。頭と顔を腕で守るようにして抱え込み、背中を何度か打ちつけながら落ちる。
仰向けの状態で下に着地する。階段の上から黒尾目掛けてグラトニーが飛び降りていた。咄嗟に横へ転がり、彼の歯から逃れる。
「ちっ……そう簡単にやられて堪るかっての!」
立ち上がり、駆け出す。扉は二つ。片方は閉まっている。もう片方、エドが作った方は開いたままだった。だが、その壁までは遠い。
背後に迫る気配に、さっと横に飛び退く。ついさっきまで黒尾の身体があった箇所を、グラトニーの身体が通り過ぎて行った。エドが作ったらしい壁の向こうへ、逃げるようにして回り込む。せめて、美沙の持っていた棒を屋上から持ってくるべきだった。丸腰で相手にするには、分が悪い。
しまった、と思った時には遅かった。避けきれなかった腕を押しつぶすような痛みが走り、鋭い悲鳴が迸る。大きな図体が黒尾の上に乗り、押さえつける。腕はまだ繋がっていた。だがそれを確認するや否や、再びグラトニーが喰らいついた。長い悲鳴が響き渡る。
噛み切られた。そう思った。そちらへ顔を向ける事も出来なかった。グラトニーがゆっくりと口を離す。
「どうしたの? 珍しく頭以外から食べてくれて、せっかくいい悲鳴が聞けてたのに」
「こいつ、変。なんか、食べれない」
黒尾は涙に潤んだ目で部屋を見回す。階段の手摺りに座り、こちらを楽しそうに眺めている少年がいた。
「食べれないなら、飲み込めば?」
グラトニーが黒尾の上から退いた。乗りかかられていた重みに、黒尾はむせ返る。
ふらりと立ち上がり、グラトニーの方を向く。グラトニーはもう、飛びついて来ようとはしなかった。きょとんとしていると、少年が言った。
「逃げた方がいいよ。丸呑みにされたくなかったらね」
「え? どう言う――」
黒尾の言葉が途切れる。
突然の衝撃と明暗の差に、目を瞑る。再び開いた時、床はグラトニーの所から一直線に抉られていた。見れば、横にあったエドの作った壁も無くなっている。黒尾は呆然とグラトニーを見つめる。腹が割れ、その奥にある闇。闇に浮かぶ目。それは、見覚えのある物だった。
「何? 何が起こったの……?」
「何が起こったって聞きたいのは、こっちの方だよ」
頭上から声がし、目の前に少年が降り立った。背丈は黒尾と同じほど。ラストの胸元にあったのと同じウロボロスの印を左脚に持つ、長い黒髪の少年だった。
黒尾は警戒し、身構える。彼もグラトニーらの仲間だろう。
「そんな怖い顔しないでよ。もう、あんたに危害を加えるつもりは無いんだから。余計な事をしなければ、ね」
「あら、エンヴィー。もう来たのね」
上の部屋からラストが出て来た。
少年――エンヴィーもそちらを仰ぎ見る。
「この子、鋼のおちびさんと一緒に旅してる奴だよね。グラトニーが、飲み込めないみたいなんだけど」
「飲み込めない?」
ラストと目が合った。不意に、黒尾の胸に疑問が沸く。
――ラストはあの部屋に、何をしに行った? あの部屋は、エンヴィーの声が聞こえない程厚い扉だったか?
「そう……あの兄弟と一緒に旅をしているのは、貴女も関連しているからって訳ね」
「こいつも人柱って事?」
「違うわ。彼女は錬金術師じゃないもの。けど……そうね。計画には何らかの役に立つかも」
人柱? 計画?
黒尾には何の事やらさっぱり理解の出来ない話ばかりだ。
「何? どう言う事?」
「来なさい。今日の所は帰ってもらうわ。いられても、邪魔になるだけだもの」
言って、ラストは部屋の扉を開ける。そして、振り返った。
「早くなさい」
「……」
黒尾は口を真一文字に結び、階段の方へと足を進める。グラトニーとエンヴィーに目をやったが、隙を突いて襲い来る様子はなかった。
部屋の中は、黒尾が通った時のままだった。何かが変わった訳でもなく、ラスト以外に人が入った形跡も無い。
ラストは窓の傍らに立ち、外の暴動を眺めている。
「……ねぇ、ラスト。あんた、この部屋で何をしてたの?」
ラストは窓の外を見つめたままだ。入って来た扉の方からは、エンヴィーがグラトニーに何か言っているのが聞こえる。
「エンヴィーが来た事に気付かなかったのも、どうして? 声は?」
ラストはやはり外を見たまま、答えない。
「……ね。私が助かって、良かったって思ってくれてる?」
「早く帰りなさい。私達も忙しいのよ」
「部屋に入ったのは、私が殺されるのを見たくなかったからじゃないの? エンヴィーに気付かなかったのは、部屋の外の音を聞かないようにしていたからじゃないの?
貴方達はコーネロの件に絡んでいたの? 何をしようとしているの?」
ラストが振り返った。その手は真っ直ぐに、黒尾へと伸びている。
二本の爪が、黒尾の首を挟むようにして扉まで伸び刺さっていた。少しでも動けば、鋭利な爪に首を裂かれる事となる。
「ラスト……」
「五月蝿いのよ、貴女。あまり要らない詮索ばかりしているようだと、いつか命を落とす事になるわよ」
「……ご忠告どうも」
すっと両脇の爪が引っ込んだ。
黒尾はゆっくりと、ラストのいる窓の方へと歩いて行く。ラストは窓の前を避け、横の壁にもたれかかる。
通れる幅に窓を開け、黒尾は呟くように言った。
「……あんた、人間じゃなかったんだね。下にいるあの二人も、同じような能力があるの?」
「ええ。私達は、貴女が化け物と呼ぶような存在だわ」
「化け物か。そんな風に言ったら私だって、二人いるなんてまさに『化け物』じゃない?
ソラリスは私の友達だった。ラストとソラリスが同一だって言うなら、あんたは私の友達だよ。例え、あんたの方はそう思ってなくてもね」
そう言ってラストに笑いかけると、黒尾は窓から外へと出て行った。
半壊した屋根や壁をつたって下へと降り、駅の方へと駆けて行く。時計を見れば、もう七時過ぎ。急がなければ、汽車の出発時刻に遅れてしまう。
駅の方へと駆けて行く黒尾の後姿を、ラストは見つめ続ける。
「馬鹿馬鹿しい……」
呟くと、窓とカーテンを閉め部屋を出て行った。
2009/04/07