ホーリング一家もアルも美沙も、既に外にいた。アルは今着いたところだった。
 と、カヤルと黒尾の目があった。カヤルは真っ青になって叫び声を上げる。
「姉ちゃんだ! 双子の姉ちゃんが、中にいる!!」
「何だって!?」
 駆け出そうとしたカヤルを、ホーリングが止める。
「お前はここで待ってろ。俺が行く!」
 しかし、それをも止める者があった。美沙だ。
「あいつなら大丈夫です。確か、階段は奥にありましたよね」
「階段はあるが、外へ出る扉や窓はこちら側にしか無いぞ!? 四方は既に火で囲まれたから、一階からは出られないし……」
 美沙は一歩前に出て、黒尾に手を振る。火の燃え盛る音で、声は届かない。
 美沙は手を前に出して輪を作り、四方が火に囲まれている事を表す。続いて上を指差し、挙げた手をそのまま手前へ振り下ろす。丁度そこで、倒れた柱で遮られ見えなくなってしまった。
「姉ちゃん!!」
 カヤルが悲痛な叫びを上げる。
「やっぱり、行かねぇと!」
「大丈夫です。今、二階の正面の窓から飛び降りろって合図しましたから」
「あんなジェスチャー理解できるの、あんただけだ!!」
「理解出来ますよ。――だって彼女は、私ですから」
 やけに自信に満ちた様子に、ホーリングは呆気に取られる。
 美沙は、アルを振り返る。
「アル、そう言う訳だから、あいつを受け止めてくれる?」
「うん、分かった」
 黒尾は無事、外へと脱出した。
 火はなかなか消えず、ようやく鎮火出来た時には夜が明けてしまっていた。





No.4





「ひでぇ……」
 奥さんは店の看板を抱え、座り込んでしまっていた。ホーリングがその肩を抱く。カヤルも、美沙達の傍で座り込んでいた。
 エドもいつの間にか来ていて、口を真一文字に結んで焼けた家を眺めていた。
 人々の話では、昨夜、ヨキの部下が店の周りをうろついていたという。
「……親父が錬金術をやってたのは、この街を救いたかったからなんだ」
 カヤルはぽつり、ぽつりと呟くように話し出す。
「なぁ、エド。あんた、黄金を錬成出来るほどの実力者なんだろ? ぱっと錬成して、親父……街を救ってくれよ……!」
「駄目だ」
「そんな……。いいじゃないか、減るもんじゃなし!」
 だが、エドの返答は冷たい。
「錬金術の基本は『等価交換』! あんたらに金をくれてやる義理も義務も、俺には無い」
「てめえ……てめえ、それでも錬金術師か!!」
 カヤルはエドの胸倉に掴みかかる。それでもやはり、エドは冷めた表情をしていた。
「『錬金術師よ、大衆の為にあれ』……か?
ここで俺が金を出したとしても、どうせ直ぐ税金に持っていかれ終わりだ。あんたらのその場しのぎに使われちゃ、こっちも堪ったもんじゃねー」
 エドはカヤルの腕を振り払い、崩れたコートを正す。
「そんなに困ってるなら、この街出て違う職探せよ」
「小僧。お前には分からんだろうがな……ここが俺たちの家で、棺桶よ」
 そう言うホーリングの背中は、寂しげだった。





 足早に進むエドを、アルと美沙達は急いで追いかけていた。
「兄さん、待ってよ! 本当に、あの人達放っておく気――」
「アル」
 炭鉱の仕事場で立ち止まったエドは、アルの言葉を遮る。
「このボタ山、どれくらいあると思う?」
「一トンか……二トンくらいあるんじゃない?」
「よーし。今からちょいと法に触れる事するけど、お前ら見て見ぬふりしろ」
「へ!? ……それって、共犯者になれって事?」
「駄目か?」
 悪びれもせずにそう言って、エドは両手をパンと合わせる。アルは呆れたように溜息を吐いた。
「駄目って言ったって、やるんでしょ?」
「なぁに。ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ」
「やれやれ。悪い兄を持つと苦労する……」
 美沙達は、くすりと笑った。
「まったく、素直じゃない奴」
「うるせー」

 錬成した金塊を持ち込み、エドはヨキに経営権を売るよう交渉に出た。
 堂々と立っているエドとアルとは打って変わって、美沙達は座り込み金塊に寄りかかって肩で息をしていた。
「……ったく、だからお前らはいいって言ったのに。格好つかねぇだろ」
 エドが、二人にひそひそと文句を言う。
「でも、そのお陰で運ぶ時間は短縮出来たでしょー」
 二人同時に、答えが返ってくる。どうやら、どちらが言うと考える事も出来ぬらしい。
 足りないかと問うエドに、ヨキは慌てて答える。
「めめめ滅相も無い!!」
 恐らく、ヨキの脳内ではこれからの賄賂を贈る予定が次々と立っている事だろう。
 そして彼は、ちらりとエドの方に視線を送る。エドはにっこりと笑みを浮かべた。
「ああ、中尉の事は上の方の知人に、きちんと話を通しておいてあげましょう」
「錬金術師殿!!」
 ヨキは感動のあまり涙を流しながら、エドの手を握る。
 ここからが、重要な部分だ。エドは何気無い様子で話す。
「でも、金の錬成は違法なので……ばれないように一応、『経営権は無償で穏便に譲渡した』って言う念書を書いてもらえると、ありがたいねすけど……」
 この願いを、ヨキはよくも考えず二つ返事で承諾した。美沙達は金塊の陰で顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
「しかし、錬金術師殿もなかなかの悪ですのぅ」
「いやいや、中尉殿ほどでは」
 怪しげな笑いを浮かべるエドは、随分と楽しげだった。





「はーい。皆さん、湿気た顔並べて、ご機嫌麗しゅう!」
 元気良く倉庫に入って来たエドに、中にいたカヤル達はあからさまに嫌そうな顔をする。
「……何しに来たんだよ」
「あらら。ここの経営者に向かって、その言い草は無いんじゃないの?」
 そう言って、エドは先程手に入れた権利書を突きつける。
「なんでおめーがこんな物持って……あー!! 名義がエドワード・エルリックって!?」
「なにぃ!!?」
「そう! 即ち今現在! この炭鉱は、俺の物って事だ!!」
 誇らしげに言うエドに、街の者達は顎が外れそうな程に驚嘆の声を上げる。
「……とは言ったものの、俺達ゃ旅から旅への、根無し草。権利書なんて、邪魔になるだけで……」
「……俺達に売りつけようってのか? いくらで?」
「高いよ?」
 そう言って、エドはニヤリと笑う。
「何かを得ようとするなら、それなりの代価を払ってもらわないとね」
 そう言って、エドはいかに権利書に価値があるかを語る。紙質、金の箔、箱、鍵、よくもまあこれだけペラペラと話せるものだ。
「ま。素人目の見積もりだけど、これ全部ひっくるめて――」
 ホーリングは固唾を呑んでエドの言葉を待つ。周囲の者は呆然としていた。
 果たして、エドは言った。
「親方んとこで一泊二食四人分の料金……ってのが、妥当かな?」
 一瞬、皆の反応が遅れた。一拍遅れて、カヤルが呟く。
「あ……等価交換……」
「はは……はははは、確かに高ぇな!! よっしゃ、買った!!」
「売った!!」
 晴れやかな表情で、二人は言った。同時に、倉庫の扉が開く。
「錬金術師殿、これは一体どういう事か!!」
 入ってきたのは、ヨキだった。どうやらエドは、出てくるときに金塊を石屑に戻して来たらしい。
 当然エドは、金塊など知らないとすっとぼける。権利書は無償で譲り受けたという念書もある。法的にも、ヨキは経営権を取り戻す事が出来なくなっていた。
「ぬぐぐ……この取引は無効だ!
お前達! 権利書を取り返……せ!?」
 背後に従えた二人に命じた言葉は、目の前に迫った男達に威勢を無くす。
「力ずくで他人の資産を取り上げようなんて、いかんですなぁ」
「これって、職権乱用って奴か?」
「う、うるさい。退け貴様ら! 怪我したくなかったら、さっさと……」
 皆、各々手にはツルハシやら鉄パイプやら持っていた。ヨキ達は――背後にいるがたいの良い軍人達でさえも、逃げ腰になる。
「炭鉱マンの体力なめてもらっちゃ困るよ、中尉殿」
 ヨキの部下は、あっさりとノックアウトされた。それを見て、ヨキは小さく悲鳴を上げる。
 そこへ釘を刺したのは、エドだった。
「中尉の無能っぷりは、上の方にきちんと話を通しときますんで。そこんとこ、よろしく」
 ヨキはその場に崩れ落ちる。
 歓声と雄たけびが、人々の間から上がった。
「よっしゃー!!」
「酒持って来い、酒ーっ!!」
 そのままその場で宴会となり、それは夜になっても続いていた。

 止まない騒ぎの中、美沙はひっそりと外へと出て行った。
 店は途中、エドが錬金術で直した。既に灰として風に飛ばされた部分は直せなかったが、それ以外は元通りである。
「『俺達の家で、棺桶』か……」
 呟いた声は、美沙の物。けれど自分は、言葉を発していない。
 振り返れば、黒尾が同じように店を眺めていた。
「あんた……」
「やっぱり私達、考える事同じだね。そりゃ、そっか。同一人物だもん」
「……」
「……私は、あんたより少し多くの事を知った。知りたくなかった話。暗い話。私は、これを知りたくなかった。だから、あんたに話したくない。話そうとも思わない」
「でもそしたら、私とあんたは変わってくる」
「そうかも知れない。でも私、それでも良いんじゃないかって思うんだ」
 美沙は横に立つ片割れを振り返る。
「良い訳ないじゃない! そしたら、元の世界に戻る時はどうするの!? 私達は一人だった。二人も帰る事なんて、出来ないんだよ! そんなの、皆が受け入れてくれる筈無い!!」
「元の世界に戻る時なんて、あるの?」
 黒尾の言葉に、美沙は凍てつく。
 いつもの会話と同種の物だった。これは、自問自答。
「私が気付いてるって事は、あんたも気付いてる筈だよ。この四年間、何の手掛かりも見つからなかった。どうやってこの世界に来たかも分からない、どんなに調べたって前例さえ出て来ない。もう、手は尽きた」
「尽きてなんか無い。この世界だって、広い。まだ私達の行っていない所はある。見ていない物はある」
「でも、分かってんでしょ? 例え元の世界に戻れたとしても、元通り一人になったとしても、私達が受け入れてもらえる可能性はとても低い」
「やめて」
「だって、私達――」
「やめてってば!!」
「――私達、この世界に来たその時から、一切姿が変わってないのだから!」
 二人共、その場に崩れ落ち膝をついた。
 この世界へ来てしまう前、美沙はショートカットにしていた。そしてそれは、今も変わらない。この四年間、一度も髪を切ってなどいないと言うのに。
 不老不死。
 不死ではないかも知れない。確かめた事など無く、確かめようとも思わないから分からない。けれど、少なくとも不老なのだ。あの時から、黒尾美沙の容姿は何一つ変わっていない。十六歳から二十歳へ。成長期は過ぎた年頃だが、それにしても変わらなさ過ぎる。
 若しかしたら、いつかは元の世界に帰れるかも知れない。けれどそれは、いつの事だろうか。年を経れば経るほど、本来なるべき容姿との差が出てくる。そうなれば、自分だと信じてもらえる可能性は低くなっていく。
「それに……もう、このままでも良いんじゃないかって思い始めてる……」
「思ってない。帰るの。私は、帰る……!」
「帰ったそこに、居場所はあった?」
「けれどここだって、私がいるべき場所じゃない。いつまで経っても、不意に感じる疎外感は消えない……」
「それじゃ、私がいるべきは何処なんだろう?」
 黒尾の問いに、もう美沙は答えなかった。二人共――否、黒尾美沙は、この問いに答えを見つける事が出来ずにいた。
「私達には、家も棺桶も無いんだよ……」
 そう呟いたのは、どちらだったか。
 どちらだとしても、同じ事だった。どちらも、同じ思いを胸に感じていたのだから。


Back  Next
「 2人の私 」 目次へ

2009/04/12