「や、鋼の」
「あれ、大佐。こんにちは」
「お久しぶりです。ホークアイ中尉も、こんにちは」
 挨拶をしたのは、アルと美沙達のみ。
 イーストシティに降り立つなり現れた青年に、エドは露骨に嫌な顔をしていた。
 その頭を、美沙はがしっと掴む。
「そういう顔しないの。挨拶ぐらい、ちゃんとしなさい」
「頭押さえるな! 縮んだらどうすんだ!!」
「心配しなくても、十分小さいよ」
「誰がミジンコどチビかああぁぁぁっ!!」
「誰もそこまで言ってないでしょ。――ほら」
 エドはムスッとした表情で美沙を睨み上げていたが、やがて渋々と青年の方へと視線を移した。
「……ども」
 愛想の欠片も無い声で、エドは言う。
 一連のやり取りを見て、彼は苦笑した。
「まるで親子みたいだな」
 その言葉に、エドとアルは目を伏せる。
 美沙二人も一瞬言葉を失ったが、直ぐに笑い返した。
「なーに言ってるんですか。失礼ですねぇ、母親ってほど老けてないつもりなんですけど」
 そう言って、明るく笑う。
「ちょうど良かったです。大佐に、お願いしたい事が――」
 黒尾の言葉に、憲兵達の悲鳴が重なった。
 見れば、エドとアルとで捕まえたバルドが縄から解放され、こちらを睨みつけていた。どうやら、機械鎧の仕込みナイフで縄を切り、続けて周りの者を襲ったらしい。
 捕まえる邪魔になってはいけない。そう思い、どちらの美沙も一歩身を引く。
 それが、逆に不味かった。
 後退した事で、二人がこの場で最も弱いと判断したのだろう。バルドは真っ直ぐに、近い方にいる黒尾へと突進して来る。
 距離は短い。どう逃げて良いのか分からない。後ずさった足はもつれ、バランスを崩す。
 一瞬、空気中を火花が走るのを見た気がした。
 次の瞬間、目の前がパッと赤くなった。遅れて音を認識し、バルドを火炎が襲ったのだと理解する。
 炎は一瞬で消え、その向こうには憲兵に囲まれたバルドが倒れていた。
 尻餅をついている黒尾に手を差し伸べて立たせ、彼はバルドの方へと歩み寄る。
「手加減しておいた。まだ逆らうと言うなら、次は消し炭にするが?」
 憲兵に取り押さえられたバルドは、忌々しげに睨めつける。
「ど畜生め……てめえ、何者だ!!」
「ロイ・マスタング。地位は大佐だ。
そしてもう一つ、フリーのカメラマン。雛見沢には、たまに来るんだ」『焔の錬金術師』だ。覚えておきたまえ」
 言って、彼は軍服の襟を正した。





No.7





 美沙は、リザに続いて軍部の一角を歩いていた。白い廊下は何処も同じようで、美沙には今自分が何処にいるのやら分からない。
「なんだか、迷子になってしまいそうな造りですね」
「慣れればそんな事無いですよ。それに、中央の軍部はもっと複雑な造りをしていると聞いた事がありますし」
「ああ……セントラルって、町自体も入り組んでますからねぇ……」
 美沙は、一時期出稼ぎに行っていた町を思い出す。煉瓦造りの町並みなどは、ここと同じである。しかし明らかにここ、東部よりも建物も人も多く、まさに都市と言った様子だった。
 ふと、廊下に並んだ扉の一つの前で、リザは立ち止まった。他の扉と何の変わりも無く、札さえ掛かっていない。一体どのようにして、部屋を見分けているのだろう。
「この部屋です」
 そう言って、リザは扉を開ける。
 部屋の中は、酷い状態だった。床に本が積み上げられ、その癖本棚は空いている所が多い。本の敷き詰められた段ボールも幾つか積まれている。
「古い資料庫です。多くは、図書館や中央から流れて来た物。殆ど用の無い資料ばかりですが、大佐が処分を止めた為、こうして取ってあります」
 リザは淡々と説明する。
 美沙は唖然として部屋の中の書物を眺めていた。
「処分を止めた際、大佐は整理は自分がすると仰っていました。……ですから、断っても構いません」
 リザは、マスタングへの呆れに溜息を吐く。
 バイトを紹介して欲しいと言った美沙に、マスタングは自分自身が雇うと言った。そして彼の与えたバイトと言うのが、この資料庫の整理だったのだ。
 気になる本があれば、読んでも構わない。次の出発までに終わらず、作業が途中になっても良い。作業の進み具合に関わらず、バイト代は時給制で出す。美沙にとって、これ程良い条件は無かった。旅費を稼ぐ事が出来、尚且つ元の世界に帰る方法や、エドとアルが元に戻る方法を調べる事が出来るのだ。それで、バイト代を出してくれる。なかなかの太っ腹である。尤も、エドは何か企んでいるのではと疑いの目を向けていたが。
 リザは美沙の表情を伺うようにしていた。
「……どうします?」
「どうもこうも、断る理由なんてありませんよ。ただ、一人でうろつくと迷子になりそうなので、エド達を迎えに行くのと同じ頃に呼びに着て頂けると嬉しいです」
「分かりました。誰か行かせましょう」
「お手数お掛けします」
 美沙はぺこりとリザに頭を下げる。
「では、そろそろ大佐がお戻りになる頃でしょうから、私はこれで」
「はい。ありがとうございます」
 リザは一礼し、部屋を出て行った。後には、美沙と散乱した本の山だけが残される。
 美沙は腰に手を当て、ぐるりと部屋を見回した。
「さて、と……何処から取り掛かろうかね……」
 積み上げられた本や、本の入った段ボールの山。
 ただこれを本棚に入れるだけならば、造作も無い話だ。けれど、なるべくなら分類しておいた方が良いだろう。
 ――どちらにせよ、大体どんな本があるのか見ないとかな……。
 美沙は、手近な所に積まれている本を一冊、ひょいと手に取った。
 パラパラと読み、本棚の空白に入れる。ここ最近の軍事記録だった。次に取った本は、また違った物だった。錬金術に関する物だ。美沙はその本を、先程とはやや離れた所に立てる。

 単調な作業を繰り返して行き、二つ目の山が終わる頃だった。手前の山が低くなった事で、奥に積まれていた本の一番上がよく見えた。その本。何だか、違和感を感じる。
 美沙はその本を手に取り、まじまじと見つめる。
 表紙に何のタイトルも無い本だった。絵柄の有無で、どちらが表紙か分かる程度。
 不意に、美沙は違和感の正体が何なのか気がついた。――この本は、右に開く形なのだ。
 この世界――アメストリスは、英語圏だ。当然文字も英語で、横書きである。どの本も、教科書に例えるなら数学や英語のように、左開きになっていた。けれどこの本は、国語のような右開き。つまりは、縦書き。
 美沙は鼓動が早くなるのを感じた。
 まさか、この本は日本語で書かれているのだろうか。この世界へ来てしまってからという物、自分の書いた文字以外で見かける事など一切無くなってしまった、懐かしい母国の言葉。美沙は、アメストリスなどと言う国の名前を聞いた事が無い。世界史は苦手だったが、それでも恐らく無いだろうと思う。アメストリスの周辺にあると言う、アルエゴやらドラクマやらも、同様に聞いた事の無い国名なのだから。
 美沙はごくりと固唾を飲み、表紙に手をかけた。若しかしたら、この本は元の世界へ帰る手掛かりになるかも知れない。この世界へ来て四年間。一切見つからなかった、見つかる兆しさえ無かった帰る手掛かり。それが、この本にはあるかも知れないのだ。
 美沙は、慎重に本の表紙を開いた。そこにあるのは、真っ白なページ。続いて、次のページを開く。そこには、本のタイトルがあった。書かれたタイトルは、見慣れた言語で五文字。
『賢者有遥西』
 見覚えの無い単語だ。固有名詞だろうか。
 続いて、次のページを開く。
 次のページからは、本文だった。しかし、そこに列挙される文字を見て美沙は目が点になった。
『是記西之賢者 嘗賢者有遥西……』
 全て、漢字だった。
 美沙は目をパチクリさせる。どれもこれも、漢字ばかり。どれだけページを捲ろうとも、平仮名や片仮名は一切無い。
「日本語じゃなくて、中国語って訳ね……」
 中国語でさえ無いかも知れない。けれど、少なくとも日本語では無いのは確かだ。
 美沙は最初のページに戻り、まじまじと文章を見つめる。改めて見ると、テレビの看板などで見かける中国語よりも、授業で習った漢文に近いように思われた。教科書を捨ててしまったのが悔やまれる。
 ――白文の読み取りか……。
 美沙は渋い顔をしながらも、その本の上に屈み込んだ。





 黒尾の方も、美沙と同じく本に囲まれていた。
 バルドを捕まえた借りを返すべく、マスタングはイーストシティーにいる国家錬金術師を紹介してくれたのだ。名は、ショウ・タッカー。二年前、人語を話す合成獣の練成に成功し、国家資格を得た。二つ名を、綴命の錬金術師と言う。
 こちらの事情も明かした上で研究室を覗かせてもらい、今は資料室を閲覧させてもらっている。広い部屋に立ち並ぶ、アルよりも高い本棚。並べられている本の数は途方も無く、探しても探してもキリが無い。これだけあれば、中には有益な資料もある事だろう。けれど、それに辿り着くのにどれ程掛かる事だろう。
 黒尾は分厚い書物から顔を上げ、大きく伸びをする。
「せめて、電子辞書は捨てるんじゃ無かったなぁ……」
 黒尾はポケットを探り、携帯電話を取り出す。事故に遭った時ポケットに入っていたこの電話も、美沙自身と共に二つになった。何故か電池は消費されず、アンテナも三本立ったままだ。けれど、電話やメールは当然出来なかった。トップページも、お気に入りも、「現在、繋がりにくい状況になっています。時間をおいて再度試してください」と表示されるばかり。唯一、自分の携帯電話の番号は繋がった。もう一つの、美沙が持っている物と繋がるのだ。時間表示は、事故に遭った時から一切動いていなかった。
 何の気無しに、黒尾は携帯電話の機能ページを眺める。せめて、英和辞典が入っていれば良かったのに。電話も、繋がるのは美沙の携帯電話だけ。この世界の電話番号に掛けても、何の反応も示さない。
 黒尾は再び書物に目を落としたが、どうにも集中出来ない。諦め、席を立った。
 と、本棚の陰から覗く大きな瞳と目が合う。タッカーの娘ニーナが、じっとこちらを見つめていた。
 黒尾はにっこりと微笑む。
「どうしたの? おいで」
 おずおずと覗いていた少女は、ぱぁっと顔を輝かせた。





「どうかね、はかどり具合は」
 マスタングの声に、美沙はパッと顔を上げる。
 うつ伏せていた身体を慌てて起し、立ち上がった。
「すみませんっ。思わず読み耽ってしまって……」
 腕時計を確認すれば、もう五時になろうとしていた。整理を終えたのは、最初の二山分だけだ。
 マスタングは、美沙の手にある本に目を留める。
「その本が読めるのか」
 美沙の手には、漢字の書き連ねられた本があった。開かれたページは、最初より数ページ進んだ位置だ。
「あ、いえ……。スラスラ読めるって訳では無いんですけど……でも、私の母国の文字と少し似てるんです」
「それは、シンと言う国の書物だ」
 言いながら、マスタングは部屋の扉を閉める。
「アメストリスの東に位置する国だ。砂漠を挟んだ向こうにある」
「シン……」
「常々思っていたんだ。君の顔立ちは、どうにもアメストリス人とは異なっている。どちらかと言えば、シンの者に近いのではないのかと」
「シンって、字は何と書くんですか?」
「Xingだが……」
「アメストリス語の綴りじゃありません。漢字です。『秦』? 『晋』? 『清』?」
「さあ……シンの言葉は私も分からない。その本を読み進めていけば、載っているんじゃないか」
 美沙は手元の本に目を落とす。
 今までの所、国の名は無かった。だが、確かに何処かに載っているかも知れない。
「ところで、その書物で何か情報は得られたかね? 引き取った時には、シンに伝わる物語だと聞いていたが」
 マスタングの問いに、美沙は肩を竦めた。
「そのまんまですよ。シンより遥か西の国に賢者がいて、彼がシンに『錬丹術』と言う物をもたらしたって話です。アルケミストならば『錬金術』でしょうに、『金』ではなく『丹』って書いてあって……意味としては、錬金術と同じような物らしいんですけど……大佐、聞いた事あります?」
「ああ。大まかな部分は、この国の錬金術と同じらしい。ただ、シンの錬丹術は医療に特化しているらしいと聞いた事があるな」
「医療……生体錬成……? でもそれは、禁忌の筈じゃ……?」
「禁忌なのは、人体錬成だ。あくまでも説でしかないが、人体とは身体・魂・精神の三つが揃った状態の物だと言われている。身体の治癒程度なら、問題無いのだろう」
「何だか、曖昧な基準ですね……」
「そう言う物だ。それで、他に何か気になった点は無かったか? 何しろ、私ではその本は読めないのでね」
 なるほど。
 美沙は一人、納得する。エドは、マスタングが何か企んでいるのではないかと言った。流石にエドほど彼を疑いはしないが、羽振りが良過ぎるのも確かだ。マスタングの狙いは、この書物を美沙が解読する事にあったのだろう。
 それほど、この書物は重要な意味を持つ可能性がある。
「特に、今まで読んだ段階では……」
 そう言って、ふと思い出し「あ」と声を出す。
「何だね?」
「いえ……別に、大した事じゃ無いんですけど。西の賢者の容姿が、随分と心当たりのある物だなって思って。――金髪金目、長い髪を一つに束ねた男性」
 マスタングはポカンとする。
 そして、フッと笑った。
「まるで鋼のだな。だが、鋼のだったら小さいと言う特徴も加わる必要があるんじゃないか?」
「本人が聞いたら、怒りますよ。ま、エドと同じなのはそれだけで、書物にはもう一つ、顎鬚が特徴として掛かれていたんですけどね」
「そうすると、鋼のの大人になった姿かも知れないな」
「あははっ。似てそうですね〜」
「この後、鎧姿の弟も出てきたりしてな」
「大人設定なら、兄より身長の高い弟ですよ。優しい顔の。
……あの子達は、必ず元の姿に戻りますから」
 そう言って、美沙は微笑んだ。

 そこへ、扉を叩く音がした。
 マスタングが返事をし、扉が開く。顔を覗かせたのは、ハボックだった。
「大佐。迎え行って来ました。
……美沙さん誑かしてたら、あの兄弟に起こられますよ」
「人聞きが悪いな。女性を丁重に扱うのは、当然のマナーだろう」
「他人の彼女ふんだくったりするのがマナーっすか」
 ハボックは呆れたように言う。
 美沙もじとっとした目をマスタングに向けた。
「マナーねぇ……。噂の割には、私は一度も食事に誘われた事ありませんけど?」
「へぇっ。意外だなぁ……。ま、流石の大佐も美沙さん程の年下は範囲外って事か」
 子供をあやすように頭をガシガシと撫でるハボックを、美沙はムッとした顔で見上げる。
「私、これでももう二十超えてるんですけど」
「おや、誘った事が無かったかね? それなら、今夜にでも食事に行こうか?」
「って言うか美沙さん、誘って欲しいのか……」
「そりゃまあ、大佐みたいな格好良い人に誘われるのは悪い気はしませんよ。でも、残念ながら今日は駄目ですけどね。せっかく誘ってくださったのに、すみません」
 後半部分はマスタングへ申し訳無さそうに言い、美沙は続ける。
「チェックインした宿、コンロがあったんです。久しぶりに、あの子達に手料理食べさせてやろうかなって思って。四人で揃って」
 黒尾は、二人と一緒の筈だ。
 どうせ作るなら、内緒にして驚かせたい。恐らく、黒尾は食材を購入出来ていないだろう。態々こそこそしなくても、美沙が買って帰れるのだから問題無い。
 軍部の正面玄関の近くまで来ると、マスタングが白い封筒を差し出した。
「今日のバイト代だ」
「ありがとうございます。すみません、あまり仕事進まなかったのに……」
「否、あの本を君が読めると分かっただけでも大きな収穫だ。明日も、あの続きを読むといい。得た情報は、余す事無く私に教えてくれ」
「はい」
 言って、美沙は冗談交じりに敬礼する。
 正面玄関まで来ると、再びお礼を言い、美沙は出て行った。
 扉の外の階段を下りていく背を眺め、ハボックは煙草に火を点ける。
「それにしても、美沙さん幼い顔っすよね……。会った時から、何も変わってない気がしてなりません」
「ああ……そうかも知れないな」
 マスタングは美沙の背を見送る事無く、背を向けた。


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2009/05/31